紅雨

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「なんで……?」  串焼きを半分ばかり食べたところで、さっきからモヤモヤしていた心の端を吐き出した。ずぶぬれで小汚い、誰やらわからない者に、問答無用で快適な環境を提供してくれたシロに、温かい食べ物を与えてくれたカラチャ。  どちらも、今まで会ったことのないタイプの人間だった。二人に見守られて食事をしながら実は、いつでも逃げられるように戸口をうかがってしまう。この建物に入った時の間取りを思い出し、出口までの最短距離をはかっている自分がいる。  カラチャは小首をかしげてシロに目配せした後、椅子に座りなおして頬杖をついた。 「ここに長くいるとね、なんとなく察しはつくのよ。あんたみたいな垢抜けない若い娘、それも前だか後ろだかわかんないやせっぽっちがこんな深夜に必死の形相でなりふり構わずほっつき歩いてるってのは、大概、先の置屋から逃げてきたんだろなってね。……図星でしょ?」  肉をゴクリと飲み下した。ぐうの音も出なかった。でも、それだけじゃない。自分の手に目を落とす。血にまみれた自分の手。 「……だけじゃない……です。……多分……逃げる時、……ろしたかも」  カラチャは眉一つ動かさず、私を見つめていた。 「何したか、わかってるんだね」  うなずく。この国では、大人の命の方が重い。万が一、相手が一命をとりとめていたとしても、大人に歯向かった子どもには、命がない。あるいは、人以下として生かされる。 「あんた、名前は?」 「……まだ、ありません」 「ふうん……」  身じろぎしたカラチャは、しばし天井を見上げた。 「出自は火の山か。……村には帰れるの?」 「いや……多分……無理」  養い親が私と引き換えにもらっていた金貨を思い浮かべる。厄介払いができたといわんばかりの笑顔も。  カラチャがすっと目を細めた。 「この先、どうするつもり?」 「え……」 「遅かれ早かれ、置屋の用心棒があんたを捕まえに来る。あんたのやったことを思えば、捕まるわけにゃいかないでしょうね。かといって、いつまでもここにかくまえるとは思えないし、行く当てもないと来てる。生き延びるには……この国を出てくしか法はないと思うよ」 「この国を……」  知っている場所といえば、火山のふもとの村。そこから、三日三晩馬車に乗せられてこの町まで来た。村に比べてたくさんの人であふれたこの町は、広くて大きいように思えたけれど、ここから外へとなると、ましてや国境までどれくらいの距離があるものやら見当がつかない。  昔、村長(むらおさ)に地図を見せてもらったことがある。この国は一つの島で、火の山、霧の谷、裾の川と三つの地域に分かれていた。この町は裾の川の山側の端にあるはずだ。川の先は海へとつながり、青の国、海洋民族の領域。海を隔てたはるか遠くに、(ろく)の国、(おう)の国、そして(げん)の国のある大陸がある。この国、(あけ)の国を出るということは、海を渡れということだ。 「来たぞ」  シロが低くつぶやいた。遠くで石畳を踏む音がする。追手が来たのだ。
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