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――銀髪の庭師 リト・ロンクルス(2)
「なぁ、リト」
突如、薔薇の温室に現れたゼラはリトの背後から声をかけた。
「うわっ、ゼラくん! なんで庭に?」
「悪いか」
「悪くないけど、珍しいね」
あぁ、と呟くゼラは薔薇を眺めていた。その目は以前見た、あの時の目とは違っていた。
かつてリトはゼラに「なんで薔薇だけ温室で育てているのか」と聞いたことがある。しかしその答えは分からなかった。憂に満ちた目で微笑み返されたのだ。どうしてと追求するほど野暮な心は持ち合わせていない。ただ初めて見るゼラの表情に驚きを隠せなかったのも事実だ。
美しく咲き誇る薔薇にも痛々しいトゲがあるように、人も綺麗な出来事ばかりではない。人には言えない、切れるものならば切ってしまいたい過去だって、ある。
心中を察したリトは「僕、薔薇って好きなんだ。大事に育てるね」とそれ以上を聞かず、ゼラの心にそっと寄り添い、今日まで丁寧に手入れし育ててきたのだ。だが、今話しているゼラの碧い瞳には憂いた影はない。
「今日、俺の大切な人が来る」
「大切な人?」
「あぁ。……婚約者として迎える」
「婚約者!? どうして急に!?」
リトは困惑した。今までキファレス邸に送り込まれてきた令嬢には一切興味を持たず、そして令嬢はゼラの恐怖のあまり数分で帰ってしまう。そんな姿を何十回も見てきた。てっきり恋愛や女性に興味がないのだろうとも思っていた。
「……急ではない。とにかく部屋に飾る薔薇が欲しいんだ」
急ではない、ということは長年の想い人なんだろうか。それとも何かの策略か。この薔薇が関係する人なのだろうか──。
何はともあれ、主の政に口を出したところで庭師が解決できるものはない。リトは詮索せず、薔薇を用意することにした。
「ゼラくん、薔薇は本数ごとに花言葉があるんだよ。色も関係するかな」
「へぇ……なら良さそうなものを頼む」
ゼラはガーデンチェアに座り、テーブルに置いてあった図鑑をパラパラとめくりながら時間を潰した。
「良さそうなものねぇ……じゃあ婚約者様なら……赤色で百八本かな」
「意味はなんだ?」
「ストレートに結婚してください、だよ」
ゼラが唖然とした顔でリトを見た。そんなクサいことできるかよ、とでも言いたげだ。
「……じゃあ千本? 一万年の愛を誓う……やっぱなし」
ゼラの冷たい視線が背後に突き刺さったのを感じたリトはすぐさま全文撤回した。
「……リト、四本だ」
「四本?」
ゼラは図鑑で見つけた薔薇四本の花言葉が気に入ったようだ。
「四本? あっ! ……ふはは、ゼラくんらしいや」
四本の薔薇の花言葉は──……
「死ぬまで愛す、ですよ。ロベリア様」
ゼラが決めた本数なのに、伝えるリトもどこか恥ずかしそうにし頬を赤らめて伝えた。
「……ちょっと、それ結婚してくださいよりクサくないかしら?」
「ははっ、ゼラくん泣いちゃいますよ」
「泣かせてみたいものだわ!」
取り巻き役がまだ抜けきれていないのか、ロベリアはキラキラと輝いた目でゼラの泣き顔を想像し、そこには勝ち誇った自分もいた。当然、そんな日はやってこない。
「それより、リトはゼラのこと様づけしないのね」
「えぇ……。付き合いが長いですから」
ロベリアにはリトの顔が少し曇って映った。考えてみれば、あのゼラをくん付けできるほどの仲なのだ。兄弟でもなければ、何か事情があるに違いない。ロベリアはそれ以上追求することをやめた。
「ロベリア様は、ゼラくんが怖くないんですね」
ゼラの側にいながら、一日と持った女性はいない。それが一週間も経っているのだ。ゼラが甘やかしているのか、それともロベリアが強いのか。少なくとも、他の令嬢とは違うロベリアにリトは興味があった。
「いや、怖いわよ。でも私なんていつでも殺せるのに、なんで殺さないのかしら」
ゼラは相変わらず怖いようでリトは少し安心した。慕っている主の甘えた姿は想像し難い。そしてゼラがロベリアを殺さず、気に入っている理由もリトには分かった。
「だからですよ、ロベリア様」
「どういうこと?」
「そういうところです」
──優しくて、したたかで、真っ直ぐで。
リトは白い薔薇を一本、二本……と切り、大きな机へ運んだ。
「ゼラくんのことは嫌いですか?」
薔薇の刺をひとつひとつ丁寧に取りながら、ロベリアに問いかけた。
「嫌い……ではないわ」
キファレス領民の温かさを見てしまったから。そしてリトに薔薇の話を聞いてしまったから。そんなゼラを嫌いにはなれなかった。
そうですか、と薔薇の茎に上品な白のレースを巻き付け、蝶々結びで仕上げた。
「できた! はい、ロベリア様」
「え、私に?」
半円を描くようにきれいに束ねられた白い薔薇が二十二本。傷一つなく、真珠のように煌びやかに美しく輝いている。
「はい、そしてゼラくんに向けても」
リトの優しい笑顔と共に添えられた、ロベリアとゼラへの花言葉。
──お二人の幸せを心から願っています
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