紅雨

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 薄暗くて狭い部屋は、半分以上がベッドだった。ここは「連れ込み宿」というやつか。ヤバいところにつれてこられた自覚はあったが、背後から声をかけられてこの方、うまいこと身体が動かなかった。声も出ない。 「部屋の隅のそこ、赤い天幕の向こうに風呂がある。着替えはここに置いておく。着替えたら下の部屋に来い。飯を準備しておく」  相変わらず、黒いフード付きマントを着たままだ。顔は見えない。低い声は中性的で、物腰からも男か女か年齢すら皆目見当がつかない。多分、若い。かいがいしく部屋を行ったり来たりしていたが、ふと、何かを思い出したようにこちらを見た。 「ああ、すまない。そのままでは無理だな」  マントの影から、すっと、黒い手が伸び、額に触れた。途端、急に体の重みを感じてふらつく。 「ちょっとばかり素直になっていただいていた。気を悪くするな。他意はない」  ぼんやりと自分の手のひらを見た。握って、開いて……。普通に動く。 「あ……」    声が出た。顔を上げると、黒い人差し指が目の前で揺れた。 「話はあとで、ゆっくり聴こう」  後ろで扉の閉まる音がした。  なんだ? 今の。  寒気だけではない鳥肌が立って、二の腕をこすった。頭が追いつかない。何が起きた? 茫然と部屋を見まわした。身体が動くようになっても、すぐには行動に移せなかった。とにかく、追手をまくことはできたようだ。でも、いつまで逃げ切れる? これまでもたいして良い生活ではなかったが、追手につかまってしまえば最後、今まで以上にひどいことになるのは目に見えている。ここに連れてきた黒い人も、何者なのかわからない。どうやら……悪意は、ないようだが。    ……考えていても始まらない。とにかく、冷えた身体を温めよう。
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