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秋の空は変わりやすい。
梅雨よりも、9月頃の秋雨の方が厄介だと思ったのはいつだっただろうか。
窓の外に広がる重たい雲を見つめながら、小野宮朔はぼんやりと考えた。
たまに青空が見えたと思えば、ものの三十分ほどで再び雨粒が頬を打ち始めるのだ。肌寒くなったり、汗ばむ陽気だったり、そんな変化が一日に起こるのだから、厄介だと思うのは仕方ない事である。
予想できない空の動き。
あの人間とは大違いだ。
「───朔、どうした?」
頭上から声が聞こえ、朔は机に頬杖をついたまま前を見た。前の席で体をこちらに向けた友人である長岡文也が、ぐっと顔を近付けてきて、朔の眉間に人差し指を当てる。
その指を退かすことも、触れる前に反応する事もなく、ただ真っ直ぐ文也と目を会わせたまま、朔は感情のない平淡な声で「べつに」と返した。
文也はしかしそれに気を向ける事はなく、息を吐いたように、ふんと笑った。指先は朔の眉間に当てられたままだ。
「前みたいな目だった」
「……そう」
それはさぞ重く、暗く、死んだような目だっただろう。と、朔は思っただけで、口には出さなかった。
あの時はまだ、人間らしさが残っていたものだ。感情というものが、温かさが。
けれど、今は───。
朔は無意識に目線を落とした。
いつの間にか文也は指を外していて、代わりのように朔の頭に軽く手をのせた。ぽんぽん、と優しく叩かれる頭は、その度に少し揺れた。
「もう、関係ないんだよ、朔」
まるで母のように、悪夢を見て泣いた子供をあやすような柔らかな声で、文也は言った。
もう、関係ないんだよ。
分かっている。
だからこうして、教室で机に頬杖をついて上の空でいる時間があるのだ。朔は再び文也を見た。文也は、慈愛に満ちた聖母のような笑みを浮かべている。
長岡文也は母親に似て、女のような、中性的な顔立ちをしている。柔らかそうな髪に白い肌、大きい瞳に二重瞼。整った顔と、やさしげな眼差しで、けれど男性的な体つき、高い身長で細身だが手は男のそれである。
私立の男子学園。選択寮制度の初等部から全寮制の高等部まであるこの狭い世界で、同性愛はもとより、文也に恋をする人間は多い。けれどその雰囲気のせいか、崇めるという方が強かった。
まるで、聖母のようだ、と。
しかし全ての人間に平等ではない。文也も人間だ。文也がこうして特に親しく接するのは朔だけだった。
文也が温もりの塊というのなら、いまの朔は冷たさの塊であると思われるほど、二人の空気は反対だった。
朔は、男らしくも端正な顔立ちに引き締まった体つきで、けれど二年の中頃よりもかなり痩せてしまったせいで服を着てしまうと、もやしっこのように見える。文也よりは少し低いが、それでも高い身長、穏やかな低い声で生徒には人気だった。
しかし、その良さを全て冷たさが隠してしまっている。
朔は、笑わない。怒らない。泣かない。ただただ無表情で、動揺すらもなく、変化が見えない。
すべては一年前───二年の中頃から徐々に失われていった。綺麗だと言われた声も表情も、抑揚なく一定なままになってしまった。
小野宮朔は消えてしまった。
代わりにただ存在するだけの仮面のようなものが現れた。それは一年前を知る生徒の殆どが認識していることだった。
小野宮朔は戻らない。
あの輝く笑顔も、焦った顔も、困った顔も、寂しそうな顔も、怒った顔も、楽しそうな顔も。ただそこにあるのは「無」だった。
朔は、小さく囁くように「そうだな」と言う。その声は文也だけが聞いていた。
ただ、楽しく過ごしたかっただけなんだ。
笑ってふざけて喧嘩して仲直りして、悩んで困って相談しあって、笑って。笑って。友として、仲間として、一度きりのこの生活を満喫出来れば良かったのだ。
その願いがいけなかったのだろうか?
強欲だ、と取り上げられてしまうようなものだったのだろうか?友だと仲間だと思っていたのは、ずっと変わらないと信じていたのは、自分だけだったのだろうか。
嫌いだ。
恋愛だなんて。
恋なんて愛なんて、それまで築き上げてきたものを全て壊してしまうような、麻薬だ。毒だ。きらいだ。あんなものは、いらない。
───あの時の傷は消えていないのだと、朔は思った。
嫌い、という思いがまだあったのかと。
だけどそれに、寂しさや怒りや悲しみなどはなかった。ただの記録でしかなく、翌日の日付を確認するようなものだった。
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