ドッペルゲンガーは今日も逝けない

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「ちょっと! あなた……!」  彼が教室を出てからすぐに追いかけたはずなのに、随分離れた場所まで移動していた。呼び止めようにも名前がわからない。おそらく兄弟なので「高崎くん」なのだろうか。いや、間違っていると恥ずかしいので、頑張って追いかけることにしよう。  一階へ降りたところで、ようやく追いつけた。てか、どんだけ足速いんだよ……! 息を整えるように数回大きく呼吸をする。 「あなたも転校生なんでしょ? なんで自己紹介しなかったの?」  彼はくりっとした瞳でまじまじとこちらを見る。その顔を見て急に思考が冷静になった。  なぜ私がこんなことをしているんだろう。もしかしたら、クラスのみんなはすでに彼のこと知っていて、私は余計なお節介を働いているだけかもしれない。  強烈は恥ずかしさに襲われて、思わず下を向いた。これだから、善意で行動すると良くない。何度も同じような失敗をしてきたじゃないか。ホント何やってんのか……。思考より先に行動に出てしまうのは、私の良くないところだ。 「――なんて、思ったりしたんだけど、もしも事情があったのならごめんなさい。一限の授業が始まるまであと少しだから、気をつけてね」  一刻も早くこの場を去ろうと一歩足を踏み出したのだが、なぜかぐいっと後退していた。どうやら左袖を引っ張られたようだ。 「えっ?」  振り返ると彼が満面の笑みでこちらを見ている。 「君、僕のことが見えるの?」 「……?」  彼は何を言っているんだろう。およそ初対面でするはずのない質問が飛んできた。 「見えるから追いかけてくれたんだね……! ああ、まさかこの世界に来てようやく会えるなんて……」  私の目の前を二、三回転しながら喜びはしゃぐ。 ――話が見えない。  私の困惑している表情を察してくれたのか、掴んでいる袖を離し、意気揚々と話し続ける。 「ああ、ごめん。一方的に話してしまって。なかなか僕のことが見える人っていなくて」 「見える人が、いない……?」  彼は自分が無視されていることを、「他人から見えない」と整理してしまっているのか。そうだとしたら末期かもしれない。私一個人がなんとかできる問題かわからないが、しっかりと彼の話を聞いて然るべき対応を取ってあげないと。 「信じてもらえないかもしれないけど、実は僕、高崎昴希その人なんだ」 ――は……?  沈黙が続く。  何かしらのリアクションを求めているのだろうか。チラチラとこちらを見る。硬直している私を気遣ってくれたのか、それとも、ただ空気を読めないだけなのか嬉しそうに説明を続けた。 「ドッペルゲンガーって知ってる? そういう類の存在なんです」 「え? ちょっ……ちょっとまって」  手刀で流れを切る素振りをしつつ、一旦話を切った。  ドッペルゲンガーってあれか、怪奇現象的なやつか? たしか、自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬとかそういう都市伝説だった気がする。一つ言えるのが、どちらかというと災いをもたらすものだったはずだ。そうとなると、今見えている私は大丈夫なのだろうか。  そもそも、この話はちょっとした冗談で、真面目に受け取ってはいけないのでは? 彼は私をからかっているだけかもしれない。 「いゃぁー、さすがに信じてくれないよね……。わかってたんだけど、簡潔に説明した方がいいかなと思って」  くるっと一回転し、ゆっくりと歩きながら話を続けた。 「僕はね、ここじゃない世界、俗にいう並行世界で死んだ高崎昴希自身なんだ。死んだのはいいけど、なかなか成仏できなくてね。何度も何度も並行世界をループして、成仏しようと頑張っているんだよね」  えっ? 死んでる?  幽霊なんですか……?  ループ?  唐突に言われた単語が、頭の中でぼんやりと浮かんでは消える。 「あの……並行世界って、なに?」  何個も質問したいことがあるが、とりあえず一つ、彼へ投げかけた。 「ほら、よく物語の題材になったりするやつだよ。例えば今日、君は朝ごはんで、パンと白米を選べたとする。君はどちらでも食べられるわけだ。で、考えた末、パンを選んだ。でも白米を選ぶという可能性もあったわけだよね?」 「うん……」 「そういう『あったかもしれない可能性』ごとに世界は分岐しているんだ。世界で生きている生物の、思考の分岐分ね。そういう分岐した世界のことを並行世界っていうらしいんだよ」 「その話でいくと、すごい膨大な世界がある話になるけど」 「そう、たーっくさんあるんだ。そんな些細な差分しかない並行世界を、何回も何回も渡ってきたってワケ。結構タイクツなんだよねぇ~」  自称ドッペルゲンガーは黒い猫っ毛を揺らしながら「はぁー」とため息をつき、その場で屈んだ。  先ほど教室で自己紹介をしていた『この世界』の高崎くんと違ってなんかこう……、無邪気な感じがする。もちろん今日転校してきた彼とは話したことがないので、なんとなくだけど。 「じゃあ、さっさと成仏すればいいんじゃないの? そういうの、私はよくわかんないけどさ」  私は巫女でも霊能者でも、ましてやそういった霊的イベントに縁もゆかりもない人間だ。肝試し系のイベントでは幽霊役の人間を逆にビビらせようと模索する、そんなタチの悪い人種である。 「そりゃあ僕だって成仏したいと思っているさ。いつまでも、生きているときの自分自身を見ていても虚しいだけだからね。けどなぁ……、いかんせんなぁ……」  なにか事情があるのだろうか。腕を組み、悩ましげにぎゅっと目を閉じる。 「成仏って、生前未練に思っていたことを解決して、納得してするものじゃん?」 「ん……、うん……」  付加疑問文で聞かれても、全くわからないので適当に頷く。 「でも、僕の場合は、自分が生きていた頃の記憶がキレイさっぱりないんだよね。だから未練とかそういうのよくわからなくって」  ほ……、ほう……。  てへぺろ顔をする彼に、私はなんと声をかけてあげたら良いのだろうか。今までの人生で、ここまでリアクションに困ったことはなかったと思う。 「そんなかわいそうな状態なのにさぁ、ほとんどの生きてる人って、僕のこと見えないんだよね。有名な霊能者でテレビに出ている人の枕元に座っても、全然気づいてくれないし……」 「枕元に座ったんだ……」  もともと信じていたわけではなかったが、偉そうに心霊現象を語っている心霊研究家って役に立たないものなのだなと、改めてレッテルを貼り直した。 「僕だって甘んじてこの状況を受け入れているわけじゃあないんだよ! 一人でできることは全てやったさっ!」  きっと彼なりに頑張ってきたのだろう。遠くを見るその目が今までの苦難を物語っていた。  そんな彼が、軽いステップを踏みながら、私の顔を覗き込む。ニッコリと笑みを浮かべながら、その瞳はじっと私の目を見据えていた。 「でも今回は一人じゃなさそうだしね」  嫌な予感しかしない。  過去にこういう表情を他人から向けられた時に、色々な仕事を押し付けられてきた。教室掃除のゴミ捨てや、クラスの宿題回収。長年学生をやっていれば、こういった仕事を引き受けざるを得ない場面に、誰しも一度は遭遇するだろう。その時の先生および周りの目がちょうどこんな感じだ。「もちろん『いいえ』と言わないよね?」と圧力をかける、そんな感じの目だ。 「さっき僕のことを追いかけてきてくれたけど、君はもしかしたら困っている人を放っておけない、そんな人なんじゃないかな」  その先を言われたらまずい、と思ったが一足遅かった。 「僕が成仏するのを手伝ってはくれないかい?」  遠くで一限目の始業チャイムの音が聞こえた。
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