きみとぼくの境界線

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 言葉は丁寧だが、窓辺に立ち書類をめくっているロイは、まったくアルトを見ようとしない。  その態度にカチンときたアルトは眉間にしわを寄せて低く呟いた。 「なんなんだよ、その態度は。白々しい言葉遣いなんかして胸くそ悪いったらない」 「これは申し訳ございません。お気に触りましたか。ですが臣下として当然の」  しかしロイの言葉は突然の轟音に遮られた。  凄まじい音に驚いて視線を転じると、国王が書卓に拳を突き立てているではないか。俯いたその肩がわずかに震えている。  思わず身を乗り出そうとしたロイは扉の外でバタバタと走ってくる音に気づいた。巨大な音に驚いた部下たちが駆けつけて来たのだろう。途端に扉を激しく叩いてきた。 「隊長! 何事ですか! 陛下は!?」  ロイは書卓を通り過ぎて扉に近づくと、隙間だけ開けて部下に小声で囁いた。 「すまんな、本を落としてしまったんだ。かなり重い本だったから派手な音を立ててしまった。陛下には何事もない。心配するな」  そう言って部下たちを帰すと、振り向いたロイはまだ拳を突き立てた姿勢のままの国王を見て、小さく溜息をついた。  ゆっくりと背後に近づき、そっとその右手を取る。皮がめくれて赤く染まった拳を見てもう一度溜息をつく。 「痛くないのか?」 「……痛い。じんじんする」  俯いたまま顔を上げずに、アルトは低く呻いた。痛みで脈打つ拳に意識が集中しそうになるが、タメ口になったロイに安堵する気持ちも相まって、頭がクラクラしそうになる。アルトは残る左手を書卓について懸命に身体を支えた。  すると、ぬるりとした感触とともに鋭い痛みが走った。驚いて手を引っ込めようとしたが、ロイが手首をしっかり握って離さなかった。 「ちゃんと消毒しないと。雑菌が入るし血が止まんないだろ?」  そう言って傷口を舌で舐め始めたのを見て、アルトは声にならない悲鳴を上げた。  生暖かいのとざらつく感触に痛みを感じるのはもちろんだが、舐められているという行為に羞恥と、胸に疼きを感じたのだ。  ロイの眼を伏せた長い睫と口元から覗く舌が艶かしくて正視していられない。 「も、もういいよ。血、止まっただろ……」  アルトが力なく呟くと、ようやく舌の動きが止まった。それに安堵して背けていた視線を戻すと、自分の右手は白いハンカチで丁寧にくるまれた。 「あとで、ちゃんと医師に診せてください。しばらく指を動かすと痛むでしょうね」 「ごめん、けど……」 「アルト、おまえはこの国の王で、オレはその王に仕える臣下だ。人前では言葉遣いも態度も改まって当然だろ。そんなことにいちいち苛ついててどうするんだよ」  ぽんぽんと手首を優しく叩くと、ロイはつかんでいた右手を離した。  ようやく自分の元に取り戻したアルトは、その右手をそっと胸元に引き寄せて小さく唇を噛み締めた。 (人前だからとかそんなんじゃない。おまえの態度はそんな簡単な理由で変えているのとは違う。おれとおまえの間にいつのまにか境界線ができてしまったんだ。それが段々と広がって深くなっていく……) 「それで? どうしたんだ。わざわざこんなところまで来てオレに急ぎの用事か?」  眼の前のロイは笑っている。屈託なく話しかけてくる。  でも根本的な何かが違う。  彼は自分を拒絶している。今、この場でも――。
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