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15、逃避②
「まるでそっくりなはずだわ」
そう言うと、お前は馬鹿かといわんばかりにディーンは鼻で笑った。
眩しそうに目を細めた。
「今日、カフェの扉を開けた時からわかったよ。虹彩の色味の微妙な違いがどうとかといったそういう見た目の違いではなくて、身体全体から発する輝きといったものが、あんたとアンではまるで違う。
お前たちは、まとわせている色が違うんだ。それは空気を振動させる。あんたがいると場の空気が変わる」
「それは、そんなこと、ありえないわ。わたしは発光する蛍でも、羽を震わせる虫でもないのだから」
赤毛の男は思案顔になる。
「そうだな、普通はわからないかも。これは生きるか死ぬかの戦場を生き延びるために身に付けたようなものかも。
そいつが敵か、味方か、信用にたるものか、そうでないか。それを、言葉や表情以外のもので、直感的に判断をくだせないと、生き残れないからな。そして俺は何度もそういう死地をからくも潜り抜けて生きてここにいるわけだし」
ディーンは手を伸ばしてがしがしとロゼリアの頭を撫でた。
きつく編み込んだ三つ編みがぐちゃぐちゃになるのもお構いなしである。
彼が、稽古以外にロゼリアに触れることができることはここまでだった。
「だから、そういう者以外にはわからないということで、しばらくは安心しとけ。
ただ、俺にはあんたがどういう恰好をしてようと、女にしか見えないことは覚えておけ。それに近づくといい匂いがするしな」
「うわ、オヤジくさっ」
居心地が悪くなってロゼリアの顔が一気に赤くなった。
ははっとディーンは笑う。
「大人しく、どこかの王子さまと結婚しとけ!」
「なんでわかる、、」
「完全にロゼリア姫になったら、おおかた周囲から結婚相手を選べとか迫られたんだろう?」
「結婚なんて、全く考えられない。ラブレターの束をみたら背筋におぞけが走るんだ」
「束だって?」
ロゼリアは親指と人さし指を思いっきり広げた。
「これぐらいある。いくつか読んだら、陳腐な賛辞の嵐で笑える」
苦虫をかみつぶしたようなロゼリアと対照的に、ディーンは大口をあけて豪快に笑った。
「お転婆な姫さんもてるな!」
「でもあのラブレターはアンジュに向けられたものだと思うし」
ほとんどがアンジュの姫への愛の告白なのだ。
今の姫の大人しくて優しくて美しいという評判を作ったのはアンジュである。
実際のロゼリアはアンジュにはなれないのだ。
本当のロゼリアを知れば違いすぎて幻滅するだろうと思う。
「母は、わたしにデートしまくれと。それが17になるまでの仕事だと。わたしが選んだ相手なら、どんな男でも結婚をするのを許すと母は言っている」
ディーンは口元をほころばせ、ロゼリアを楽し気に覗き込んだ。
何を次に言おうとしているかがわかるのは、付き合いが長いからだろうか?
「別にあんたとデートして自由恋愛するつもりはないから安心して!」
ふたたび豪快にディーンは笑ったのである。
二人は今度は剣を握りむかい合う。
間合いを図りながらも、会話は続く。
「安心もなにも、俺はほやせっぽっちのガキなんか趣味ではないし、基本、どこにでもいく根なし草だ。
金の為に命のやり取りをする。それに年だって10も違うし、お前の側からも俺側からも対象にはなり得ないだろ?」
二人は距離を取り、剣先を揺すりながら相手の隙を誘いあう。
会話でさえも、隙を生ませる罠である。
何度も位置を変えながら打ち込みあった。
「、、、今まで結婚はしたことがあるの?」
「、、、ある」
とたんにロゼリアの腕が重く下がる。
その隙をつくには、ディーンはロゼリアに甘い師匠であった。
その代わりに、狙い済ました響く一点を愛娘弟子に狙われてしまう。
固い石を割る「目」があるように、剣にも打たれると大きく震動する一点、「目」がある。
そこを狙われると、大の男でも柄を握っていられない。
そこを見極めて狙えるのはほんの一握りの者。
ロゼリアは力では負ける分、剣のバランスを何年もかけて読む力をみがいていた。
その技を磨けたのは、ディーンがその達人であり、指導した賜物であった。
「つうッ」
呻き、剣を持っていた側の肘をディーンは押さえた。
そのしびれ緩んだ固い手の平の中で、柄は踊るように弾み、生き物のように手から飛び落ちた。
ディーンの目の前には、男装でありながらも、かすかに女の色香をまといはじめたディーンの勇ましい姫が仁王立つ。
喉元に剣を突きつけ、さらにディーンの顔をあげさせた。
汗を滝のようにしたたらせ、胸をはずませ己を見下ろすロゼリアをディーンは壮絶に美しいと思わざるを得なかった。
12の時から4年の間、修練の日々をディーンは思い返した。
毎日毎日、その変化を目の当たりにしてきたのだ。
細っぽっちの少女か少年かわからないような二人は、教科書の中から出てきたような優等生だった。
ディーンは彼らをゆさぶり翻弄した。
ありえない攻撃に、涙を流して悔しがるのを見るのも楽しかった。
次第に、型を外すことを覚えた。
自信が彼らに凛とした美しさを添えていく。
血なまぐさい戦場と対極の美。
彼らが光を命として生きる物であれば、ディーンは恐怖と血を命として生き延びてきた闇に属するものなのだ。
ディーンは子供たちがよく歌っているざれ唄を思い出した。
肌は淡雪のように薄く繊細で艶やか
唇は心を解きほぐす
声は胸に染みとおる
髪は黄金の絹糸
口づけをして罰を受けたもの数知れず
その目を覗き込んではいけない
心を盗まれてしまうよ
麗しきアデールの双子
アデールの赤に頬をそめるアンジュとロゼリア
そんな二人を日々に接して、ディーンが心を揺さぶられないなんてことはないではないか。
その目だって、不用意に何度も何百回も覗き込んでしまった。
眼の虹彩にある星のような黒点だって知っている。
愛情がわかないなんてことがあるだろうか?
ざれ唄のごとく、双子は、とくにロゼリアは、ディーンを我知らずどこまでも甘い男にさせてしまう。
「、、よくやった。さっきの言葉は撤回する。もうここには来るな」
「え、、、どうして?さっきはいいって、、、」
ロゼリアに浮かんだ傷ついた表情から、ディーンは目をそらした。
己が苦しくなったことを悟られるのを避けたのだ。
傭兵家業の自分には、この地の生活は居心地が良すぎた。
ふたりの成長をこの手で促し、間近で目の当たりにできる生活は本当に楽しかった。
これ以上留まると、命よりも大事なものができてしまう予感があった。
そうなれば傭兵家業などつづけていられないではないかとディーンは思う。
ロゼリアに忠誠と愛を誓う、ただの盾、一振りの剣、ただの戦士になってしまいそうな予感があった。
ディーンには、愛する妻を失った悲しみをもう一度繰り返すことには耐えられそうになかった。
それに、ロゼリアが自分に向ける愛情は師弟愛に近いものだと思う。
それを、敢えて自分から、狂おしく相手を求めるような愛へと変化させることもなかった。
女のぬくもりはたまゆらの安らぎ。
どの女でも同じものである。
それだけで十分だった。
ディーンは次の土地に移る時期が来たことを知ったのだった。
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