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10、草原の国の使者①
ロゼリアは義務は果たしたと思う。
アデールからの人たちとの繰り返される挨拶とほほえみの時間を無事に何とかやり過ごせたと思う。
昼からは他国からの使者もくるという。
王城の謁見の間は改められ、他国からの使者を受け入れても恥ずかしくないような改まったものに整えられ直している。
「ロゼリア、良く頑張りました。もう少しですから、昼からもよろしく頼みますよ」
母のセーラ王妃が言う。
母は本当に自分のことをよく分かっているとロゼリアは思う。
あえて、午後もでなさいと念押しをするところである。
「そのつもりはあるのですが、途中から、なんだか少し気分が悪いのです。人酔いでもしたのでしょうか。少し休んで様子をみますがちょっと、、、」
姫モードで気分のすぐれないふりをする。
体調が悪くなるようなロゼリアではない。
アンジュが心配げにのぞき込むが、はっと目を見開いた。
気弱で殊勝な言葉と裏腹にロゼリアの目に、鬱鬱とくすぶる欲求不満を見たのだった。
「お兄さま、、わたくし、昼から出れないようでしたら後はお越しくださった方に、わたくしに替わってご挨拶をよろしくお願いいたします」
父母にも聞こえるように言う。
王子として自由に歩きまわり利発で生き生きとした姿を見せつける日々を送っていたロゼリアには、今日の笑顔の初日は拷問以外に何物でもなかったのだ。
「ああ、わかった。無理しないように。僕に任せて」
アンジュは口元を引き締めた。
アンジュの王子デビューの一日はロゼリアのようには一抜けたということはできない。
言うべき言葉はそれだけだったのだ。
ロゼリアは足早に廊下を渡る。
他国からの使者が既に続々と到着しているようである。
到着の度に、国名とその来訪者の名前と役職を告げる大音声が発せられている。
ナミビア国の使者の宰相。
エリン国の使者である騎士。
エール国の使者である騎士、、、。
例年になく他国からの使者が多い。
それは、単なる祭りの表敬訪問以外の目的がある。
アデール国の民の独身男女が王城に押しかけたのと同様に、彼らは16になったアデールの双子の王子や姫をその目で確認をしに来たのだ。
そして、ロゼリアに婚姻の申し込みなどもなされるのであろう。
16歳とはそういう年齢なのである。
ロゼリアはエール国の来訪が、エールの王子でないことに心に冷たい風が吹き込んだような気がした。
エール国のジルコン王子。
あの子供心に黒髪でカッコいい、穴蔵に落ち込んだロゼリアをずっとその胸に引き寄せて温め励ましてくれた王子さまは、初恋の思い出として強烈に焼き付いている。
お嫁さんにしてくれると約束したのだ。
アンジュ王子として振舞いながらも、ロゼリアの心は7ツの時のジルコン王子への恋心を抱き続けた。
あれから、エール国は田舎のアデール国のような小国だったところから、フォレス王の手腕により強国にのし上がっていった。
森と平野の国々を実質的に支配するような大国となっている。
アデール国は相変わらずこじんまりとして、他国からは攻められもせず攻めもせずの中立を保っているのだけれど、いつか、あの約束を果たしに来てくれると、なんとなくそう思っているところがあった。
今日はそのロゼリアの、記念すべき16の誕生日なのだ。
ジルコン王子本人が正式に結婚を申し込みに来たら、ロゼリアは即座に受け入れるつもりだった。
受け入れるというのもおかしなことだとも思う。
7つのあの夜に既に、二人の間では結婚の約束をしたのだから。
だから、ジルコン王子ではなくて、彼の騎士が使者としてくることに落胆の気持ちを隠せなかった。
王子として何か済ませるべき緊急の所要が発生したりすれば、こんな辺境の国にきたくても来れないのかもしれない。
そう来れない自分にとって都合のよい理由をロゼリアは思うが、もう一つの可能性もぬぐうことはできなかった。
それは、あの頃よりもますます素敵度を増したジルコン王子が、別の姫と恋仲になっているのではないか。
姫でなくても側近の娘とか、将軍の娘とか、豪商の娘とか、そういった娘たちはジルコンをほっておかないのではないか。
そして、ロゼリアのことなど実はとうに忘れてしまっているのではないか、と。
無性にディーンに会いたくなる。
ディーンなら自分の女の姿をみてどう思うのかその感想を聞きたくなった。
ディーンは祭りも関係なしに、自分の修練場にいるはずだと思う。
こっそり抜け出そうか。
いたずら気な気持ちが起こる。
フラウは必死についてくる。
「姫さま、お昼はどうされるのですか。というか、なにか姫らしからぬ物騒なことを考えているわけではございませんよね」
「物騒なこととは?」
「それは、王城を抜け出すとか」
あははっとロゼリアは笑った。
もちろんその笑みは姫としての笑みではない。
本当によくできたロゼリア付きだと思う。
「わたくしがそのようなはしたないことをすると思うのですか」
言葉だけは取り繕う。
何人かの他国の使者とすれ違うが、フラウに唖然とされながらもその時には脇によりしっかりと頭を下げてやり過ごす。
彼らはシンプルなワンピースで大股に歩くロゼリアが、今から会いに行くアデールの姫だということに気が付かなかった。
城を抜けると、城門はすぐそこだった。
城門の脇の門番が使う小さな勝手扉をくぐろうと思う。
今日は賓客も一般客も多くて、門番たちはそちらにかかりきりだった。
フラウは何気ないふうを装い目立たないように気を付けながらも、穏便に引きとどめようとする。
「姫さま、駄目ですから。今日は大人しく王城にいてください。外は、ぜったいに駄目ですから」
「ちょっといつものところに行って帰ってくるだけだから」
「だから、それが駄目なんですって。姫さまが聞いてくださらないようでしたら、衛兵を呼びますよ」
ロゼリアが勝手口に手を掛けてくぐろうとしてフラウと小さな押し問答をしているとき、正式な城門の方で大きなざわめきが起こる。
「パジャン国からの使者だ!」
来訪を告げる儀礼的な発生ではなく警戒を促す怒声に、その場は騒然とする。
「パジャン国だって?」
ロゼリアは門をくぐろうとしていたことも忘れた。
パジャン国はアデールの背後を守る切り立った山岳の向こうに広がる岩と草原の国。
草原の国々もそれぞれ国土は広いが、森と平野の国々と同様に小競合いを続けているという。
その中で、この十数年の間に力をつけてきたのは、森と平野の国々ではエール国であり草原の国々の中ではパジャン国であった。
エール国を代表する同盟国と、パジャン国を代表する草原の国々では、限られた地域の小国の小競合いに決着をつけた。彼らは視野を大きく広げ、この地続きの大陸を支配するのはどちらの勢力であるのかを力で主張をしはじめる、新たな二強の勢力争いという段階へ進んでいるのだった。
アデール国はエール国陣営に入るといえる。
エール国とパジャン国は宣戦布告はしていないが、国境線でのいざこざはすでに発生している。
対立の様相ははっきりとしている。
パジャン国の使者は敵国の陣地に乗り込んできたといえるのだった。
そのために、城門は彼らの入城を扱いかねたのだ。
招かれざる客とはこのことだった。
パジャンの使者は二人。
大きな軍馬に乗る。
皮をふんだんに使った靴に籠手に腰に帯びた短剣の鞘。
防寒を兼ねた白いテンの毛皮の胴着を纏う。
立てられた襟や膨らんだ袖口には見事な刺繍が施されている。
馬の背には短弓と矢が束ねられていた。
見慣れない衣装に、見事な乗馬姿。
見るからに異国人だった。
歓待されない怒気が体から湯気になって立ち上っているようだった。
ことさら異様さを際立たせているのは、草木で染めた布を目から下半分を覆面マスクのように覆っていることだった。
そして馬上から降りないということ。
「下馬せよ!そして顔を見せよ!お前たち、言葉が通じないのか!」
駆け付けた衛兵たちが、門番に助太刀に入ってる。
身振りで降りよと示すが、パジャンの二人は全く理解した様子はなかった。
衛兵たちは、手に持った槍を突きつけることはないが、何か予測不能なことをすれば、手に持った槍で応戦することも厭わない極度に緊張した面持ちである。
「通訳はまだかっ」
駆け付けた衛兵隊長は声を荒げた。
「今、呼んでおりますっ!」
城門での騒動のために、一般の訪問者たちも遠巻きに集まり始めている。
慌てふためいているのはアデールの側だった。
馬を降りようとしないパジャン国の使者は無言で落ち着いている。
ロゼリアはこの騒ぎの間に門をすり抜けることもできたのだが、この招かれざる鞍上の客に興味を持つ。
冒険と波乱な出来事は、鄙びた森の国ではそうそうないからだ。
この城を抜け出そうとしたのも、城の奥で大切に守られるほほえみの姫という型にはまった役割を演じ続けなければならない今後の人生から逃げ出したくなったからだった。
「パジャン国、、、」
ロゼリアはバランスよく馬にのる姿を見た。
先頭の男は年配だった。顔は見えないが40代だろう。
その後ろの男はまだ若いと思う。
見るからに強くしなやかそうな体つきをしている。
茶褐色の髪をざっくりと後ろで束ねている。
年配の男の髪も薄いが後ろで結ぶ。
パジャン国の男が髪を伸ばす風習があることを知る。
森と平野の国では、男だと成人すれば髪を短く切ることも多い。
彼らは二人だけで山岳をこえてきたのだろうか。
何のために?
この数年パジャンからの使者はない。
彼らが乗るのは強く機敏そうな馬である。
彼らが得意とするのは騎馬での襲撃。
強弓でのねらいすませた一撃。
歯向かうものは容赦なく殺し、女は生け捕るという。
草原の国の者たちは残虐で残忍という噂であった。
後方の若者がロゼリアに視線を向けた。
澄んだ新緑の色だった。
風が異国のスパイスの香りを運ぶ。
ロゼリアはその緑の目が美しいなと思ったのだった。
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