代え難いもの

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代え難いもの

 思ったよりも星が落ちた。今日は上がってくるのが少し早すぎたみたいだ。もう一度星を集めて梯子を上るか明日の昼間に一度上がるか悩む。  夜ほどは目立たないけれど昼間も星は降っていて、たくさん落ちた日には夜を待たずに継ぎに上がるのだ。だけど、昼間の星継ぎはちょっと難しい。  静流が落ちたのも昼間に上がったときだった。  世那は暫く思案して、やはり夜のうちにもう一度継ごうと決めて梯子を下り始めた。学生の頃と違って昼間に上がることに不都合は無いけれど、昼間の星継ぎはやはりなるべく避けたい。それに。継いだ星が空に馴染んでゆく様は、夜の方が断然美しいのだ。  長い長い梯子を下りて、あと数段となったところで梯子の脇に人の気配を感じた。暗くてよく見えないけれど、背の高い頭の先が月明かりにぼんやりと照らされている。世那は逸る気持ちを抑えて何段かを下り、残りを端折ってぴょんと飛んだ。やわらかい下草が世那を受け止め、ぎゅっと踏まれて夜露が弾ける。 「危ないことはしてくれるな。寿命が縮む」  低い声が降ってきて世那は顔を上げた。困ったような瞳と目を合わせてにこりと微笑む。 「お互い様だよ。私はもっと怖い思いをしたもの」  梯子の傍で顔を顰める静流はバツが悪そうに頰を掻いた。 「歩いてきたの? 大丈夫だった?」  世那は歩み寄って静流を見上げた。  五年前に梯子から落ちたとき、静流の右足は砕けてしまった。星を受け止めるやわらかい大地は命までは取らなかったけれど、静流から大切な仕事を奪った。静流はもう梯子を上れない。 「世那が星継ぎしてくれている間に訓練したんだ。右足はどうしても引き摺ってしまうけれど、杖さえあれば大概のところには行けるようになったよ」  そう言って静流は編み籠を掲げた。 「大分降っていたから拾ってきた。もう一回上れるようなら夜の内に継いだ方が好いだろう」 「うん」  静流から編み籠を受け取って世那は頷く。 「今から拾いに行こうと思ってたの。ありがとう、静流。もう一回継いでくるね」 「気をつけて行っておいで。ああそれと」  静流は世那の髪をくしゃりと撫でて、ちょっと得意気に笑った。 「環希(たまき)がもうすぐモノになりそうだよ。莉生(りお)も筋は悪くない」  薬師と医術師が躍起になって骨を継いだ一年、静流は床から上がることが出来なかった。一年掛かりで静流の右足は元の形を取り戻したけれど、元のようには動かなかった。懸命なリハビリを繰り返し、何とか家の中を歩き回れるようになって一年。杖を使って近所なら出掛けられるようになってまた一年。(ようよ)う真面な生活を送れるようになった頃、村から提案があった。  星継ぎを教えてはもらえないだろうか。  一日も休めない大変な仕事を静流一人に任せ、その後は年端もいかない世那に押しつけている。さすがに気が咎めたらしい。静流に新たな仕事を与え世那の負担を軽くする為に、色々と考えてくれたようだ。  そして静流は先生になった。  その生徒の独り立ちが近いらしい。 「そうなんだ。嬉しいけどちょっと複雑だなー」 「うん?」  世那が笑うと静流は首を傾げた。 「星継ぎの仕事は大変だけど、この星空を独り占めにしてる気分だったの」  梯子に掛けた足を下ろして静流に向き直る。  子供の頃、静流と二人で見上げた星空はとても美しかった。何よりも大切で守りたいと思った。己が守らなければと思った。けれど。 「でも、いいや。私にはもっと大切なものがあるって分かったから」  杖を持つ静流の指先にそっと触れる。それに空いた方の手を重ねて静流が笑った。 「もし世那が落ちたら僕が受け止めるから、安心して上っておいで」 「やだもう。子供の頃みたいに軽くないのよ?」  軽々と静流に抱き上げられたあの頃とは違う。世那の手を包む静流の手はやっぱり大きくて力強いけれど、世那はもう二十歳だ。小さな子供ではない。それなのに、静流はいつまでも世那を子供扱いするのだ。 「それでもだよ。世那は僕が守るから」  ぽん、と髪を撫でられてこそばゆい気持ちになる。世那は子供の頃から静流のことが大好きだ。だけど、さわさわと胸を擽るこの感情は、かつてのものとは少し違う。だから世那はちょっと悔しい。いつか、ちゃんと大人として扱ってほしいと思う。  でも今は、一緒にこぼれる星を見上げられることの方が大切だから。 「じゃあ、絶対に落ちない。静流を潰したくないもの」  くすくすと笑い合って空を見上げた。白みかけた群青色のなかに金色の筋がすうっと伸びる。夜明け前の空の色は、静流の瞳みたいだ。その美しさを守りたい。担い手が増えたとしても、それはとても大切な世那の仕事だ。 「夜が明ける前に終わらせなくちゃ」 「ああ。行っておいで」  大好きな静流に見守られて、世那は空に架かる梯子に足を掛けた。
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