九月の朝顔

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自分の葬式に参列するという奇妙な夢を見ていた。大勢の喪服を着た人びとがいて、棺には高崎が横たわっていて彼はそれに花を手向けている。じゃあ俺は誰なんだろう?混乱しながら彼は目覚めた。  部屋はすっかり明るくなっていた。布団が固かったせいか、躰じゅうが痛い。須永の姿はなく、あれも夢なのではないかと思えたが、脚の間にはしっかり慾望の残滓があって高崎は顔が熱くなるのを感じた。  もう何年になるだろう。気まぐれに求めると須永は応じてくれた。無言のまま躰を開き、抱きしめてくれる。金があるだけで、そのほかは空っぽの自分を。それが彼の優しさで、高崎はすっかり甘えてしまっている。他に理由をつけたところで、彼がこの家を訪れるのは、須永に慰めを求めているのだ。  乱れた浴衣を直しながら、高崎は階段を降りた。さらさらと風の通る音がする。扉が開いたままの作業部屋は無人だった。 高崎はあたりを窺い思い切って中に足を踏み入れた。カンヴァスを避けて机の上を覗きこむと、まだ鉛筆の下絵だがほぼ構図の出来上がったらしい原稿が置かれていた。少し前屈みに窓の外を眺めている男の横顔は、どことなく高崎に似ていた。しかし彼が自覚しているよりも老けこんでいるようでもあった。  勝手口から外に出ると、強い日差しが肌を焼いた。空は雲ひとつなく高かった。  高崎はそっと庭へ回ってみた。須永はやはりそこにいて、小さなカンヴァスを前にせっせと筆を動かしていた。九月の朝顔は盛りこそ過ぎていたが小さな花を五つほど咲かせている。昨夜の雨に濡れた葉は少ししおれており、蔓の下のほうには青い実がいくつもできていた。高崎の目にはどの花も同じ青紫色に見えるのだが、カンヴァスに描かれているものはほんの少しずつ濃淡や色味が異なっていた。自分の目には見えていないものが多すぎると高崎はすこし淋しくなった。 「富枝さんが来たら朝ごはんを作ってくれますよ」  手を止めずに須永は言った。 「それとももう帰りますか?」 「いや……」  自分が空腹かどうかよくわからなくて、高崎は朝食のことを考えていなかった。 「どうしようかな」  高崎は須永の傍らにしゃがんだ。須永が一瞬だけ視線を向けた。 「須永」 「はい」 「ふたりでフランスに行こうか」  須永は筆を置きパレットに赤い絵の具を足した。 「……貴方とずっと顔を突き合わせるのは御免だと言いましたよ」 「ひとりでスケッチ旅行に行っていいぞ」  須永はちょっと笑った。諦めたような、悟ったような表情だった。  自分はどこまでも勝手な男だと、高崎は思った。
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