大黒柱

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 正雄の実家は養生(ようじょう)と呼ばれる囲いに覆われていた。養生とは健康を気にすると言う意ではなく、建築工事などで作業箇所の周囲を保護するために貼る囲いのことである。  つまり、正雄の実家は解体されるのだ。 「自分の家を壊すのは気が引けるかもしれんが、これも仕事だ。しゃんとやれ」  解体作業を指揮する親方は正雄の肩をドンと叩く、茶色の長い前髪が揺れる。正雄は覇気のない声で返答をよこした。  正雄は解体業も兼業する大工職についていた。昨日は養生を貼り、今日は瓦を取り外す工事をする。  別に正雄は実家を壊すことに抵抗があるわけではない、むしろ。こんな家は壊れてしまえとも思っていた。彼の返答に覇気がない理由はただ一つ、単純明快である。やる気がないのだ。  正雄の家の周辺は家屋が密集しており大型クレーンを運べないので、手作業で瓦を一枚ずつ剥がしていく。  大工は淡々と丁寧に瓦を取り外し、シューターと呼ばれる滑り台に瓦を乗せトラックに送り出す。その手際は洗練されていた。  しかし、正雄はやる気のなさ故、作業が捗らない、元より彼の作業は雑極まりなく普通で有れば解雇されているところだったが、とある理由により黙認されている。  午前中の作業が終了する。大工たちは近くの路肩に座り込み、コンビニ弁当を摘みながらボヤいた。 「ったく、正雄の奴のあの雑な作業、やる気ないならやるなってんだ」 「確かにアイツの作業は杜撰極まりないが、しかし、アイツは社長の息子だ、無下にはできん」  言いながら親方が大工の隣に尻をつく。 「そうは言ってもだな、社長はもう死んでいる。今この組で一番偉いのはアンタだ、正雄をクビにしても良いんじゃねーか?」 「まぁ、焦るな。正雄だっていつか、社長のようにカッコいい男になるさ」 「そうですかねぇ?」  正雄はそんな会話を影に隠れて聞いていた。昼休憩が終わり、午後の作業に取り掛かる、と言っても変わらず瓦の取り外しだ。  大工たちは屋根に四つん這いになっている。  正雄はいつにもまして作業に集中していなかった。 「ッチ、なんで親父が社長だからってオレがクビにされねぇんだよ、オレはンなところで瓦を外してる場合じゃねーんだ」  ブツクサ文句を垂れつつ、正雄は瓦を外す。雑に外したから瓦は割れてしまった。 「おい正雄、仕事に集中できねぇんなら、下でちょっと休んでろ」  親方に言われる。正雄はいそいそと屋根から降り、路肩に寝転ぶ。額の汗を軍手で拭い、一息つき、目を瞑った。 「正雄、サボってはいけませんよ」  女声が聞こえる。正雄の頭上にいたのは正雄の母親だった。 「お袋。別にサボってるわけじゃない、作業効率を上げるために休息を取ってるだけだ」 「また、そんなこと言って。あなたがそんなんじゃ、お父さんが悲しみますよ」 「悲しむわけねぇだろ? 親父はオレの事なんてどうでもいいんだよ、仕事ができればさ」  正雄はぶっきらぼうに言い放つ、母親は眉間にシワを作って溜息をついた。 「この家は誰が作ったと思っているの? お父さんよ。お父さんがあなたのためを想って作った家よ」 「その家も今壊してるところだ。それに親父が何を思ってこの家を作ったかなんて分からないじゃないか、もう親父は死んでんだから」 「まったく、もう」  母親は呆れたように言うと、解体中の家の方へ行った、どうやら差し入れを持ってきたようだ。          ○  次の日、瓦を取る作業は満了したので、次は家の中の給湯器や窓ガラス、浴槽などを取り外す。  正雄は思い出の詰まった、シンクや風呂場の設備を壊して進んだ。正雄にとっては嫌な思い出だったからだ。父親は家庭を顧みず仕事を優先させた、正雄はそんな父親は嫌いであった。  今のこの仕事だって正雄は嫌々やっている。就職活動に失敗した正雄は仕方がなく父親の会社に入社したのだった、一番入りたくない会社に入らざるを得なかったのだ。  そんな正雄にとって、この家は忌々しき呪いにも等しかった。それを撤去するのはストレス発散と何ら変わりない。  陽が傾き、辺りが明度と彩度を落とす。正雄はそそくさと帰り支度をしていると、親方に話しかけられた。 「正雄、今日は仕事に精が出てたな」 「まぁ……早く、家壊したいっすからね」 「この家は誰が作ったか、知ってるか?」 「親父すっよね?」 「ああ、そうだ。新人の頃の俺も手伝った。自分で作ったものを自分で壊すのは少し複雑だが、お袋さんがアパートに引っ越すなら仕方なしだ」 「まぁ、ここの土地が売れれば生活が楽になるだろうし、それにバーさん一人にこの家はデカすぎる」 「正雄、お前は社長……親父さんのことどう思ってる?」 「なんでそんなこと聞くんっすか?」 「いや、まぁ、なぁ?」  親方は口ごもらせた、明確な理由は無いのだろう。意図を察知した正雄は吐き捨てるように言った。 「そりゃ聞かなくとも分かるでしょ、好きじゃありませんよ。親父はオレなんかどうでも良かったんだ、木切って、釘が打てりゃ」  親方は腕を組んで食い入るように否定する。 「それは違うな。親父さんは不器用ながらお前のことを愛していた」 「親父はオレに一度も愛してるなんて言ったことはなかった、言わずに死んだ。断言できます」  正雄は鋭い眼光で親方を睨みつけ、反論した。 「まぁいいさね、正雄。明日はいよいよ重機を用いての解体作業だ、分かったな?」 「分かってますよ」
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