1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

父は、七年前に死んだ。小さな会社の経理の仕事をしていた。穏やかな優しそうな顔を、意識すれば思い出すことができた。見た目どおり物静かな、争いごとを好まない人だったと聞いた。  そんな父が、ある日、人を殺した。路上で、帰宅途中の中学生に襲いかかり、歯で喉の血管を食いちぎり、死にいたらしめた。父はその場で死んだ被害者の腹を裂き、内蔵をひきずりだし、むさぼり喰っていたという。逮捕しようとした警察官が、二人死んだ。父を拘束するには、結局殺すしかなかった。  自分でその現場を見たわけでもないし、ニュースで映像が流れたわけでもなかったから、まるで実感がなかった。何かの間違いだろう、そう思っていた。ただ、学校に行くといじめられた。母も、つらい目にあったのだろうと思う。一年後に、生まれ育った場所を離れ、母の実家のあるこの町へ引っ越した。 「それって、普段理性的な人が、突然人が変わったようになって、子供を襲ったりするような?」 「ほら、知ってるじゃないですか」 「いや、違う、そうじゃないんだ」  とは言ったものの、何が違うか説明しようとすれば、父の話を避けては通れそうになくて、そんな話をしたら彼女も自分を化け物の一種だと思うのではないかと感じて、それ以上言えなくなった。 「きっと、個体数が増えすぎたときのための、安全装置なんですよ」 「え」 「レミングが、集団で崖から海に飛び込んだりするのと同じ。種のレベルでいうと、合理的な行動なんだと思います」 「でも、たくさん人が死ぬってことだろ」  つい、突っかかるような言い方になった。彼女は少し黙って、やがて、にっ、と挑戦的な微笑を浮かべた。 「ユーイング変異がなくったって、たくさん死んでるじゃない」  戦争、恐怖政治、凶悪犯罪、飢餓、自然災害。彼女は俺の知らない国や戦争の名前、人災や天災を数え上げた。 「まるで、人が死んだほうがいいみたいに言うんだな」 「そうよ、そう思ってるわ。あなたは違うの?」 「なんで俺が。俺の何がわかる」 「私、知ってるわよ、あなたのこと」  そう言った彼女の声は、むしろ楽しげで、悪意は感じられなかったのだが、俺はぞっとした。  頭のおかしい人殺しの子供だと、おまえ自身も頭のおかしい人殺しになるのだと、そう責められるのだと思った。  だから、それ以上言われるまえに、俺は逃げた。逃げる背中に投げつけるように、彼女が言った。 「憶えてるわ、あなたのこと」
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!