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本当の姿
家に帰ると一気に疲れが襲ってきた。着替えもせず化粧もそのままで、ベッドへとダイブする。
「つかれた……」
疲れを癒す為に訪れた場所で、まさかあんなことになろうとは。
私は先程の光景を思い出し、自分の軽率な行動に頭を抱える。
(なんで連絡先を交換したの!)
ベッドの上でじたばたしながら、叫びたい衝動を抑える。
あの場から逃れたい一心で、彼に促されるまま私は連絡先を交換した。連絡先といっても、メッセージアプリのIDのみで、その気になればブロックで“さよなら”することもできるが、別れた後に『デート当日、さつきさんが来るまでずっと待ってますね』と送られてきたメッセージを見てしまったら、消すに消せない。改めて送り主の名前を確認すると、掌からスマートフォンが滑り落ちた。
(とりあえず、本名で登録してなくてよかった……)
登録していた名前は“Satsuki”と至ってシンプル。もし本名で登録していたら、自分の正体がバレていたかもしれない。彼から見れば群衆の中の一人に過ぎない私でも、私の署名が入った書類を彼が目にする可能性もあるからだ。
「はあ……」
今日何度目か分からない溜息を吐き、遠くを見つめる。
(行かなきゃよかった……)
あんなことになるのならCosmosに行かなければよかったと思うものの、後悔しても今更遅い。
(過去をやり直したい)
そんな起こりえないことを考えていると次第に瞼が重くなり、私はそのまま目を閉じた。
目覚めた時にはすっかり辺りが明るくなっており、しわくちゃになったワンピースと、化粧を落とさずガサガサになった肌に驚愕し、私はベッドから飛び起きた。
熱いシャワーを浴び、スキンケアを念入りにした後、時計を見れば時刻は八時を指していた。
友人からの誘いがなければ、土日は家でだらだらと引き籠り、独りの世界に没頭する。家から一歩も出ない休日を満喫するには、金曜日のうちに食料品等を調達する必要があるのだが、昨日あんな出来事があった為、買い物ができていない。冷蔵庫の中を覗いてみても酒類が目立つばかりで、食材がほとんど入っていなかった。そんな状況にも関わらず、お腹はぎゅるぎゅると空腹を訴えている。
(仕方ない、外に出るか)
コンタクトを付け、化粧を施し、髪は緩く巻く。ベージュのマキシ丈ワンピースを着て鏡の前に立ち、平日とは打って変わった自分の姿を見て「よし」と頷く。
会社では目立たない姿をしている私に、どちらが本当の自分かと誰かに問われたら、少し迷った後に今鏡の前に立っている自分と答えるだろう。
(眼鏡と化粧、髪型と服装、全てを変えれば違う自分になれる)
昨日も一度自宅へ戻ってから会社での武装を解き、今と同じようにラフなワンピースを身に纏ってからCosmosを訪れていた。
以前までは、鏡に映っている“本当の自分”の姿でどこにでも行けたが、いまは違う。
ぱっちりとした瞳に長いまつ毛、すっと通った鼻に形のいい唇。色素の薄い地毛は栗色で、身長は平均よりも少し高め。周りから見れば“美人”と分類される私は、その姿を知り合いの目に晒すことを“やめた”。
家族や心を許している友人、私の存在を知らない赤の他人の前でのみ、私は“私”でいられる。
Cosmosのマスターや店員の新太くんは、どこにでもいる会社員に武装した私と街ですれ違っても、きっとその存在に気づかないだろう。
だから彼も同じように、武装した私と何度かやり取りをしているにも関わらず、私の正体に気づかなかったのだ。
私はあの出来事から自分を偽って生活している。
きっと、これからもずっと、私は私を偽って生活していく。そう思っていた。
―――彼に出会うまでは。
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