1.伊賀拓斗は悩んでいた

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1.伊賀拓斗は悩んでいた

 今は現代、硝子細工の魔法使いといふものありけり。  薄暗き住処に引きこもりてガラスの棒を炙りつつ、よろづのものを作りけり。  名をば伊賀拓斗となむ言ひける。  以上、竹取物語風自己紹介。 「……ダメだ面白くない、この現実逃避」  徹夜明けの頭をかきむしり、僕はとうとう作業机から床に転がった。  その拍子に描きなぐっていたデザイン画と参考書籍が一緒に落ちて鈍い音がしたが気にしない。  どうせ音消しの魔法で階下に響いてはいないだろう。  そのままごろんと床に転がり、梁がむき出しの白い天井を見上げる。  その鼻先に一羽の蝶がとまった。  霞んだ視界にきらめくガラスの翅。  先日作ったばかりのガラス細工だ。  金の模様がうかぶ無色透明の翅は我ながらいい出来だと思う。  捕まえようと手をのばすが、蝶をからかうように翅をひらめかせ、定位置となりつつある棚の一角に戻っていった。 「さてはおちょくってるな……」  目元をおおって唸る。  ああ、もう。どうぞ笑ってくれ。  どうせ今の僕はガラスペン一本も作れないダメ魔法使いだ。  古民家を改装した学生向けアパートの二階。1Kの7.5畳ワンルーム。  古民家の趣を残そうとしたためか、床はフローリングなのに梁や障子窓はそのままという洋室とも和室とも言い得難い一室。  この狭き城が僕の住処であり、職場であり、工房だ。  訪れる者はごく少数の客と、いたかもあやしい友人。そして稀有で厄介な弟子入り志望者のみ。  ここは人の世にまぎれた魔法使いの隠れ家であり、不思議と奇跡を司る工房であり、現代に残された御伽噺の一端なのだ。  とまあ、言い方次第ではなかなか夢があるかもしれないが、現実は男子大学生の部屋にガラス細工用の道具と材料とその他諸々を詰め込んだ無法地帯だ。  まあ工房がどうのという以前に、僕自身がガラス細工しか能がない、わりと味噌っかすな兼業魔法使いというのだから夢もへったくれもないのだが。  いるんだよ、どこの世界にも落ちこぼれってやつが。  わずかばかりに逃避した現実が目前に迫ってくる。  お願い来ないで。  僕は床に転がったまま頭を抱えた。  なけなしの才能をガラス細工に全振りした僕がガラス細工作りに行き詰っている。  これはまずい。ものすごくまずい。  奇声を上げる僕の顔に、べちゃりと柔らかい物体が貼りついた。  小さな前足がぺしぺしと頬をたたく。 「……うん、ごめんカマドモリ。ちょっと落ちつく」  呆れたようにキュイキュイと鳴く生き物をそっと引きはがし、その小さな頭を指の先でなでた。  手の中で満足げに目を細めるカマドモリの姿は一見、ただの白モモンガだが、彼はその名の通り竈の守り人である。火鼠に近しい火事除けの益獣で、ガラス加工に火が欠かせない僕の使い魔にして相棒でもある。  ここ数日、ガスバーナーに火を灯していないせいだろう。ずいぶんと暇を持て余しているようだ。 「ごめんな。今日こそはお仕事したんだけど……」  ガラス加工の前段階であるデザイン画の作成が遅々として進まない。  それもこれも、一週間前に訪れた客のせいだった。  一週間前、僕の部屋、もとい工房を訪れたのは、このご時世に珍しい新規客だった。  どこからか噂を聞きつけたらしいその人は、黒いワンピースのよく似合う美しい女性で、魔法使いの作法に則り、名のりもしなければ尋ねもしなかった。 『みどりのガラスペンを作ってほしいの。魔法を学びたいって言ううちの娘に贈りたいと思って』  彼女の要望はそれだけだった。“みどりのガラスペン”とだけ。  僕が作るのは客の要望によせて作るオーダーメイド品だ。  ガラスペンを作るにはデザインやかける呪いの効能についてすり合わせをする必要がある。  けれど彼女は細かい要望を聞き取ろうとする僕を微笑みだけで制し、すべてを僕に“お任せ”してしまったのだ。  ああ、なんてことだ。それ制作に一番困るやつなんです本当に。  やんわりとそのことを伝えても、 『困らせてごめんなさいね。でもあなたにお任せしたいの』  と、申し訳なさそうに肩をすくめつつも微笑みでゴリ押し、僕は負けた。あとで困ると分かっていて結局引き受けてしまったのだ。 「バカ! あの時の僕バカ! 火を見るより明らかだよバカ!」  制作技能というのは練習で補える。が、ヒントなしでもいい物を作るセンスはべつだと思う。こればかりは磨いても光らないのだから仕方ない。  せめて贈る相手のイメージだけでも聞きだそうとしてみたが、やはり彼女は微笑んで、 『あなたの身近にも女の子っているでしょう? そういう子をイメージしてくれたらいいわ』  と、おっしゃったのだ。 「いませんよ、そんな子! 引きこもり舐めんな!」  突然の大声に驚いたカマドモリが作業机にさっと逃げてしまう。 「ああ、もう!」  湧き上がる感情のまま体を起こした瞬間、ゴンッいい音が響いて目の前に星が散った。  応接用のローテーブルにぶつけたのだ。 「つぅ~っ……」  後頭部を押さえてのたうち回ると、意図せず作業用の椅子を蹴飛ばしてしまう。まずいと思った時には、ひっくり返ってきた椅子が脛を強打した。 「あぅわ……」  たぶん、こういうのを踏んだり蹴ったりって言うのだと思う。  脛を抱え痛みに悶えていると、なんだか一周回って冷静になってきた。  ステンドグラスのパーテーションを倒さなくてよかったと胸をなでおろしつつ、床に散乱したデザイン画を拾い上げる。  華奢なガラスペンのデザインのものだ。ペン先から握りにかけての繊細な形は悪くないとは思うが、どうにもこれじゃないという気持ちが拭えない。  ため息をつき、作業机の端にある手帳を開く。  約束の期限は明日に迫っていた。
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