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2.突撃、お転婆スイちゃん
仮眠から目を覚ますと9時を少しすぎた頃だった。
障子窓ごしに差し込む陽光に息をつき、大きく伸びをする。
やはり徹夜はダメだ。思考も気分もおかしな方向に飛んでいってしまう。
いくらかすっきりした頭でこれからの予定を立てつつ、身支度を整えているときだった。
ピンポーン、と呼び鈴が鳴ったのだ。
「……」
誰だろう。自慢ではないが、僕を訪ねて来る人間は本当に少ない。
来客の予定はなかったはずだ。宅配も頼んでいないし、であれば何かの勧誘か。
正直、誰とも顔を合わせたくない。
居留守をしようと決めたところで再び呼び鈴が鳴った。
「……」
コンコンと扉を軽くたたく音が響き、それを最後にしばらく待っても呼び鈴はそれきり鳴らなかった。
「……はぁ」
知らず詰めていた息を吐き出す。
なんだか今すごく体に悪いことをした気分だ。
相手にも申し訳ないことをしたかもしれない、と今さら過ぎる罪悪感が首をもたげる。
「まあ、いいにしよう」
きっと大した用ではないだろうから。
それよりも、だ。
少し遅いがご飯にしようと、カマドモリにナナカマドの実を模した赤いガラス粒を差し出す。
カマドモリは嬉々として受け取り、まるで本物の木の実のように一心に食べだした。
彼とはそこそこ長い付き合いなのだが、いまだによく分からないことが多い。
もしかしたら見習の頃に勉強していたかもしれないが、僕はどうにも魔法関係のことが身につかなかった。
一応、真面目にやっていたし、一般的な学校の成績は悪くなかった。これはやはり相性とか才覚の問題なのだろう。
あまりの才能のなさに師には早々に見限られてしまったし。
「ああ、だめだ戻ってこい……」
落ち込みそうになる気持ちを引き上げ、作業机に放置したデザイン画を見やる。
唯一の得意分野が発揮できない今、わりとすぐ落ち込む面倒くさい人になってしまっているようだ。
「どうしたものかなぁ……」
束になったデザイン画を流し見ていく。
全体的に太めの重厚感あるもの。握りから柄にかけて捻じりを入れたもの。ペン先と握りの継ぎ目にも模様を施したもの。
「んー……」
可もなく不可もなく、といったところだろうか。
つい吐く息も重くなる。
もういっそ何も考えずに勢いに任せて作ってみようか。
失敗したときの時間が惜しいが、うっかりいいものができてしまうこともままあるわけで。
なかば自棄になりながら加工用のガラス棒に手をのばした時だった。
カマドモリがピュイっと鋭い悲鳴を上げたのだ。そのまま棚と一緒に置いてある階段タンスの引き出しに逃げ込む。
まさか。
嫌な予感に、パーテーションの向こう側にある窓際のベッドに乗り上げ、障子窓をスパンと開ける。
「……えっと?」
そこには丸く秀でたおでこがいた。
ついで、窓ガラス越しにどんぐりみたいな目と目が合う。
見知った顔の女の子だった。
「ここ二階だよ。どうやって上ってきたの?」
「木登り屋根わたりは小学女児のたしなみですよ?」
少女は天使のような微笑みをうかべ、手に持つこぶし大の石を振り上げた。
「待て待て待て! 開ける、開けるから!」
半ば強盗のように押しかけてきたのは弟子入り志望の女の子だった。
長い前髪をヘアピンでとめた小学4年生。丸いおでこが可愛らしい子だが、少々どころではないお転婆さん。彼女の名前をスイちゃんという。
縁もゆかりもなかった彼女が初めて押しかけてきたのは一週間と少し前。どうやら例の蝶を作っているところを彼女に見られてしまったらしい。
陽光をガラス細工に練りこむために普段窓側と作業スペースを仕切っているパーテーションを取り払い、障子窓も開けっぱなしにしたのがまずかった。
豪気な彼女はその日のうちに僕の城、もといこの狭きワンルームに突撃し弟子入りを申し出たのだ。
今にして思えば迂闊だった。
こんな時代だ。魔法を一目見ただけで魔法と確信できる人は少ない。
スイちゃんが見たものは気のせいだと躱してしまえばよかったのに、あろうことか僕は魔法の存在を肯定し、魔法使いであることを認め、その上で弟子を取るつもりがないと返してしまったのだ。
しかたないだろう、僕はビビりなんだ。突然予想外なことが起こればポンコツにだってなりますとも。
以来、スイちゃんは前触れもなくやってきては弟子入りしたいと部屋に上がりこみ、そのたびにカマドモリは悲鳴を上げて階段タンスの奥へと逃げ込む始末。
これはもうガラス細工どころではない。
僕は大きく息を吐きだした。
「最近の小学生は過激だね」
「大丈夫。拓斗くん限定です」
スイちゃんはすまし顔で保冷バックからランチボックスを取り出しローテーブルに中身を広げた。
「なのね、僕が言いたいのは……」
「どうぞ。スイちゃん特製サンドです。お母さんに合格点をもらっているので味は保証しますよ」
目の前に差し出されたサンドイッチに思い出したかのようにお腹がなった。
これは恥ずかしい。
そういえばカマドモリの朝ご飯は用意したのに自分の分を食べていない。徹夜に食事抜きとは我ながら不摂生が過ぎる。
サンドイッチを作ってくれたスイちゃんと材料たちに感謝。
いただきます、と手を合わせて遠慮なくかぶりつく。
ああ、なんて締まらない。
けれどこれだけは言っておかなければ。
「……僕が言いたいのは、女の子が危ないことしちゃダメってことだよ。なんでいきなり窓割ろうとたの?」
スイちゃんは呆れたように肩をすくめた。
「最初はちゃんと呼び鈴ならしましたよ。応答がないから中で倒れているのかと思いました」
「それは、その……すみませんでした」
居留守の相手はスイちゃんだったのか。
たしかに一人暮らしの急病は命にかかわる。
なにせ倒れたら倒れっぱなし。助けが期待できないのだ。
孤独死を他人事と思えない程度には世間との関りが薄い生活をしている自覚がある。心配してくれたスイちゃんに感謝するべきだろう。が、僕にも一応思うところがある。
「外出してるとは思わなかったの?」
「拓斗くんにかぎってないです」
「ないの?」
「ないです」
たしかにないけど。引きこもりがちだけど。
「心配してくれてありがとう。けど僕が顔を出してからも窓割ろうとしてなかった?」
「そうでしたっけ?」
スイちゃんはきれいに微笑み小首をかしげた。
完璧なスマイル。これ以上のない鉄壁。
ああ、これはだいぶ怒っている。きっと居留守の腹いせだ。
いいや、僕は折れないぞ。笑顔にゴリ押されるのは先日の依頼でもう懲りた。
ここは一つ、きちんと話し合ったほうがいい。
「スイちゃん」
意を決して口を開くが、スイちゃんのほうが速かった。
「それはそうと、小学生に食事の世話をやかれる気分はいかがですか? ご飯をすっかり忘れていたらしい拓斗くん」
話の腰を叩き折ったスイちゃんが大変素敵な笑顔でずいっと迫る。
「え、えっと、あの……」
勝ち誇った顔でずいずいっと。
おかげさまで喉まで出かかったお説教の言葉がしっぽ巻いて逃げ出した。
「大変申し訳ない気分です。でもおいしい。ありがとう」
ああもう、敵前逃亡の軟弱者め。
悔しくはあるが自分の世話をほったらかしにしていたのも、スイちゃんのサンドイッチがおいしいのも事実だ。
しおしおと萎れながらも食べる速度は変わらないあたり、ほとほと現金な僕だ。
「どういたして。ありがとうついでに弟子とかとりません?」
「とりません」
きっぱりと断ればスイちゃんはむぅと唇を尖らせた。
ちょっとかわいそうかな、と思いつつもサンドイッチをきれいに平らげ、ごちそうさまでしたと手を合わせる。
お粗末さまでした、と返すスイちゃんは膝を抱えてまだ拗ねている。
大人びた物言いをするスイちゃんも拗ねた顔は年相応だ。
弟子にはしてあげられないが、サンドイッチのお礼にと試作品のとんぼ玉を詰めた小箱を差し出せば、スイちゃんは目を輝かせて緑のとんぼ玉を選び、大事そうにカバンへとしまった。
「ありがとう拓斗くん」
「どういたしまして」
どうやらご機嫌は持ち直したらしい。
鼻歌まじりに食後のコーヒーを出してくれるスイちゃんはよくできたいい子だけれど、生憎と僕は弟子をとるつもりはないし、師が務まるほど立派なものじゃない。
そもそも僕の本業は大学生だ。依頼の件がにっちもさっちもいかないから最近は本業そっちのけだけど。
そこまで考えて、あれっと思う。
「そういえばスイちゃん、今日学校は?」
単位ぎりぎりの僕と違って、スイちゃんは勤勉な小学児童。こんなところで油を売っている場合ではないはず。
るんるんスイちゃんのご機嫌が急降下した。
「拓斗くん、曜日感覚大丈夫ですか? 今日はお休みですよ。……さては徹夜しましたね」
眉間にしわをよせたスイちゃんにむいっと鼻をつままれる。
「今度はなんですか? レポートの提出期限? ガラス細工の研究? だからご飯も食べてなかったんですね。さあ拓斗くん、理由を言いなさい!」
鼻をつまむ手にキリキリと力がこもる。
「い、痛いたたた痛いから! 言う、言うってば!」
スイちゃんの剣幕と鼻可愛さに僕はあっさりと敗北した。
「なるほど。“みどりのガラスペン”の依頼ですか」
ふむふむと何やら考えては納得している様子のスイちゃんに、僕は疲れ果ててテーブルに突っ伏した。
オコッタスイチャン、コワイ。
大事な顧客情報、洗いざらい話してしまった。漏洩するような個人情報なんて一切知らないけれど。
「……他の人に言っちゃダメだよ。言ったらバッタになる呪いかけちゃうからね」
僕に魔法の才能はないけれど、形を変える魔法についてはその限りじゃないんだよ。
冗談ではあるけれど、じっと見やればスイちゃんはくふくふと笑った。
「バッタはいやですね。わかりました。言いませんよ。弟子たるもの、師匠のお客さま情報は守らねばなりません」
「弟子じゃないでしょ、まったく」
素直にうなずくスイちゃんに訂正を入れる。
弟子入りについては、ねじ込まれるわけにもゴリ押されるわけにもいかない。
スイちゃんはやれやれと肩をすくめた。
「さて、事情はわかりました。拓斗くんは贈られる相手もわからずに作るのがむずかしくて悩んでいるんですよね」
「……はい」
贈る相手も知らずに作るのは難しい。
僕にデザインセンスがないのもあるが、それ以上に魔法は『表現するものではなく、作用するもの』だからだ。
仮に僕が芸術家であったなら、自分の中の感性を突き詰めてこれ以上もないものを目指せばいいのかもしれない。
けれど僕は魔法使いだ。
作りたいのは、ただ魅せるものではなく、手にした人に必要なとき、必要な分だけ力を与えるものだ。
しかし相手が分からないことには匙加減が分からない。方向性も分からない。
ああ、本当に厄介な依頼をしてくれたものだ。
頭を抱える僕にスイちゃんが微笑んだ。
「拓斗くん、提案なんですけどね」
その表情になんとなく既視感を覚えた。
「わたしに贈るつもりで作ってみるのはどうでしょう?」
いったいどこで、と記憶をたどりかけているところに爆弾が落ちてきた。
「え、はい? え?」
直撃はさけたが爆風で思考が吹き飛び、受け身をとり損ねて顔面がずる剥けになった気分だ。
たしかにスイちゃんは、僕の身近にいる“魔法を習いたい”唯一の“女の子”だ。依頼人の彼女がガラスペンを贈りたい相手と条件が合致している。
が、ちょっとそれは、
「なんですか拓斗くん。てれてます?」
「照れてません!」
食い気味の返事をして内心頭を抱える。今の言い方だと本当に照れているようにしか聞こえない。
案の状スイちゃんはにまにまと笑った。
「なんですか、プロポーズの指輪を作るわけでもないのに。わたしに贈り物、そんなにはずかしいですか? てれちゃいますか? お嫁さんにしちゃいますか?」
「しません」
「じゃあ弟子に」
「しません!」
声を荒げる僕にスイちゃんは声をあげて笑った。
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