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理想のお父さん
私のお父さんは、とても厳しい人でした。
ごはんを食べるときに肘をついては叱られ、宿題をしていないと叱られ、あれが欲しいこれが欲しいと言うと叱られました。
そのくせ、私との約束は守ってくれません。
今日も「仕事を休める」と言っていたのに、嘘をつきました。
せっかく、一緒に遊べると思ったのに……。
だから、新しいお父さんを探しに行くことにしました。
優しくて、ごはんを食べるときに肘をついても、宿題をしていなくても叱らない、欲しいものはなんでも買ってくれるお父さん。
約束を絶対に守ってくれる、嘘をつかないお父さん。
一緒に遊んでくれるお父さん……。
街に出て、お父さんらしき人に声をかけました。
「あなたは私のお父さんですか?」
「私のお父さんになってくれませんか?」
「優しくて、一緒に遊んでくれるお父さんを探しています」
すると細い路地裏から、真っ黒い影のような、ノッポな人がヌッと顔を出しました。
魔女のような帽子を目深にかぶり、顔にはお面をつけ、真っ黒いローブを着た、不気味な男の人でした。
男の人は驚いている私をジッと見ると、「おいで」と手招きしました。見た目とは違い、とても優しい声でした。
「私が君のお父さんになってあげよう」
「本当?」
私は新しいお父さんの後をついて、路地裏へと入っていきました。
私は新しいお父さんとの生活を始めました。
新しいお父さんは路地裏の突き当たりにある、とんがり屋根の家に一人で住んでいました。
「今日は何をして遊ぼうか?」
新しいお父さんは、とても優しいお父さんでした。
何をしても叱らないし、欲しいものは何でも買ってくれる。
前のお父さんのように会社に行っていないので、毎日遊んでくれるし、約束も守ってくれる。
新しいお父さんは、私の理想のお父さんでした。
ある日、家の前にチラシが落ちていました。
私を探しているチラシでした。
私はお父さんは嫌いですが、お母さんは大好きです。新しいお父さんを見つけたことを教えてあげようと思いました。
「お父さん、お父さん。お母さんにお別れを言いに行きたいので、一度家に帰りたいです」
新しいお父さんは「いいとも」と頷きました。
「でも、すぐに帰ってくるんだよ? 日が落ちても帰って来なかったら、迎えに行くからね」
「うん」
新しいお父さんは本当に優しいお父さんです。
前のお父さんは私が一人で出掛けようとすると、必ず「危ないからダメだ」と叱られました。優しくないお父さんなんて、嫌いです。
家に帰ると、仕事に行っているはずのお父さんがいました。
お父さんは私を抱きしめ「どこに行ってたんだ!」と、やっぱり叱りました。
私は「これからは新しいお父さんと住むから、もうお父さんはいらない」と言いました。
お父さんとお母さんは目を丸くして驚いた後、
「その人はお父さんじゃない」
「行っちゃダメよ」
と叱られました。
そして、私が外へ出ないよう、部屋に閉じ込められました。
でも大丈夫。日が落ちれば、新しいお父さんが迎えに来てくれるから。
部屋で新しいお父さんの絵を描いていると、お母さんが部屋に入ってきました。
お母さんは私がいない間、どんなにお父さんが私のことを心配していたか、話してくれました。
お父さんは私を探すために、仕事を早めに切り上げて、夜通し探し回っていたそうです。
さらには私のチラシを作って、会社の人や近所の人、道を通りかかった知らない人にまで配って、私を探して欲しいとお願いしていたそうです。
「お父さんはあなたのことが大切だから、厳しく叱るのよ。あなたが困らないようにね」
「でも、お父さんは嘘つきだよ。遊んでくれるって約束したのに、全然守ってくれない」
「お父さんは、嘘をついたわけじゃないわ。本当にあなたと遊ぼうと思って約束していたの。でも、急に仕事が入ってしまったから……あなたがお父さんと遊べなくて悲しいように、お父さんもあなたと遊べなくて悲しんでるのよ。あなたがいなくなってから、ずっと後悔していたわ。"もっと一緒に遊んであげれば良かった"って。あなたのことが大好きだから」
気がつくと、私は泣いていました。
新しいお父さんの絵に涙が落ちて、にじんでボヤけていきました。
私はずっと、お父さんは私のことが嫌いなんだと思っていました。だから叱ってばかりいるんだ、って。
でも、本当はそうではなかったのです。
それどころか、誰よりも私のことを想ってくれる、素敵なお父さんでした。
その夜、私の部屋に新しいお父さんが迎えに来ました。
暗闇の中からぼうっと現れ、初めて出会ったときと同じように手招きしました。
「おいで。一緒に帰ろう」
私は首を振りました。
「ごめんなさい。あなたは私のお父さんじゃありませんでした。私の本当のお父さんは、別の人でした。だから、お帰り下さい」
新しいお父さんは「本当にいいのかい?」と尋ねました。
「私は君の好きなようにさせてあげられるのに。約束だって守るし、嘘だってつかないし、毎日一緒に遊んであげられるのに」
「いいんです。私の本当のお父さんは、私のために叱ってくれる人だから」
私は昼間に描いた絵を、新しいお父さんにあげました。
私と新しいお父さんがとんがり屋根のお家の前で、手を繋いで笑っている絵です。
「少しの間だけど、私の理想のお父さんになってくれて、ありがとうございました。どうかお元気で」
「……ありがとう。君も元気で。今のお父さんが嫌になったら、いつでも戻ってきていいんだからね」
新しいお父さんは大事そうに絵を受け取り、闇の中へと帰っていきました。
最後に聞いた新しいお父さんの声は、震えていました。
それからというもの、お父さんは私のことをもっと大切にしてくれるようになりました。一方的に叱るにではなく、優しく諭すようになり、休みの日は一緒に遊んでくれるようになりました。
父の日に私とお父さんがお家の前で手を繋いで笑っている絵をあげたら、泣いて喜んでくれました。
理想のお父さんは私の本当のお父さんではなかったけど、本当のお父さんと同じくらい私を大切に想ってくれた、素敵なお父さんでした。
(終わり)
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