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山々に囲まれた村の外れにある天泣神社のさらに奥、木々に囲まれた小さな社にうや様は棲んでいた。
大昔のこと、度重なる天変地異を恐れた周辺の村人たちによって建てられた4畳ほどの小さな社に、たまたま通りかかったうや様が棲んだのが始まりだと、本人が嬉しそうに話してくれた。あまりにも立派な空っぽの棲家の前で、必死に懇願する人々に惹かれたのだと。
上空に光る雲が見える者をこの社の世話係りにするようにと、いくつかの条件を神の神気に恐れ慄きながら震えている村人たちに伝え、うや様はそこを棲家とし村人たちに襲い来る災厄を祓ってきたのだ。
そして現在、私がこの神様のお世話をする巫女に選ばれた。
神が棲まう場所は、幾ばくか空気が張り詰めている。常人が許可なく入ってくるのを拒むように。
だから参拝者はこない。そうなるとやることは、庭や社の外観を掃除したり、お供え物を用意したり、定期的に神楽や舞の奉納を行う。麓の天泣神社での仕事より幾分かは時間を持て余すくらいだ。なので、そちらの方を手伝いに行こうとするのだがその度に、うや様が話しかけてくるのだ。
それはもう子供のように。
『わた。葉っぱを集めたぞ! 芋でも焼こうか?』
神様を見ること、ましてや人間が気軽に会話できるものではないと、お世話係の任を与えられた時、村の人達や宮司様に散々聞かされていたのだが、その神様であるうや様は庭掃除を手伝ったりするのだ。
神様が。
さすがに本来の姿を見せてはいけないとのことで、人の姿に化けて顔は面をつけている。
いやいや意味がわからない。
こうして姿を現すことは私だけかと思ったら、歴代のおつとめの巫女には姿を現して色々訪ねているらしい。人の世に興味が尽きないようだ。
『そなたが、我が棲家を世話してくれる新しい巫女か』
6年前、社の拭き掃除をしていたら急に襖越しに優しそうな声が聞こえたので、心臓が口から飛び出しそうになった。確かに巫女には神の声を代わりに伝えるという役目があるが、こんな気軽に話しかけられるものではないと思っていたのだ。
だから浮浪者が社に住み着いて騙そうとしているのかと勘ぐったのだが、歴代の巫女の名前や身体の周りから漏れ出る光で神様だと信じるしかなかった。
『村人たちは息災か?』
『東の方に小さい川があってな。そこでたまに鮎がとれるのだ。今から取りに行こう!』
『明日は嵐がくる。皆のものに、東の水路に近寄らぬよう伝えてくれ』
『寒くないか? 人は寒いと風邪をひくのだろう。火をたいてやろう』
表情は見えなくてもころころ、ころころ、人と喋ることが楽しいとばかりにはしゃぐのだ。
歴代の巫女たちの手記に神様がこんなに、こんなにも人懐っこい方だと一文字も記されていなかったのを理解するのはもう少し後の事だった。
*** ***
10歳でうや様のお世話をはじめて数年経ったある日、うや様の力が弱まっていることに気づいた。
頻繁になにかに躓いたり木々にぶつかることが増えたからだ。何十年かに一度、力が弱まる時期があると聞いていたがまだその時ではない。
うや様は目を患っていた。
手記でうや様は山の向こうの景色もその場から動かずに見ることができると書いてあった。でもいつも私に村人たちのことを聞いてきた。その頃から遠見はできなくなっていたのだろうか。
『見るのと、直に聞くのと意味が違うのだよ』
そう答えたうや様の声は少しかすれていた。
『みんなは息災かい?』
『はい。うや様のお陰でみな元気に過ごしております』
そう。嘘を付くようになってしまったのは、いつからだろうか。
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