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16、エール国王子の来訪①
強国エール国のジルコン王子が辺境のアデール王国を御自ら来訪する。
国境の端にある物見の砦から、急を告げる伝令の鳥が王城へ飛ぶ。
それは丁度、ロゼリアがアンジュと入れ替わってディーンと手合わせをしていた、その日の午後であった。
ディーンの鍛練場には、王騎士のセプターが血相を変えて馬を走らせ門をくぐった。
ふたりの鍛錬は外から中へと場所を変え続いていた。
中だといっても外とはつながっているようなものである。
床が僅かに高く、屋根が付いていて、その中と外を区切る仕切りはすべて取り払われていた。
その中で、ロゼリアがディーンの手首をその背中にひねり上げて関節技を確認していた。
ふたりの姿が確認できる外の鍛錬場に、セプターは馬を乱雑に乗り入れた。
「おい、お前、神聖な道場だぞっ。馬で乗りつけるヤツはあるか!」
ぶるっと体を震わせて、ロゼリアの関節技をいともたやすくディーンは逃れた。
ロゼリアが無礼な行いに抗議の声をあげる前に、ディーンが侵入者に一喝した。
ロゼリアはちっと舌打ちがしたいほど、師匠は関節技をきめられたふりをする。
練習とはいえ、こんなに簡単に逃れられると、関節技を覚えることが、あまり意味がないような気もするのだ。
実際にそう訴えたこともある。
ディーンはその時、愚かものだな、ロゼリアとアンジュを見下ろした。
師匠曰く、不意打ちで一瞬でもきめられれば、相手から逃れられる隙ができるのだという。
だから、様々な関節技に入れる形を覚えることに意味があるのだという。
ディーンの剣幕を前に、セプターは形ばかり飛び降りた。
「アンジュさま!やはりここでしたか!早くご自分の馬に乗ってください!」
「一体何が起こったんだ?」
「エール国の王子が国境の砦に到着されました。ベルゼ王はもう向かわれておりますから、アンジュさまも早く後を追ってください!」
セプターの門を馬に乗ったまま入るという礼儀を無視したその取り乱しようは当然ともいえた。
今や森と平野の小国を次々とその勢力下に飲み込んでいる強国エール国と、もう何十年も激変もなく古くからの生活を続ける辺境の小国、アデール国との力関係は、誰の目にも明らか。
そのエール国の王子が御自ら歩を進めたのならば、王城で彼らを悠然と待つ選択肢はない。
最恵国として遇して、王とその世継ぎの王子が国境の砦まで迎えに行くべきであった。
強国は、中立を保つアデール国を力でねじ伏せることも可能である。
セプターはロゼリアが乗ってきた馬を駆け足で曳いてくる。
彼は完全に勘違いをしていた。
彼が王子だと思っているのは、アンジュとほんの午後の間だけ入れ替わったロゼリアなのだ。
ロゼリアはその勢いに自分がロゼリアだと言い損ねてしまう。
「おい、こいつは行かないぜ?というのも、、、」
「ディーン、黙れ」
ロゼリアは制した。
もう準備は整い、あとは馬に乗って砦まで森を抜けるだけなのである。
数週間前までアンジュ王子として必要とされること全てロゼリアが行っていたのである。
16歳となってもあの頃と外見も何もかわらない。
現に、セプターは自分をアンジュと信じて疑わないではないか。
それに、エール国の王子が、このタイミングで訪問する意味は一つしかないではないか。
朝に読んだ彼からの手紙を思い出す。
約束したことを覚えてるか?
もちろん覚えている。
それは結婚の約束である。
そしてじきに迎えに行く、待っていてほしい。
そうジルコン王子は締めくくっていたのではないか。
つまり、エールの王子ジルコンの来訪の目的は、ロゼリアを妻として迎えに来たのだ。
一刻も早く10年近くぶりに彼と会ってみたかった。
迎えに来られた姫として会うことを思うと、どうしていいかわからない。
初恋の人に会うのは恥ずかしくて気が引ける気持ちと、どうしようもなく会ってみたいと思う昂る気持がせめぎ合った。
姫扱いされず、王子としての恰好であえば、気恥ずかしさも紛れるのではないかと思う。
再会の始めだけ、姫であることを隠して、アンジュ王子として会えばいいではないか?
ジルコンは、姫と王子が入れ替わってることなど気が付かないはずである。
双子は鏡を映したようにそっくりなのだから。
そんな、誘惑がロゼリアを揺さぶった。
一回だけなら許される気がした。
アンジュが行くのなら、もう一度セプターは来た道を引き換えし、アンジュが王子に戻る準備を待ち、それから出発しなければならなくなる。
そうすると、ヘタをすれば1時間以上ここに足止めされる場合もあるのだ。
だが、王子姿のロゼリアなら。
迎えに行き、馬を並べて城まで同道するだけなのだ。
馬上での会話など大したことはできない。
そして王城に戻ってすぐに、姫となっているアンジュと元通りに入れ替わればいいのだ。
きれいに整えた姫としてジルコンの結婚の申し込みを、笑顔で受けるのだ。
今日でアンジュの振りは最後になるのだ。
躊躇するのも一瞬だけ。
覚悟を決めた。
ロゼリアはアンジュの愛馬に飛び乗った。
「アン、気を付けろ!持っていけ!」
連れだって駆けようとしたロゼリアにディーンが剣を投げた。
大きな弧を描いてそれは飛ぶ。
ロゼリアは振り向きざまに、空でつかんだ。
すぐさまそれが何かロゼリアには理解ができた。
装飾をできるだけ省いた飾り物ではない本物の剣。
ディーンと共にいくつもの戦場を駆け抜け血を吸った相棒である。
ロゼリアは帯刀していなかったのだ。
「こんな大事なもの受け取れない」
「いいから。役に立たないことを祈っている!」
セプターがいらいらと待っていた。
ディーンの剣は使い込まれていて、王子が持つのに相応しいものであるとは言えなかった。
剣を寄越したのは、危険をかぎ取る傭兵の勘とでもいったもの。
強国の王子がどれだけ護衛をつれてやってきているかはわからないが、力に物を言わせる国の王子なのである。
彼らがこの前来たようなただの外国からの使者ではないのだ。
そんなことはロゼリアにはよぎりもしなかった。
ロゼリアはありがたくディーンの剣を腰にさし、セプターの後を追ったのだった。
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