699人が本棚に入れています
本棚に追加
06 銀髪の庭師 リト・ロンクルス（1）
帰り道でもロベリアは領民たちに声をかけられ、ひとつふたつ小さな会話を繰り返しながらキファレス邸に到着した。外門をくぐり玄関へと向かう途中、ロベリアは今朝ゲンテに言われた言葉を思い出した。
「そういえば裏庭があるって言っていたわね」
よく見てみれば外門から玄関までの間も端正に整備されており、この時期に咲くシクラメン、パンジー、マーガレット……多彩な花で鮮やかだった。ロベリアが知らない花もたくさん咲いている。
キファレス邸の裏へ行くと、あたり一面宝石のように輝く花々が咲いており、あまりの眩しさに目を細めた。
「お手入れがしっかりされているわね……。ゲンテがしているのかしら」
ゲンテがしているとすれば、彼は分身の術ができるに違いない。そうでなければ、いつ寝ているのだろうか。従者をつけていないキファレス家内の管理をするだけで手一杯なはずだ。
奥へ進むとロベリアの部屋よりも大きな温室があった。そこには赤、白、紫、黄色、ピンク色、五種類の薔薇がまるで絵画のように美しく温室一面に咲き誇り、ロベリアを迎えた。
ロベリアはガーデンテーブルに荷物を置き、温室の中を見て回った。
「きれい……こんなにもたくさん」
赤い薔薇にそっと触れ、ゼラと初めて会った日の夜が脳裏に浮かび顔を赤くする。
「いやいや、あれは陥れるための策略よ。そう、きっとそうだわ……」
「……策略？」
振り返ると、薔薇の輝きに劣らないぐらいに銀色に輝く短髪の少年が立っていた。
「……あなた誰！？」
ロベリアが薔薇に見入っていたのか、それとも少年が足を潜めていたのか。どちらにせよロベリアに聞こえなかった足跡の主に驚き、声が少し裏返った。
茶色の長靴に、オリーブ色のサロペット。中に着ている白いシャツは腕まで捲られ、土のついた長いグローブをつけている。手には剪定された薔薇の茎を持っていた。
「初めまして、ロベリア様。私は庭師のリト・ロンクルスと申します」
ぱっちりと開いた緋色の目は優しく伏せられ、ロベリアへ一礼をした。
「庭師？」
「はい。このキファレス邸の庭師として通っております」
リト・ロンクルス。言葉遣いや振る舞いは大人染みているが、にこりと笑った顔にはあどけなさが残る十六歳だ。褐色した肌は彼が庭師と言える証拠でもある。
リトはキファレス邸付近に家を構えており、毎日通いながらキファレス邸の庭園を管理している。ゲンテの分身説は見事に破れた。
「あ、顔に血がついているわ。ちょっとそのまま動かないで……」
ロベリアはハンカチを出し、そっとリトの右頬に触れた。どこかで薔薇の棘にあたり切れてしまっていたようだ。
「あ、いえ、申し訳ございません！ 大丈夫ですから！」
「何言ってるの、ほら、じっとして」
「ロベリア様のハンカチが……」
薄ピンク色のハンカチがリトの血でじんわりと赤く染まった。
「いいのよ、ハンカチぐらい。……よし、きれいになったわ」
「ありがとうございます……」
へへっと微笑んだ姿は、少しだけロベリアの母性をくすぐった。ゼラもあんな風に笑えたらいいのに、と心の中で呟いた。
「そういえば、毎日通っているわりには会ったことないわよね」
「えぇ。この時期は日没が早いですから。木花の手入れは日中に行わなければ弱ってしまいますので」
ロベリアがアスタに扱かれているときに訪れ、そしてロベリアが鞭を打たれている時に帰るため、なかなか会うことがない。たまに家の中へも顔を出すのだが、ロベリアと遭遇する機会がなく今日に至る。
「そう……。私がこの家に来たとき部屋に薔薇が飾ってあったの。それはリトが用意してくれたの？」
「……もしかして薔薇四本の？」
「えぇ」
リトは白い歯を見せて一笑した。この会話で何か面白いことがあっただろうか、ロベリアは見当が付かず、首を傾げた。
「あれはゼラくんがですね……」
それはゼラがロベリアを攫いに行く数時間前のこと──
最初のコメントを投稿しよう！