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高崎 昴希(たかさき こうき)
親父から天暈市への引っ越しについて伝えられたのは、一ヵ月前だった。
色々なことが重なって、様々な思いが交錯して、怒涛のように過ぎていった日々。三ヵ月前、母さんが亡くなってから今日まで、やらなければならないことに追われる生活だったので、ようやく一息つくことができた。
俺、高崎昴希はつい最近まで東京都内の高校に通っていた。駅から徒歩十分、五分に一本電車が来るということが、こんなにもありがたいものなのかと、その環境がなくなって初めて気づく。
母さんについても、そうだ。
亡くなるまで、いろいろなことを背負いこんで、いつも親父や俺のことを気遣ってくれていた。死後に迷惑がかからないようにと、できる限りの準備をしていたことを後で知ると、遣る瀬ない気持ちになる。
もともと、俗にいうキャリアウーマンだった母さんは、家事と仕事両方をよくこなしていたと思う。授業参観にはどうにか仕事を調整して出席してくれていたし、家事も要領よくこなす。料理なんかは「外で食べると高いし、栄養を取ることができない」と、極力家で作ってくれた。
一方で、仕事をおそろかにすることはなく齷齪としながらも、楽しそうに出社する後ろ姿。
何事も前向きに爛々と瞳を燃やしながら全身全霊で取り組む母さんだったが、家系的な問題か、がんが見つかった。発見から一ヶ月近くに渡る調査を経てようやくわかったことは、進行が早く発症した場所が悪いということだけだった。
闘病中、必死に元気そうに取り繕う母さんを見ながら、どうにか安心してもらおうと思い、料理や掃除といった家事を勉強した。なんでもっと早く、この努力をしなかったのだろうと、今でも後悔している。
約半年に渡る闘病生活を経て、彼女は身辺整理をし、この世を去った。
葬儀の間、ただただ昔のことを思い出す。笑ったり、怒ったり、あまり見たことはないが泣いたりする姿を、もう見ることはできない。今ある思い出が全てだと、何度も再生しては、記憶に焼き付けた。
そこからは急だった。母さんを想う余裕もなく、親父の転勤が決まったのだ。がむしゃらに目の前にあることを片付けていく日々。逆にそれくらい忙しい方が、母さんの死に向かい合わなくて良い。
今日ようやく無事に、転校先の初日登校を果たせたわけだが、二週間後には期末試験が控えている。これからもまだ、忙しい日々が続きそうだ。
放課後、各教科の教科書を受け取りに行っているうちに、十八時になってしまった。晩御飯の支度をしないとならない。近くのスーパーの半額の時間帯は何時頃なんだろう。そのあたりも、リサーチしないとな。なんてことがまず思い浮かぶあたり、思考がすっかり主婦になってしまった……。
期末試験前で部活動が行われていないため、生徒はほとんど残っていない。
「暑いな」
西日で紅に染まった教室へ戻り、誰もいないと安心して思わず言葉を漏らす。
「もうすぐ七月だからね」
思いもよらない返事に驚いた。
教室に入ってきた女子は、おそらくクラスメートだ。見覚えがある。確か一つ前の席に座っていた生徒。
「高崎くん、今から帰るの? 良かったら、帰りコンビニでノートコピる?」
そんな魅力的な提案をしてきた彼女は、飾り気はないものの端麗な顔立ちで美しい。大きな瞳にすっと通った鼻筋。肩下まで伸ばした長めの髪は夕日が映えて朱色に染まっていた。顔を綻ばせ、細めた瞳で俺のことを見る。
「それはありがたい提案だけども……」
人のノートを無償でコピーするというのは少し気が引ける。そんなことを思っていると、まるで心を読んだかのように彼女が返した。
「別に気にしなくてもいいよ。他の人……からあなたにノートを見せてあげてって頼まれているだけだから」
「あぁ……、そうなんだ」
どちらにせよ、テストまでには誰かにノートを見せてもらわないと仕方ないのだ。ありがたく世話になることにしよう。まだクラスメートの名前を覚えていないので、彼女の名前を聞こうとしたが、自分から名乗ってくれた。
「私は喜堂那木です。よろしくね、高崎くん」
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