1/1
前へ
/1ページ
次へ

これは、友達の実話です。 友達目線で執筆します。 ・・・ 私のお父さんは76歳。 私は今年で28歳。 私は父が48歳の時に産まれた娘です。 お父さんは25歳の時、 23歳のお母さんと結婚しました。 お父さんが27歳の時、 お母さんのお腹に赤ちゃんができました。 2人とも貧乏だったので お母さんは臨月のギリギリまで働こうと決心していました。 陣痛がひどく、 寝れない日々が続いていました。 あまりにひどいので、 ある日産婦人科に行きました。 お母さんのお腹の中で 赤ちゃんは息絶えていました。 息子ということだけ知ることができました。 それからしばらくは 2人とも子供を授かる気になれず、 貧乏だったこともあり 毎日毎日遅くまで働きました。 いつしか、お父さんは38歳、 お母さんは36歳になっていました。 2人は子供を授かるには遅いかもしれないと 諦めていましたが、 産婦人科に相談に行くと 妊娠の可能性が低くなるだけで 妊娠できないわけじゃないと言われ 頑張ることにしました。 お父さん40歳。 お母さんに子宮内膜症が発覚しました。 近所のお婆様が、 昔は子宮内膜症の人ははちみつを食べて やわらげたのよ、といって はちみつをくれたそうです。 お母さんは あまり信じていなかったが はちみつを食べ始めてから 子宮内膜症の腫瘍はあまり大きくならなかったそうです。 それから5年の月日が経ちました。 お医者さんからも もう今年ダメなら母体も負担がかかるから 諦めたほうがいいと言われました。 そんな時、 妊娠が発覚しました。 お母さん46歳。 お父さん48歳。 それはそれはかわいい娘が産まれました。 高齢出産だった影響で 赤ちゃんは腎臓が未発達でした。 お母さんも母乳は出ませんでした。 お母さんは母乳で育てたかったようです。 だからいつも粉ミルクに 水滴ほどのなんとか絞り出した母乳を混ぜて飲ませたそうです。 あの赤ちゃんも7年経ち、 小学校入学。 お父さん55歳。 まわりの保護者から 今日はおじいちゃんと一緒なの? と聞かれて、お父さんだよ! というとみんな驚いた顔をするのが楽しかった。 お父さんは、ムッとしていた。 運動会の時、 55歳のお父さんが 30歳前後のお父さんたちに 全力で挑んでいた徒競走。 当時は楽しい感情だけだったが、 今思うと娘のために若々しくいてくれようと たくさん努力してくれて ありがとうって心の底から思う。 娘14歳。 お父さん62歳。 娘は高校受験をしたかったが、 お父さんは定年退職したことを 娘に隠していた。 お母さんはパートに出ていた。 お金の心配をかけさせたくなかったんだろう。 そんなことも知らず 娘は塾ではまじめに受けず 不真面目な友達とお喋りばかりしていた。 娘は周りのみんなが携帯を持ち始めたので 私も欲しいと頼んだが、 お父さんに断られた。 娘はお父さんが周りの家族より 考え方が古いからだと思った。 そこから娘と父の確執が始まる。 高校受験に受かったことを機に お母さんが携帯を渡してくれた。 お父さんからのプレゼントらしい。 ありがとうって お父さんに言いにいったら 携帯代はお小遣いから払え って言われ、また大喧嘩。 今思えば父が正しい。 でもあの当時は 何をしてもとにかく父と仲が悪かった。 そんなある日 父が門限を19時と言い出した。 高校生なんて みんなファミレスでご飯を食べて なんて当たり前のことだったのに それを禁止するために 門限を作られた。 その門限をすぎて家に帰ると お父さんは壁を殴って お前はくだらない娘だ!と大きな声で言った。 また別の日は、 携帯が解約されていた。 そんな日が続いたある日。 娘が失恋をした日だった。 友達に慰めてもらって、 カラオケで騒ぎたかった。 門限なんてどうでもよかった。 門限をかなりすぎた23時に帰宅した。 父は怒ってまた壁を殴っていたようだ。 娘が帰ってきたことに気がついて 父が部屋から飛び出してきた! 娘の頬を平手打ちした。 娘も泣きながら叫んだ。 もうこんな家に産まれてくるんじゃなかった! 私の辛さ、私の我慢、誰もわからない! 娘は、両親と年齢が離れすぎていること、 他の親子よりも一緒にいる時間が短いこと、 だから仲良くしたいのに うまくいかないこと、 そんないろんな葛藤を抱えていたのが爆発した。 好きにしろといって 父とはそれからしばらく話さなかった。 娘22歳。 父70歳。 娘が就職で東京へ行った。 父は体に気を付けろよ、と言い 新幹線のホームに現れた。 お父さんこそ。 お母さんも、体きをつけてね! 娘の上京を機に 親子の関係も徐々に戻り始めた。 娘は上京して知った世界があった。 田舎だと若い親子が多かったけど、 東京に出ると、年の差夫婦や、 かなり歳の離れた親子、たくさん出会った。 自分は特別な家庭の子だと思ってたけど 自分も普通の家庭の子だったんだ。 そう思うと 今までお父さんに嫌なことたくさん言って 自分が情けなくなった。 どんなに傷つけただろうか。 娘27歳。 父75歳。 ある日のお母さんとの会話だ。 『お父さん、孫の顔が見たいって言ってたわよ。それまでは長生きするって言って毎日ラジオ体操し始めたのよ』 娘27歳。 子宮内膜症発症。 『お父さんに親孝行したいな。』 娘の手術は成功したが、 全ての内膜症を取りきれなかったので 再発の可能性が高かった。 ある日、お父さんは、はちみつをお見舞いに持ってきた。 『お前が産まれてきてくれたのは、はちみつのおかげなんだよ。産まれてきてくれてありがとう。』 娘は命が生まれることの 奇跡と偉大さをその時強く感じた。 そして、 この世で父と母を 誰よりも愛している。 家族を誰よりも愛している。 そう思った。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加