大黒柱

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 翌日、宣言通り通称ユンボと呼ばれる、アームの先にハサミのついた重機での家の取り壊しが行われた。  親方はユンボに乗る大工に何やら耳打ちをしていた、恐らくは何かしらの業務通達だろう。  いかにも力強そうな重機がけたたましいエンジン音を唸らせ、キュラキュラと音を立てながら、キャタピラで悠然と動き出す。その様は猛猛しい。  アームが上がり、壁をぶち抜く、先ほどまで堅固に見えた外壁は砂上の楼閣の如く崩れていく。  正雄はその様子を見て、少し怖くなった。 「なんだ? 怖いのかよ?」  大工に背中を突かれチャチャをいれられる。 「怖くありませんよ」  正雄は虚勢を張り答えた。  やはり、嫌っているとはいえ、父親が遺し、己が半生を過ごした家が壊されていくのは、ちょっぴり悲しく怖くあったのだ。  正雄は解体作業による粉塵が辺りに害を為さないよう、散水の作業につかされ、路上にホースで水をまいている。  その日は日差しが強く、更に舞い上がる埃で環境は劣悪だった。それで持って散水たる機械的な作業は性に合わず、正雄は苛立ちを隠せずにいた。 「全部、親父が悪いんだ。親父が大工なんかやってたから、仕事にかまけて、オレを蔑ろにして、それでオレに因縁を押しつけて……ああ! もう、チクショウ!」  一際大きな瓦礫が落下し、地を揺るがすような轟音を響かせる。 「おい、正雄。ちょっと来い」  急に親方に呼び止められた。作業中の私語を咎められるのだろうか。  正雄はげんなりし、親方のいる解体作業中の実家へと入って行った。 「この柱は大黒柱だ。この柱はこの家で一番重要な柱だ、これがなくなれば、途端にこの家は崩れる」 「なんすか? ベンキョーですか? まどろこしいことはなしにしましょうよ」  親方は急に大黒柱について語り始めたので、正雄は怒るならトットと怒られて、それで終わりにしたかった。 「まぁ、焦るな。この大黒柱は親父さんの魂とも等しい。それ、裏を見てみろ」  正雄は言われた通り柱の裏を見る、眼前に広がる光景に正雄は膝から崩れ落ちた。  そこにはクセのある字でこう書かれていた。『正雄、愛してるぞ』と。 「これは正雄、お前の親父さんの字だ。クセの強い字だからお前でも分かるだろう」  正雄が今生で最も渇望した言葉がその大黒柱に刻まれていた。彼はただ一言、言って欲しかったのだ、その言葉を…… 「お前の親父さんは不器用だからな。己の息子にその言葉を言えるかどうか不安でしかたなかったんだ。だから、親父さんは保険をかけたんだ、この柱に文字を残すという保険をな」  正雄は涙が流れていたことに気がつく。 「オセェよ、オセェよ、なんで死んでから言うんだよ。もっと、早く言ってくれよ。そしたらオレ……」  大黒柱に抱きつき、嗚咽を漏らす。その時、不思議と自分の父親と抱擁を交わしているような、そんな感覚に正雄は襲われた。  彼はしばらく大黒柱に抱きついてやまなかった。          ○ 「これで分かっただろ、お前の親父さんがお前のこと愛していたことが」 「ええ、本当に不器用なヤツですよ。でも、なんか、スッとしました」  正雄の顔は晴れやかであった。  正雄は言われたかったのだ、ただ一言『愛している』と、子供を愛さない親がいないように、また、親を好きではない子供はいないのだ。  正雄の父親はその不器用さ故 己の正直な気持ちを伝えようとはしなかった。そのことを正雄は不安に感じていた。  しかし、それはもう今日で終わり、正雄は父親の愛情をこの目でしかと見たのだ。それまで立ち込めていた暗雲は、一陣の神風によって引き裂かれた。 「親父、オレこれから仕事頑張るよ。それで、親父みたいな偉大な大工になるんだ、でも、子供ができたら自分の気持ちは素直に伝えることにするよ」  ホースからでる水に反射し、プリズムが輝いていた。
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