冷たい夏

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冷たい夏

   初夏。紫陽花の咲く季節。  じわりと湿度が鬱陶しく、湿った臭いは鼻に付く。  ヒールは濡れるし、ストッキングも水気を持って気持ち悪い。  勢いよく走り去った車には、無駄な睨みを利かせて溜息。  時刻は、昼過ぎ。  私は今、式場から帰って来た。白い傘が、頭上でバタバタ鳴っている。グレーパールのネックレスに、黒のフォーマルワンピース。動きづらいが、仕方ない。  もうすぐ家だ。家だけど、ほんの少し遠回り。  日課を済ませなくてはいけない。どんな天気であろうとも、これは一生欠かさない。  亡くなったのは、同級生の友人だった。あまり体が丈夫でなくて、学生時代も学校を休みがちだった。  社会人になってから、何人かと集まって食事に行ったり、酒を飲んだりもしていたが、その友人だけは飲酒を控え、油の多い物は控え、タバコも厳禁。体力が無いので帰宅も早い。とにかく制限が多かった。  そんなだから、周りもあまり誘わなくなり、疎遠になった。だが私は時々連絡を取り、予定が合わないか尋ね続けた。しかし二十五歳になった年から、友人の容体は急変し、なかなか会えなくなっていた。  その内、友人は入院した。連絡が途絶える事も増え、遂に私も、疎遠になった。  一応、長い付き合いだった。気を遣うのが面倒だからと周りが嫌煙していく中で、私だけは、寄り添いたいと思っていた。頑張っていたのを知っていた。人より劣っているのだと、嘆くさまを見続けてきた。私達は、いわゆる親友、だったのかも。しれなかった。  見舞いに行っても、眠っている。  疲れていると、面会自体を断られる。  会う回数も、連絡を取る回数も減る。  私は会社の体制が変わり、急にとても忙しくなる。  疎遠ではない。忙しかっただけなのだ。  だから少し、忘れてしまっただけなのだ。  労りの言葉を紡ぐのが、しんどい日だってあったのだ。  それがどう、響いてしまったかは分からない。  訃報は突然やって来た。  特別親しい友人であった私には、出来れば参列してほしい、と。  こっそり書いていたらしい遺書に、私の連絡先を記して、それを見たご両親から電話が来た。  合併症を引き起こし、あっという間に死んでしまったと教えてもらった。 『あなただけが、娘を構ってくれていた』 『感謝してもしきれない。ぜひ、最後に、顔を見せてやってほしい』  悲しみよりも、罪悪感でいっぱいだった。  ──どのツラ下げて行けば良い?  そして私は、友人の眠る棺の前で。  謝罪の言葉が罪に感じて。  ロクな事も思えずに。  形式上の祈りだけして。  冷えた心を背負ったまま、今、帰路についている。  
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