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14.それでも、しあわせな結末
ある日カレンデュアはサントリナ女子修道院に入ってから初めて外出の許可をもらい、院外に出ることになりました。まるで外国に行くような感覚で心が躍ります。数日間の里帰りでした。幼少の頃サントリナ修道院へ来た時のように汽車に乗り、今度は故郷に向かうのです。
「タラさんたち、どうしてるかしら」
あの日と同じトランクを転がしながら、歩いて駅へと向かいます。時々馬車が通過する街並みをブーツの靴音を響かせながら、カツンカツンと。歩いていくには少々距離が長い道程も苦になりません。彼女はすがすがしくて、楽しい気持ちでいっぱいでした。カツンカツン、カツンカツン。そこへまた馬車が近付く音が響いてきました。車輪が転がる音、馬蹄が石畳を叩く音、振り下ろされるムチがしなり、馬の尻を打つ音。さまざまな音がせわしなく混ざりあっています。角を曲がって来たそれがカレンデュアの視界の前方に映りました。次の瞬間、車輪が歩道に乗り上げ――
カレンデュア、あなたはよくがんばりましたね。
――その声は天から一人の少女に向かって注がれました。
やがてざわめきが起こり、石畳の上に倒れ臥した少女の周りに人だかりができていきます。少し離れた所にはトランクが転がっていました。
同じ頃、午前の診療を終えたアスターは生活空間になっている二階の部屋にいました。窓の隙間から吹き込んできた風がテーブルに置いた新聞の頁を勝手にめくり、窓を閉めに行こうとして腰を上げると、彼は驚きに目を見張りました。
「きみは……」
窓の前に少女が立っていました。下ろした長い髪を耳上まで編み込みしてバレッタで止めています。服装は小花柄のワンピースの上にケープを羽織り、編み上げのブーツを履いています。澄んだ瞳の稀に見る美少女でした。彼はこの少女を知っています。
「“カレンデュア”、何故きみがここに」
カレンデュアは言いました。
「わたしは今、馬車に轢かれて死んでしまいました。まだ車道に私の体が倒れています」
そう言ってカレンデュアは、それを示すように顔を窓の外に向けました。アスターは驚愕に見張った目でカレンデュアを凝視しました。それから窓際に行ってそこから外を覗いてみると、何軒か先に人だかりができていました。傍らに停車している馬車も見えます。まさか、本当に……!?
そして彼はもう一度カレンデュアを見ました。
「本当なのか?」
そう尋ねると、カレンデュアは静かにうなずきました。そして彼女はそっと手を差し出しました。その手に触れようとアスターが手を伸ばすと
「?」
すっと掌が空を切りました。そんな、つかめない……!
嘆く表情のアスターに向かって、なぐさめるようにおだやかな表情でカレンデュアは言いました。
「アスター、わたしがここに来たのは神様が一つだけお願いを聞いてくださるとおっしゃったからなのです」
さらに続けます。
「わたしは生前ある誓いを立てました」
「“ある誓い”?」
「そう、わたしはサントリナ修道院に入る前、夢で啓示を承けました」
カレンデュアはその詳細をアスターに語りました。死んでからこそそれは許されることでした。それを聞いたアスターは
「そんな、なんて残酷な試練なんだ」と頭を振って深く嘆きました。
「わたしはその試練――その誓いをやぶることなく生涯を終えました。そのご褒美として神様は、願いを一つだけ叶えてくださるとおっしゃいました」
カレンデュアはそこで言葉を切ると一点の曇りもない瞳でアスターの顔をじっと見詰めました。
「アスター、わたしを抱きしめてください」
「でもぼくは、きみに触れられないのに……」
するとカレンデュアは微笑して首を振りました。「それがわたしがしたお願いなの」と。困惑しながらアスターがカレンデュアの体に手を伸ばします。すると今度は彼の手が彼女の体をすり抜けることはありませんでした。彼はそのまま彼女を腕のなかにやさしく包み込みます。
「ありがとう、アスター。わたし、“死んでも幸福です”」
カレンデュアの瞳に光が瞬きます。あふれたその光の雫が頬を伝い――ぽたりと床に落ちる瞬間。カレンデュアは幻影となって瞬きを散らしながら、アスターの腕の中から消えていきました。
――END――
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