始まりの煙

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始まりの煙

ふと、タバコの香りがした。 今の時刻は深夜の1時くらいだろうか。 終電で東京の職場を離れ、俺が住んでる千葉へ戻ってきた。やっと週末。世の中華金と言われてる金曜日だが、仕事が忙しくて飲みに行くこともない。 仕事ばっかりで恋人ともうまくいかず、友達とも少しずつ疎遠になり、気づけばここ数年ひとりに慣れてしまった。 今日はなにを食べて、時間を気にせず寝入ってやろうか。そんなことが楽しみの金曜の深夜だ。 家の近くのコンビニで、安くなってた弁当と嗜好品のマルボロを買う。そんな時だった、タバコの香りがしたのは。 こんな時間だ、都会でもないこの地に、客はいない。となると今カウンター越しにいるこの店員からだろうか。疲労感で周りが見えていなかったが香りというのはふと現実にかえらせる不思議な力があるような気がする。 お弁当あたためますか? そう聞かれたタイミングでふと意識的に店員を見た。思ったより若くて俗に言うイケメン、だ。 それにしてもタバコの香りがするなんて、客がいないからサボって一息ついてたのだろうか。なんて想像していたら、目がぱちりとあった。 …無言のまま10秒くらいすぎただろうか。 店員は少し困ったようにもう一度 お弁当あたためますか?と言った。 俺は答えてなかったことに気づき、お願いしますと少し視線を伏せて答えた。 会計を済ました後、電子レンジの音がジジジ…となっている。ああ、誰もいないもんな、とレジから離れずそこで待っていたところ、ふと、少しタバコの香りがした。 下を向いてた俺はふと、また顔をあげる。 店員はこっちを見ていて、また視線が合い無言の間が続いた。 …タバコの香りがしたから、もしかしたらまた何か声をかけたのか? と思ったらそうだったみたいだ。 この時間に良くお越しいただいてますよね、お仕事忙しいんですか? と彼はおそらくもう一度、言った。 そこで初めて、俺は彼とは何回も店員と客で会っていたのだと知って驚いた。 ええ、まあ終電で戻ってくることが多くて。 俺より若いように見えるが、敬語で無難に返事をしておいた。なんだろう、ただの電子レンジ待ちを、気まずくて声かけてくれただけなのかもしれないが、いつもの金曜日じゃなくなったような気がして、なんだか少し心が躍る。 そうなんですね、お仕事お疲れ様です。 明日はお休みですか? おっと。また会話が続く。 ありがとう。明日は休みだよ、営業だから平日勤務をしてます。 聞かれてもないのに職種まで伝えていることに気づきもしない俺。日本語も変な気がする。なんだか新鮮なこの空気が嬉しいのは間違いない。 そこでチン、と音が鳴り会話の終わりをほのめかしてきた。 彼は弁当を取り出し、茶色のビニール袋の入れ俺に、それではゆっくり休んでくださいね、また平日お待ちしております。と言いながら弁当を渡してくれた。 ありがとう、と言いながら俺はコンビニを出た。 俺の家はコンビニから徒歩2分もしないマンションだ。 スーツのネクタイをほどき、着替えるまもなくとりあえず冷蔵庫からビール取り出す。半分ほど一気に飲んでから、部屋着に着替える。 いつもと同じルーティン。なのにやっぱり疲れが薄れてるような気がする。 まだあったかい弁当を取り出し、ひとりいただきますと声に出してから夕飯をいただく。いつも味なんてちゃんと味わらず、ビールと一緒に流し込むように数分で食べて寝落ちしてるようなもんたが、今日は何だか美味い気がする。 ごちそうさま、と一言また呟き、ビールも空にする。食後はデザート、なんてことはなく食後の一服だ。ベランダに出て、夜風に当たりながらタバコに火をつけようとすると、ふと思い出す。 あれ、俺タバコ買ったよな…? 店員と話して…弁当をもらって…タバコもらった記憶がないな…とこの時になって気づいた。たかがタバコ一つとはいえ、今の世の中値上がりして500円じゃ買えない代物だ。お金的にも無視できないし、何より口寂しい。 弁当も食べ終わり、いつもならすぐにでも夢の中へ旅立ちたいと思うところだが、不思議とコンビニに行こうと上着を着て家を出ていた。あの店員と話せるかも、なんて期待をして。 コンビニに着いたのは何だかんだ2時前。 ドアをくぐると独特の音がなり、客が来たことを店内に告げる。こんな時間だ、レジにも店内にも人がいない。すると音を聞いてレジ奥からいらっしゃいませ、と店員が出てきた。彼だ。 俺も店内をまわらずレジに向かっていったからか、彼はレジのところでこんばんわ、また会えましたね。とにこやかに笑った。 その笑顔がさわやかで、一瞬胸がドキっとした。恐るべしイケメン…なんて悪態を心の中でつきながらも、俺は彼にタバコの件を伝えた。 彼は目が丸くなって、すみません!と慌ただしくレジを何か操作した後、俺が頼んだはずだったマルボロを渡してきた。 よかった、レシートは貰わない派だから手元にないし、もしかしたらタバコまた買うようになるかもしれないと実は思っていのだが。 大変申し訳ございませんでした、とまた改めて言う彼に、気にしないで、と怒ってないことをアピールした。 そしてふと、気づいたことが。 俺はタバコの銘柄、赤マルと呼ばれるマルボロを約1時間前には伝えたが、今はタバコをもらってないとしか言ってない。彼は迷うことなくそれを渡してきた。覚えていたのだろうか。 不思議に思っていたことが顔に出ていたのか、彼は恥ずかしそうに俺にこう告げた。 いつも買っていただいてるので、覚えてしまってて。 俺、自分でいうのも何ですが、あまりこういうミスはしない方なんですけど、あなたと少し話が出来てなんていうか、少し浮かれてしまって。またわざわざ足を運んで貰うまで気づきもせず本当に申し訳ないです。 …このイケメンさんはレジで俺の会計を何回もやってくれてたのか。たしかに家が近いこのコンビニは平日ほぼ毎日というほど足を運び、タバコを毎回買っている。それに浮かれてるっていったか…? 俺にとっては初対面のようなもんだが、何故だか彼を見るとどんどん心拍数が上がっていく。これはイケメンだからなのか…。 グッと心の荒ぶりを押さえつけ、営業で培った大人の笑顔を貼り付け、こちらこそいつもありがとう。とくさい言葉を吐いてしまった。 他に誰もいない店内、静かなBGM。 次第にモゾモゾと、いい意味なのか悪い意味なのかわからないが気まずさを感じ、俺はそれじゃあまた…といい店を出たのだった。
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