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その日、毎朝の鎮静剤がいつもより強いと感じた。目を閉じればそのまま眠ってしまいそうだと思った。いつも通り、両腕を拘束され、職員に開けられた鉄扉をくぐる。目は真っ白の壁にすっかりと慣れ、いっそ飽き飽きするほどだった。何が、きちんと治療を終えて復帰しろだ、治療なんていつまでたっても始まらないじゃないか。今日も鳥人とのんびり喋って終わる一日を予想しながら、どっかと柵の前に腰を下ろした。そして鉄柵の向こう側を見遣って、六番は眉を顰めた。
ふだん、鳥人が腰掛けているあたりに、大仰な拘束椅子が据えられている。そこに、全身を投げ出すように女が座っている。鳥人よりも小柄な女だ。顔は見えず、髪はずいぶん短く切りそろえられているが、その足首や手首の華奢さから女だということはわかった。ぐったりと俯き、柵ごしにもその首の丸い骨のつらなりが見えるようだった。嫌な予感がした。両足は椅子の脚にくくりつけられ、両腕は手のひらを天井に向けた状態で、肘置きに固定されている。六番をここまで誘導した職員たちも、聞かされていなかったのか、戸惑ったように小さな声でざわついている。
ふいに、ガアンと音がしてあちら側の鉄扉が開くと、遮蔽帯と拘束具を厳重に身につけた状態の鳥人が、顔覆いをつけた職員に両肩を抱えられて現れた。
「なかなか治療が進まないので、練習台を用意しました」
気づけば六番の真後ろに、顔覆いをつけていない男が立っていた。
「そこで見ていなさい。今日はあなたの治療はしない」
外しなさい、と男は柵の向こう側に命じた。周囲の気配を察したのか、椅子に拘束されている女の頭と手先がぴくりと動いた。職員たちは、未だ慣れない手つきで鳥人の拘束具を一つずつ外していく。腕の拘束を解かれた鳥人が、みずから耳当てを外す。殆ど同時に目の遮蔽帯がほどかれ、げっそりとした鳥人の顔があらわになった。目はますます落ち窪み、瞳の濁りが汚泥のように倦んでいる。六番ははっとした。―――未だ慣れないのではない。彼らは毎日、違う職員なのだ。今日の職員は、手順を誤った。鳥人はいつも、目、頭、耳、最後に腕の順に拘束を解かれていたはずだ。今日は、頭を解く前に腕の拘束具が外されてしまった。
どうりで毎日、同じ手順で解かれるはずの鳥人の拘束にぐずぐずと時間がかかるわけだ。―――でもなぜ? 六番は訝しんだ。なぜわざわざ、毎日違う職員にこれの相手をさせるのだろう。
「さあ、彼女を起こしなさい。」
六番の背後で、顔覆いをつけていない男が今度は椅子のほうを指差す。職員の一人が、椅子にぐったりと沈んでいる女の右腕に触れた。その途端、弾かれるように女が頭を起こした。激しく頭を振るのではっきりとは見えなかったが、黒の遮蔽帯でしっかりと覆われ、口元には棒が噛ませてある。乱雑に切られた髪の毛が、汗で顔や額に張り付いている。触られることを極端に恐れるように、女は唸り声をあげて身をよじった。
「何を、」見させられているんだ、俺は。
六番は、今ひとつ覚醒しない頭のまま、顔覆いをつけていない男を見上げて言った。鎮静剤のせいで、立ち上がるのも億劫だった。
「受けてもらう予定の治療ですよ。見ていてくださいね。」
◇
ふー、ふー、という女のくぐもった荒い呼吸と、拘束具の金属が椅子にあたる乾いた音が響く。鳥人は、そんな光景を前にしても化石したように動かない。顔覆いをしていない男が鷹揚に指示をする。
「はやく、口のそれを外してやりなさい。可哀想でしょう」
職員たちは女の首の後ろで結ばれている口枷の紐を解こうとするが、気配を察したらしい女がまた再び頭を振って暴れ、うまくいかない。職員の一人が女の頭を抱えるように押さえつけ、固定する。女は激しく叫びながら、椅子に括り付けられて持ち上がらない腕を、手首を回して拒絶を表現した。口枷がようやく外れ、うっすら血の混じった涎がぼたぼたと女の胸のあたりに落ちた。女は肩で息をしながら、顔を上げた。
突然、猛烈に、やめて欲しいと思った。六番はどうしてもそれを見たくないと思った。全身から焦燥が湧き上がるのを感じた。身をよじって暴れた拍子に、見えてしまったのだ。女の手首から肘まである長い傷。あれは間違いなく、六番が以前、自室の部屋付きに誤って負わせた怪我のあとだ。そこで体を固定され、獣のように暴れ、薬剤を打たれ、鳥人による訳の分からない「治療」を受けるのは六番の部屋付きの召使いだ。六番に故郷の話をせがむ顔が鮮明に浮かんだ。頭の血管が裂けるほどに、急速に覚醒した。
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