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なかなか戻ってこないヨイに、コヒミはやっぱりと呟く。
面白みのない自分に唯一構い続けてくれたヨイを、コヒミは大好きであった。大好きだからこそ、ヨイに喜んでほしくて、夢を叶えてほしくて、本当は寂しいけど、現王たる父親にヨイのことを話したのだ。
実際ヨイは有能で、数々の実績を残している。きっと王はヨイを自分の側に置きたがるだろう。それなら、父親と親しくなればヨイとも繋がっていられる。実際話をしてみれば父親はいい人であったし。
何も問題はないのに……、コヒミは悲しくて、寂しくて、寒くて堪らない。
こんな思いをするならもっと強くヨイのことを拒絶していればよかったと後悔する。
問題集を抱いて寝台で丸くなっていると、部屋の扉が開いた。
「コヒミ様、コヒミ様。遅くなりました、ヨイめでございます。……て、まだ眠りの時間には早うございますよ! さぁさぁ、椅子に座り、机に向かって下さい」
せかせかと入室して来たヨイはそう言うと、机上に何やら置いていく。
そんな彼をコヒミはポカンと見つめるしかない。
「城下へと赴き、便箋と封筒を買ってまいりました。ええ、ええ。元旦なのでどの店も閉まっていたのですが、そこはそれ。店先で土下座して大声で叫んでおりましたら快く売ってくれましたとも。あすこは良い店です。贔屓にしてやりましょう」
絶対に快くじゃないとコヒミは思ったが、今はそんなこと関係ない。
「……どうして、」
「どうして? よろしいですか、姫君。御礼状とは早い方が良いのです。せっかくお父上様に興味を抱いて頂き、贈り物まで頂いたのです。ここは畳みかけてご自分をアピールするのです! 美辞麗句を並べに並べた素晴らしい御礼状を書き上げましょう。大丈夫です、小生こういうのも得意なので手解き致します!」
「そうじゃなくて、」
「は?」
「どうして、戻ってきたの? あなたはお父様にお仕えするのでしょう? そういう話を、してきたのではないのですか?」
コヒミが震えた声で問うと、ヨイはしれっと言い放つ。
「ああ、それならお断り致しました」
「断った?」
コヒミの頭の中が“?”で埋め尽くされる。
何故? 断る理由がどこにあるのか? 王の側近とは名誉ある役割なのでは? 宰相にだってなれるかもしれないのに? それにどうして断るのか?
ヨイは出世を何よりも望んでいたはずであるのに、これはおかしなことになっている。聡明なコヒミにでさえその原因が分からずに首を傾げるしかなかった。
「コヒミ様、小生は貴女様と初めて出会った時に申したはずですよ」
コヒミは思い出す。今日とは違ってちらちらと雪が舞い散っていたあの日のことを。ヨイは胡散臭い笑みではあったが、確かに言った。
──『姫君、小生は貴女様の味方にございます。共に歩んで行きましょうね』
そう、言ったのだ。
「小生は他の者と比べて少しだけ、本当に少しだけ野心が高い傾向にはありますが……そこまでは薄情にはございません。それに、仕えるべき相手を間違えるほど阿呆でもない。ですから、コヒミ様」
ヨイは寝台の上のコヒミへと手を差し出す。
「どうぞこのヨイに、コヒミ様と共に歩むことを許して下さい。我が主、コヒミ姫殿下」
「……っ、ヨイは、本当は、おばかさんなのですね!」
コヒミは出された手を取らずにヨイの胸へと飛びつくと、えんえんと大きな声を上げて泣いた。そんな小さな姫の背中をヨイは優しく撫でる。
コヒミを抱きしめながら、ヨイは心で叫ぶ。
──やってやったぞコンチクショー!! 馬鹿だ、本当にオレは馬鹿だ! せっかくのチャンスを棒に振った大馬鹿だ! 出世の道は途絶えたな! だが、まぁいいか!
出世を諦めてコヒミに仕え続けることを選んだヨイであったが、この選択に後悔も間違えもないと断言出来る。
コヒミが泣いて自分にすがっており、それを自分も嫌ではないと思っているのだから、これが正解と言わず何と言うか。
それに、コヒミの元へ居ながらでも出世の道はきっとある。最初からそう意気込んでいたのだから。
「ヨイ、渡したいものがあります」
いつの間にか泣き止んでいたコヒミがそう言うので、あやすのを止める。
彼女は寝台の脇に置いてあるチェストの中から1枚の紙を取り出し、ヨイへと渡す。
「お父様のお顔はまだよく分かりませんが、ヨイのお顔なら分かります」
渡されたそれに目を落とし、ヨイは絶句した。
それは、画用紙にクレヨンで描かれたヨイの似顔絵であった。
「ヨイ、いつも支えてくれて、助けてくれて、頑張ってくれて、一緒にいてくれてありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」
「……、……は、はい、こちらこそありがとうございます。とても、嬉しいです」
嬉しい、なんて言葉では言い足りぬ程ヨイは嬉しくて嬉しくてならない。水無月の同僚たちの気持ちが痛い程よく分かり、似顔絵はチープだなんて思った過去の自分を殴りたくなった。
「コヒミ様は絵もお上手なのですね」
「初めて描きました。そう言ってもらえて嬉しいです」
「いつ、お描きになったのですか?」
「ヨイがずっとお仕事をしている時にです。ヨイが問題集をくれたので、そのお礼です」
「え、問題集って、」
「初めての贈り物でした」
あの問題集にそこまで深い意味はなかったので、今度は何かもっとちゃんとした物を贈らねばなとヨイは考える。
何を贈ろう、何ならコヒミは喜んでくれるのか、それを思案するのは不思議と面倒ではない。
「……それではお父様に手紙を書きましょう。──?」
机の上に置かれた二組の便箋と封筒をコヒミが指差す。
「どうして二つあるの? ヨイも誰かに書いて送るのですか?」
ヨイは、はいと頷いてから、決まりが悪そうな、困ったような、それでも少しだけ微笑んで答える。
「故郷の父と母へ手紙でもと思いまして」
春はまだ遠く、年中雪景色のこの国ではあるが、ヨイは心に降り積もった雪が少しずつ解け出しているように感じた。
それはおそらくコヒミも同じことで、彼女はヨイの言葉を聞いて柔らかく、ふんわりと優しく笑んでいる。
この数年後、コヒミはシーカ国の王として君臨することとなる。
女王コヒミの隣にはいつまでもヨイの姿があった。
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