東風

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 カリヤスの工房は、街中の一等地にあった。大勢の人が出入りをしていて、誰が工房の人か取引商人なのか、どこにどう声を掛けたらよいのかわからない。セイランが一緒で無かったら、しばらく玄関先でまごまごしていたところだ。 「大親方はいるか?」  セイランは頭巾をかぶった若い衆を捕まえた。 「ああ、セイラン船長。お久しぶりです。大親方は、今日は気分が良いとかで、奥の作業場に出ています」 「そうか、ありがとう。勝手に上がらせてもらうぞ」 「どうぞ!」  セイランとずんずん工房の奥に入っていく。工房は金銀の細工と輝石の加工をしているようだ。金属を溶かす炉の熱気と、金を叩く音ややすりの音がせわしなく響き、活気にあふれている。  奥の作業場は、周囲よりひときわ広くとってあって石の研磨をしているようだった。回転研磨機のそばに、鮮やかな黄色い頭巾をかぶった老人がうずくまっている。 「カリヤス、達者か?」  老人がのろのろと顔を上げた。 「おお……セイランか……。今日は気分がよくての……とっておきを整えておるところじゃ……」 「今日は客人を連れてきた。シロの知り合いだ」  老人はしわくちゃ顔の目を見開いた。 「……シロ……懐かしい名を聞いた。今はどこにおるのじゃ?」 「(あけ)の国にいる」 「ほぅ……」  そうか。後の言葉はかすれて声にならなかった。相当ご高齢のようだ。 「客人を(げん)の国まで送りたいのだが、近々取引はあるか?」 「……頼まれものの……仕掛け時計の修理が終わったところじゃ。早ければ今週末にも出立のはずじゃ」 「そうか。(あけ)の国から天蚕のよい生地が手に入った。一緒に運んでくれるか?」 「おお……先方も喜ぶじゃろうて。……若い衆に言ってくれぬか」 「相分かった。……お嬢ちゃんは、ちょっとそこで待っていろ」  セイランが席を外したところで、懐からシロから預かった封書を取り出す。 「あの……大親方様。こちらをシロから預かりました」  カリヤスは細工作業用のメガネをかけなおして、封書を受け取った。ゆっくりと封を切り、手紙を広げる。しばらく、ふむふむとうなずきながら文面を目で追う。 「……時計が……間に合ってよかった。シロに託されたときはどうなることかと思うたが……わしの一生仕事が実を結んだということじゃな。……職人冥利につきるとはこのことじゃ……」  手紙を膝の上に置き、しわくちゃな瞼の間から涙が流れた。 「目玉が飛び出るような大金とともに、シロからこの時計を託されたのは……かれこれ30年も前の話じゃ。……わしがこの工房を構えたころでの……できない細工はないと、自負しておった。(げん)の国の、古い時計じゃ……。見たことのない水晶を使っておった……。古の、(おう)の国の職人の技と聞いて俄然職人魂に火が付いたのじゃが……。所詮、失われた技での、代替の部品は見つからず、研磨の技は複雑で、……えらく……難儀をした」  流れ落ちる涙をぬぐった。研磨剤が詰まった黒い爪の手は、ごつごつとして固く、研磨する石を把持する指は不思議な方向に固まっている。立派な、腕利き職人の手だった。 「あの時計を……頼みますぞ」  深くうなずいて、応えた。
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