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11.ニゲラの恋語
カレンデュアはひざの上に手を重ねて、お行儀よくニゲラの話に耳を傾けました。
「ちょうどあなたぐらいの歳にね。その人はわたしと同じ誓いを立てた、恋をしてはいけない人だった」
ニゲラが恋をしてしまった相手は、同じサントリナ修道院の男子修道院にいた少年でした。彼らはふだん生活していて会うことはありませんでした。年に一度行われる祭りの時を除いては。
サントリナ修道院では毎年秋になると太陽に感謝するお祭りが開かれます。日が沈みかけた頃から始まり、十八歳以上の男女がそれぞれに収穫した野菜や果物を持ち寄って中央の敷地に集まります。そこで酒や料理を食べて、歌ったり踊ったりしてにぎわうのでした。二人はそこで出逢いました。
男の人ってみんなごつごつして岩のような人ばかりだと思ってたけど、彼ってなんて細くて繊細なのかしら。男女混合の社交ダンスで彼にエスコートされた時、ニゲラは一目で恋に落ちてしまいました。
「あの、お名前聞いてもいいですか?」
大胆にも自分のほうから名前を訊ねます。彼は軽やかにステップを踏みながら答えました。
「ぼくはディル。きみの名前は?」
「わたしはニゲラ」
すると彼は少し恥ずかしそうに言いました。
「あの、もしよかったら来年もぼくと踊ってくれない」
「え? いいけど、何で?」
「実はぼく、こういうのは苦手なんだ。知らない女の人を誘って踊ったりとか。だから……いやだったらいいんだけど」
ニゲラは大袈裟なくらいブンブンと首を振りました。
「ぜんぜんかまわないわ。ぜひ来年もわたしを誘って?」と自分で言っておきながら照れて赤くなってしまうニゲラでした。それからダンスが終わって彼と離れても、視線が彼を追いかけます。そして祭りが終わり男女がまた別々の施設に別れてからも、頭の中から彼のことが離れませんでした。そうして彼女は一年間、彼のことを思い続けたのです。そして翌年も祭りの日はやってきました。
「ニゲラ」
先に声をかけてきたのは彼のほうでした。笑って細めた目が三日月形になるやさしい目に、ニゲラはとろけてしまいそうでした。背も伸びて目線が少し高くなっていました。それからオルガンの前奏が始まり、それが鳴り終わったのを合図にしてダンスが始まります。
「ねえディル、これが終わったら抜け出さない?」
「え?」
「わたしにいい考えがあるの」
ダンスをしながらニゲラは頭を下げた彼の耳元に向かってささやきました。
「あなたが女子修道院に潜り込むのよ」
その大胆な発想に戸惑うディルでしたが、ニゲラは強引にそれを実行させました。彼に女子が着る修道服を着せ、胸には詰め物をして何食わぬ顔で一緒に女子修道院に入ったのです。彼がやせていてもともと中性的な顔立ちだからか、または運がよかっただけなのか誰にも気付かれませんでした。
「ね、うまくいったでしょ?」
やさしい彼はニゲラのために、何度も同じことをくりかえしました。そして会うたびに接触が増えていき、二人の関係が深まっていきます。接吻も覚えました。もっともっと一緒にいたいと強く愛を交わし……
けれどある日彼は言いました。
「もう会うのはやめよう」
「ディル……?」
ニゲラは耳を疑いました。
「どうしてそんなこと……こんなに“愛し合ってるのに”」
それでも彼は首を振り、静かに言うのでした。
「ぼくたちは清貧・貞潔・服従の誓いを立てた身だ。愛し合ってはいけない」
愛しい彼の唇が、愛の終わりを告げました。
「そんな……」
ニゲラの目の前の景色が瓦礫となって崩れ落ちました。彼女の世界が崩壊した瞬間でした。わたしたちはもう――
彼女は我を失い走り出していました。呼び止める彼の声ももはや届きません。彼女は走って十字架をいただいている最上階まで行きました。そこはめったに人が入らない場所です。鍵は壊れているので扉はすぐに開きました。中へ入り乱暴に扉を閉めて大窓を開け放ちます。一気に吹き込んだ風がベールをさらいました。それが床に落ちて髪を束ねた頭部をむきだしにします。そこに激しい足音が近付き、きしむ音を響かせて扉が開き
「ニゲラ!?」
顔面蒼白になったアスターが息を切らして部屋にたどり着いた時、中は無人でした。
「わたしはあの大窓から落ちたの。風にあおられて、走りすぎて空になっていた肺に一気に空気が入ってきて苦しくてめまいを起こし、身体がふわっと宙に浮いた。そう思ったら外に吸い込まれていった。地面が迫って来るのを見たら一瞬で、あとは……」
その時の光景が目に浮かんできて、カレンデュアは思わずぎゅっと目を閉じました。
「みんな私が自殺したと思ってる。でもあの時わたしは死のうとなんかしてなかった。わたしはただ大声で泣きたかったの。そして彼に追いかけてきて、また抱きしめてほしかった」
「ニゲラさん……」
カレンデュアの目からツーッと雫がこぼれ落ちました。ニゲラを抱きしめようと手を伸ばします。その手はすっと空を切りました。はっきりとそこに存在が見えるのに、ニゲラの体は触れられない幻影でした。
「このことを彼に教えてあげてほしいの。お願い、カレン」
ニゲラの手がカレンデュアの手を包みます。ぬくもりもつめたさも何も感じない手で。
「それならニゲラさんの口から言ったほうが……」
ニゲラは首を振りました。
「わたしの口からは言えないの。それはわたしがこの世に残した“最後の心残り”だから。それを言ったら天国に連れていくと神様はおっしゃったの。そしたらもう彼と会えなくなってしまう。それはいやなの。わたしはまだ天国に行きたくない。彼が生涯を終えるまでここで待って、一緒に天国へ行きたいの。だから代わりに、お願い」
院長と対面した時、二人は友達のように仲良しに見えたのに、こんな複雑な事情があったなんてカレンデュアは思いもしませんでした。
「その彼はまだ修道院にいるんですか?」
「ええ、いるわ。彼は、ディルは――
“このサントリナ修道院の院長よ”」
後日カレンデュアは院長のもとを訪れ、すべての真相を打ち明けました。
「そうでしたか」
それを知った院長は、安堵したようなやすらかな表情で虚空を見詰めました。
「それならよかった。わたしたちは天国で“また逢える”」
ディル――そう呼ぶ声が聴こえた気がしました。まさか!? カレンデュアははっとして叫びました。
「ニゲラさん!」
ありがとう……。横を見ると消えいくニゲラの姿が。彼女は記憶のなかに笑顔を残して消えて行きました。
「何故消えてしまったの。ニゲラさん……」
カレンデュアが悲しみに暮れていると
「悲しむことはありませんよ、カレンデュア」
院長は言いました。三日月形に細めたやさしい目で言葉をつむぎます。
「ニゲラは消えたのではありません。彼女は――
“遠くへ行っただけなのです”」
「遠く?」
うるんだ瞳でカレンデュアが訊き返すと院長は静かにうなずきました。
「そう“遠く”へ。いずれわたしたちも行く場所です。彼女はわたしたちよりも――先にそこへ行っただけなのです」
院長の言葉が、カレンデュアの悲しみに震えた心をあたたかさで包みました。
ニゲラさん、あなたが愛した人はなんてあたたかい人なの……。わたしもこんな愛に包まれたい。そう思うのでした。
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