微罪

2/2
前へ
/16ページ
次へ
「ふぅ……」  その晩、俺が事務所に戻ってきたのは深夜……というより、そろそろ夜が明けようかという時間だった。  机にカバンをドサリと置き、いつものようにレザーチェアに身を投げる。 「しかし……」  疲れ切った背中を背もたれに預けたまま、俺は天井を見上げた。 「どうして、的梨先生は俺を挑発するんだ?……ねぇ、先生。いるんでしょ?そこに」  俺の呼びかけに、ソファーの上の影がすぅ……と濃くなる。 《くくく……よく分かったな》  どっかりと座る、その姿は間違いなく的梨先生だ。 「……分かりますよ。一応これでも『心霊裁判官』なんでね」  座ったまま、俺は視線だけをそっちに向ける。 《そうか? 色々試してみて……透明度が99.7%を超えると、ベテランの心霊裁判官でも『見逃す』と判断したのだがね》   「まぁ、そんな事はどうでも良いことですよ」  ギィ……と椅子を揺らし、俺は身体を少し前のめりに倒した。 「何で、『こんな事』をしてるんです?先生は。そもそも先生は、そうした霊を『取り締まる立場』じゃなかったですか」 《くくく……それは私が生きていた時の話だ。こうして霊になってしまえば立場が変わる。人間……いや、霊でも立場が変われば意見や主義主張が変わって然るべきよ》  ニヤニヤと嗤う姿は、さも『当たり前だろ』と言わんばかりだ。 「……先生は何がしたいんです?」  問題は、それだ。単に遊んでいるようにも見えないが。 《ああ、理由か。単純な話だよ、鬼主君。君達のような心霊裁判官は心霊裁判だけではなく、霊の法律相談も請け負っているだろう? しかしだな、君達はそれでも『生きている立場』だ。本来『霊』の立場に立ってアドバイスをするのならやはり同じ『霊』である者の方が適任だと思わないかね?》 「まさか……」  背筋に寒気が走る。 《その通りさ。ワシはこうして『ギリギリ』を攻める事で、『今の法レベルなら何処まで攻め込めるのか』を実体験として蓄積しているのさ。その上で霊達の相談を受け付ける……と》  それはつまり、今後こうした『ギリギリを攻める』怨霊が激増する危険性を意味していると言って過言ではない。 「先生……あなた、自分が何を言っているのか分かってるんでしょうね?」  ジリ……と身体を椅子から浮かす。 《ふん! それがどうした。『可哀想な霊達』を理不尽な法律から守るために仕事するのだ。きっと多くの霊達から感謝されると思うがね?》  ……不味い。これを放置すると最悪の場合、折角の心霊現象規制法が有名無実になってしまう可能性すらある! 何しろ相手は規制法施行当初から関わってきた大ベテランなのだから。  ぐっ……どうするか。  強く握りしめる左手が震える。だが、こうして何もせず『座っているだけの相手』を取り締まる法律は無いのだ。  何とかして……今は、少しでも時間を稼ぐしかあるまいっ! 《そして……更に言えば、だ》  余裕を全面に見せつけ、先生が顎を突き上げる。 《いずれそうして今の心霊現象規制法は機能しなくなるだろう……そこからが本番よ》  黒い霊体の眼をカッと見開き、先生が大きく口を開けて嘲笑う。 《そうなれば、政府や心霊庁の小役人どもはワシに『話し合い』を持ちかけざるを得なくなる! そうしたら『交渉』だ。今の一方的に霊が潰される法律をイチから全て作り直し、新しい『協調の世界』を作るのさ! 心霊と、人間の!》 「ふ……ざけるんじゃぁねぇ」  すっくと、俺は椅子から立ち上がった。 「何が『共存』だよ! あんたはそうして霊にとって一方的に都合のいい世界を作ろうとしているだけじゃないか!」 《はっ! それがどうした? この世界はね『正義が勝つ』んじゃない。『勝った者が正義』なのさ!》  ……よし、『間に合った』! 「おらぁ! 何時まで隠れてやがるっ! とっと出てこい、この『役立たず』がぁ!」 「は……はひぃ!」  俺の怒鳴り声に、ルナがミニキッチンから這いずり出てきた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

91人が本棚に入れています
本棚に追加