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神様は大切なものが多いのだと知ったのは、目だけではなく外に出る気力さえなくなった時だ。
大丈夫だと元気な声が襖越しに聞こえるが、外には冷たくなった膳が置かれたままだ。我慢できず薬湯です、と勢いよく社の中へ足を踏み入れた。
外とは違うひどく重たい冷気。
足がすくんだのは冷たさだけではない。
到るところに遺骨が並んでいた。
綺麗に。
埃もかぶっていない。
時が止まったような骸。
恐らくいや、十中八九歴代の巫女たちだろう。
息が詰まる。
どこか踏み込んではいけないような場所に踏み込んでしまった。
あぁ、いつか私も、この四角い小さな部屋の一部になるのだろうか。
『わた……』
骸が見ている方へ視線を向けると横たわるうや様が私の名を苦しそうに呼ぶ。入ってはいけなかったのだと。
しかし、ここ数日、普段の神饌にも手を付けていないのだ。神様のお世話をするのが私の務め、それを果たさねば。
床で倒れているうや様の隣に布団を敷いて運ぶ。やせ細った何かが着物の隙間から覗いたが見えないふりをした。
うや様が衰弱した原因は、ここ数年の干害のせいだろうか。雨が自然に降らないのだ。雨が降る日はいつだってうや様の力が働いている。広域で天候を操るのはとても力を使うらしい。そのため一日中降らせることができない。
干ばつで作物の実りが年々減少し、森に住んでいる動物や昆虫は餌を求めに人里へ降りてしまう。井戸に水がたまらないため疫病が流行る。それらでさえ、うや様は一つ一つ対処しているのだ。いまだって、まだ残っている神力を皆のために使っている。
天泣神社一帯は、うや様の神気に守られているので干害の被害は少ない。収穫した作物を近隣の村に配っているのが現状だが、それもいつまでもつか。
どうにかうや様が食べられそうなものなものはないかと、試行錯誤する日々が続いた。
白い息が暗闇に溶ける。この部屋はうや様の神気が充満しているのかひどく身体を動かしにくい。それでも役目を果たさなければと、今日も足を踏み入れる。
「薬膳を作ってまいりました。どうか一口でもいいので食べて下さい」
「そこに置いておいておくれ、今はいい」
未だ布団に潜る神様。人に化けられる力がないのか姿を見せてくれない。漏れ出る光も弱々しい。
食べないのではなく。食べられないのを知られたくないのだ。普段であればそれで回復するが、ここまで弱ってしまったのだ。
——大きい供物がいる。
それが何か私も知っているが、うや様はそれを否定したいのだ。ただのわがままで食べないだけだと。
歴代の巫女は普段であれば25歳で役目を終え、うや様の“供物”になる。神の側にいるのだ。漏れ出る神気は人の体を蝕み寿命を削る。
決まっていることだ。
なのに16になったばかりの私を供物にしたくないのだと。
まだその時ではないと。
この神様は毎回、毎回、情を持ってしまうのだ。
村のみんなの命と巫女の命。
天秤にかけるまでもないのに。
両方大切なのだというのだ。
どうして歴代の巫女たちが手記にうや様のことを書かなかったのか。こんな優しくて残酷で悲しい神様のことをみんな愛おしいと想ってしまったのだ。
わたしもそのひとり。
「みな、安心したように息を引き取る。それを見るのが怖い」
「うや様」
「だから、少しほっとしている。でも嫌だ」
「……水を持ってまいります。どうか少し休んで下さい」
ようやく寝息が聞こえ始めたうや様を見届けそっと社を後にした。
*** ***
井戸水をくんでいると、背後から落ち着いた声聞こえる。
「わた」
「宮司様」
すぐさま居住まいを正すとそんに構えなくてよいと、おっしゃってくださる。父のようなお人だと思った。
「うや様のご様子は?」
「お声をかけても、お返事はありません」
「そうか……」
宮司様は言いにくそうに、“雨夜(あまよ)の舞”を奉納することが付近の村一同で決まったと告げた。
数十年に一度うや様の力が弱まる時に行う儀式。その年ではないが行うことが決まったと。
「わかりました。精一杯お役目を務めさせて頂きます」
一礼すると宮司様は、抱きしめてきた。温もりが嬉しかった。
とうの昔に覚悟は決まっていた。
うや様が拒絶しようと、こうなることはわかりきったことだ。
私は大切なものは1つと決めている。
決まっているのだ。
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