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口にはださぬが、表情(かお)にはよくでる、それが大和(ヤマト)コヒミの抱く奈良(ナラ)ヨイという男への見解である。彼女のなかでそれは初見からずっと変わらない価値観となった。 雪がちらちらと舞い散る日に二人は出会う。 男は新たに主人となる少女を認めると、ぐっと眉を寄せた。己が忌避される存在だと自覚していたコヒミだったが、ここまであからさまに不愉快そうにされるのは初めてで、少し、傷ついた。 コヒミは王女だ。女であるが故に王位継承権などはない。現王である父が退位すればその後は兄の誰かが継ぐであろう。そう、例え彼女が兄たちより優れた才能を持っていたとしても……。 コヒミは優秀だ。そして、そのことをコヒミ自身も分かっていた。分かっていたからこそ、そんなことをおくびにも出さず彼女はひっそりと生きることを決めた。女でも、王位継承権がなくとも、いずれ起こるかもしれない後継者争いを危惧して予防線貼っておくのだ。敵はどこにいるか分からない、結局の所自分を守れるのは自分だけなのだから。 その結果、コヒミは宮中の隅で親兄弟からも忘れられて育った。黙して何も語らないおとなし過ぎる姫君に、身の回りの世話をする女官や護衛を勤める武官たちの中には一種の気味の悪さを覚えて転属の訴えをだす者も多くいた。彼女の周りの人々は次々と顔を変えたが、それはどうでもいいことだ。いくらこの宮中の人間に嫌われようと、姫などいずれは政略の道具としてどこかに嫁いで行くのだから……、それが姉たちを見送ってきたコヒミの答えだった。 新しく配属された奈良ヨイという男は不満そうに顔を歪めている。きっと年若い彼はとんだ貧乏くじを引かされたと思っているのだろう。だがそれをぶつけられても困る、コヒミは何の権限も権力もない王女なのだから。 ──この男も長続きしないな、 そんな風に思ったが、それはいつものことだし、どうでもいいことだ。 しかし、男は眉間の皺を解くと、一瞬何かを考える素振りを見せた。そして直ぐに、にっこりと効果音がつきそうな位の笑顔を浮かべて小さな姫君に語りかける。 「姫君、小生は貴女様の味方にございます。共に歩んで行きましょうね」 ……この男は嘘をついている。 聡いコヒミには直ぐに分かった。彼は王女・コヒミを利用して成り上がろうとしている。己の権力を高めようとしている。……結局彼は、彼自身だけの味方なのだ。 実際、今までもコヒミに旨味を見いだして媚びるように接してきた者は多くいた。しかし、その度に彼女は愚鈍な己を演じて撃退してきたのだ。この新たに従者となったヨイという男も同じようにあしらってやろうとしたのだが、それは困難を極める。 「コヒミ様、コヒミ様。さぁさ、お勉強の時間ですよ。僭越ながらこのヨイがご指導致します」 「コヒミ様、コヒミ様。王女たる者がその様に地味なお召し物を着るなど示しがつきませぬ。こちらに着替えて下さい」 「コヒミ様、コヒミ様。鍛練に行きましょう。王族たる者、心身が共に強くなくては。強い指導者を民は求めるのです」 「コヒミ様、コヒミ様。そろそろお休みになって下さい。温かくして十分な休養を取らねば要らぬ病を得てしまいます」 「コヒミ様、コヒミ様。何度言ったら分かるのです?  食事の作法は大切です。それではお父上様と食事が出来ませんよ」 奈良ヨイという男はしつこい。どんなにコヒミが冷たい態度を取ろうが、一寸険しい顔を見せるも、諦めずに根気よくぶつかってくるのだ。そんな男の野心をコヒミは驚くを通り越して呆れてしまう。 しかし、彼が、と呼ぶのは嫌いではない。ずっと忘れ去られて生きてきた少女が己の名を思い出せる瞬間であるからだ。
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