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「ふぅ……」
ひとつ小さく息を吐き、俺は『紙一枚』となった怨霊を床から拾い上げた。そしてそれを専用の革袋に収め、元に戻った心霊木槌を腰の組紐につけ直す。
「あの……もうこれで大丈夫なんでしょうか?」
『原告』である依頼人の女性が、おずおずと俺の方へとやって来る。
「ええ、もう大丈夫です。……『この怨霊』は、あなたの元・ストーカーだったとか?」
今となっては、もはや何も出来ない唯の紙になってしまったが。
「ええ……そうなんです。『付き合ってくれないなら自殺する』とか言ってたんですが、怖くて放置してたんです。警察にも相談はしてたんですが……警察では接近禁止くらいしか対処出来なくて。そしたら、ホントに自殺をして……」
女性が薄気味悪そうな目で革袋を見つめる。
「ま……封印100年ですから、これでもうあなたが生きている間に復活する事は無いでしょう。……おい! 帰るぞ、ルナ!」
心霊裁判官としての正装である黒の地に金の縁取りが施されたローブをフワリと翻し、頼りない役立たずの助手の方を振り返ると。
「は……はひぃ……」
ルナはフローリングの床にペタンと座り込んだまま、腑抜けた顔で返事を返した。
「……まったく、何やってんだよ。お前、俺の助手だろ? 『心霊体験』なんてもう何回も遭遇してるじゃねぇか、もういい加減慣れろ馬鹿者め! これじゃぁ、どっちが原告か分かったもんじゃねぇ」
ズカズカと大股でルナの元に近寄り「おら、立て!」と言いながら腕を取って引っ張り上げる。
「うわっ……!」
バランスを崩しひっくり返りそうになりながら、慌ててルナが立ち上がった。
「あ、あの……どうもすいません!」
ようやく正気に返ったか、ルナは原告の女性にペコリと頭を下げる。
「こ、これで、閉廷となります。それでまた後日、裁判の記録に捺印を頂くための書類をお送りしますから、それに署名と捺印をしてウチの事務所『鬼主法律事務所』の所属弁護士をしている私、『犬屋敷ルナ』宛まで返送してください……」
それは、今から50年程前の事である。
増え続ける心霊現象による国民の不安や恐怖、実被害などが国全体で大きな社会問題となっていた。
そのため、時の政府は物の怪を祓う陰陽道の継承者と手を組み『一定以上の霊障を起こした場合に限って、これを処罰する力を貸す』という取り決めをしたのだ。
これが世に言う『心霊現象規制法』が発足した切っ掛けであった。
陰陽師は、その強大かつ絶対的な力を依代となる心霊木槌に込めて選ばれた心霊裁判官に貸与する。
心霊裁判官はその力を行使して各地で跋扈する怨霊を祓い、封印するのだ。
心霊裁判に開廷するには心霊裁判官の他に、当該被害者となる『原告』、原因となっている被告の怨霊、そしてその心霊裁判が正規の手続きを踏んだものである事を証明する弁護士の立ち会いが必要、と定められている。
「それにしても……」
マンションのエレベータで30階から降りる途中、ルナが目の下に隈の目立つ疲れた顔で『革袋』を嫌そうに見ながら呟いた。
「毎回思うんですけど、あの『弁明の機会』って必要なんですか? まともに喋れるほど自我が残っているのに暴れる怨霊なんて、聞いた事がないんですけど?」
「まぁ……そうだな。実際のところ、強い霊力を発揮して暴れる霊のほとんどは自我がトンでるし。だが、心霊庁の役人が言うには『ごく稀に完璧に話の出来る狂暴な怨霊が確認されている』んだそうな。ま、そういう霊害ならぬ例外がいるってんなら、仕方あるまいよ。……何しろ『法律』なんでな」
エレベータが地上に到着し、ドアが開く。
「さぁ帰るぞ! 今晩は遅せぇから、明日の出勤は10時にマケといてやる」
「ええ! 10時ぃ? ちょっと待ってください! 今何時だと思ってるんですか?! せめてもう少し……」
腕時計を指差してぎゃぁぎゃぁ騒ぐルナを尻目に、俺は「じゃぁな」とだけ挨拶して愛車へ乗り込む。
決まった『判決』に、不服なぞ棄却でよいのだ。
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