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08 レモンチーズケーキと君
『ねぇ、なにつくってるの?』
『レモンチーズケーキでございます』
『ケーキ! わたしもつくる! プレゼントするの!』
『どなたにですか?』
『お父様とお母様と、それから──』
キッチンから甘く爽やかな香りが漂い、鼻をくすぐられた自称パティシエは目が覚めた。ケーキを窯に入れ様子を見ていたものの、昼下がりのキッチンに差し込む暖かな日差しに眠りと誘われてしまった。
──夢……あれは小さい頃の私……?
二度寝も気持ち良くできそうだったが、自身がケーキを焼いていたことを思い出した。
「いけない! ケーキが!!」
勢いよく立ち上がると、フォークを持ったゼラと目が合った。食事をするための器具でしかないフォークだが、この男が持つと凶器に見えてしまう。
「ヒッ!?」
なんだ起きたのか、と一目するもそれ以上の関心は持たず、椅子に腰掛けた。ケーキはゼラの手によって窯から机へ出されており、焦げ目もなくちょうどよい頃合いだった。
「ちょっと! 私のケーキよ!」
「食い意地をはるな」
何等分するわけでもなくホールのままフォークで突こうとしているゼラ。そのセリフに矛盾が生じているのは気づいていないようだ。
「ちょっと! なに一人で食べようとしてるのよ!」
「これはゲンテが定期的に作ってくれる俺へのケーキだ」
「違うわよ!」
ホールケーキが二人の間を往復する。ゼラに至っては冷静な声で返答しているが、行動にはロベリア以上の熱が感じられる。獲物を奪われまいとギリッと歯を見せつけ、獣のように威嚇した。
「ケーキが焼ける間、様子見を任されていただけだろ?」
「違うわよ! 私がイチから作ったの! ゲンテにレシピも聞いていないわ。なんだか作れる気がして。だから私のオリジナル、そして私だけのものよ!」
本当はゼラにも食べてほしくて焼いたのだが、そう素直にはなれなかった。
「……は?」
目を開き一驚した姿はゲンテと同じだった。すぐにいつもの殺人鬼のような目つきに戻ったが、碧眼の海は少し揺れていた。
「ますます誰にもやらねぇ」
ケーキはゼラの腕の中に包囲されてしまった。筋肉で出来た要塞を壊さなければケーキにはありつけない。ゼラの腕を掴み、思いっきり引っ張るもロベリアの力なんぞでは動くはずもない。
「なんでよ! 私も食べるわ!」
「やだね。これは俺だけのものだ」
「子供なの!? そんな顔でケーキが好きとか似合わないんですけど!?」
二人の攻防戦に決着をつけたのは、様子を見に来たゲンテだった。寝ていたのか泣いていたのか少し目が赤くなっている。
「物を粗末にしてはなりませぬぞ」
ひょいっとゼラの要塞を打ち破り、二人の間で彷徨っていたケーキはゲンテの手に渡った。慣れた包丁捌きで一ミリもズレることなく均等に八等分にした。
「ゼラ様も一気に食べてはダメだと毎回教えているでしょう」
「……」
ゼラは目線だけ天井に向け、まるで子供のようにゲンテの指摘を無視した。先ほどまで張り合っていたロベリアも大人気ない態度に反省をした。この時ばかりはゲンテおじいちゃんの孫のような二人だった。
「俺は部屋で食べる」
そう言ってケーキと紅茶をトレイに乗せ、自ら運んでキッチンを後にした。
不貞腐れたように見えるが、さすがにゼラもそこまで子供ではない。ここで食べてしまえば瞳に揺れていた海は波を打ち頬へと流れてしまう。そんな姿をロベリアに見せるわけにもいかないためだが、ロベリアにはそう映らなかった。
「……ゼラ様はとっても喜んでいらっしゃいますな」
「あれで? ホールケーキが八等分になったからスネてるのよ」
「ふふ、そうではありませんよ。きっと笑顔になっておられます」
「ゼラがケーキを食べて笑顔になるなんて世も末だわ」
天地がひっくり返ってもその姿は想像し難いものだったが、長年寄り添っているゲンテがそう言うのであればそうなのかもしれない。ロベリアはそういうことにして、ケーキを一切れ口へ運んだ。
「美味しい! やっぱりパティシエよ!」
レシピもなく正確な記憶もなく、なんとなくで作ったケーキに不安はあったが想像以上の美味しさにロベリアは大きく両手を上げ歓喜した。ここにアスタがいたのであれば鞭が飛んできたに違いない。
ゲンテが用意した紅茶は少し渋みがあり、甘いレモンチーズケーキとのマリアージュがまた絶品だ。
「……本当、美味しいですロベリア様。どこか……懐かしい味がしますな」
「あら、そうなの? なら……もしかしてそのケーキ屋に行けば、私は生まれた家に帰れるんじゃない?」
取り巻きとしてフォセカに使える前の家に。きっと夢で見た温かな空間に。
──そうすれば、ゼラとも……
「残念ながらそれは違いますな。私が贔屓しているケーキ屋は限られておりますゆえ、店主とも顔見知りですから」
そう、と呟いたロベリアの表情は何も変わらなかった。過去の記憶が取り戻せる手がかりになるかもしれなかったのだが、今のこの環境にも少し慣れてきた。ゼラに全てを許したわけではないが、ロベリアにとってキファレス邸は温かな空間の一つになっていた
──でも私、ここにいても大丈夫なのかしら……
今までに感じたことのない感情にどう向き合っていいのか戸惑い、そしてゼラの企みも分からない。温かな空間と不安な心境が反発していた。
「……ねぇ、ゲンテ。ゼラは何を企んでいるの? 王女の命令で私を攫っておきながらも王女の思惑を全て私に話してくれたわ。そしてゼラは王女のことが嫌いということも」
攫われた夜、ゼラとの話はそれまでだった。ゼラは王女のことを気に食わなく思っており、ロベリアを殺すつもりもない。けれどそれでは話が進まない。ロベリアを殺さずにいたらフォセカが痺れを切らし事を起こすのはそう遠くない未来だ。
「ゼラ様はいかなる時もロベリア様のことだけを想っております。本当です」
音を立てずに上品に紅茶を飲む紳士な姿はとても様になる。ゆっくりとカップを置き、ナフキンで口を拭く。
「年寄が若者方の事情に口を挟むわけにもいきますまい。ゼラ様は先のことまでお考えです。この後話してみてはいかがですか?」
「えぇ……」
残っていた紅茶を飲み干し一息つく。ゲンテのような上品さにはまだ修行が足りないようだ。
「あぁ、そうでしたロベリア様。お手紙が届いております」
胸ポケットから出された一通の手紙。光沢のある真っ白な封筒に真紅の封蝋がされている。左下には「ジャミ・プロキオン」と美しい筆記体で書かれた署名。
「ジャミだわ!」
「お友達ですかな」
「えぇ。学園時代、唯一の友人よ。同じ図書委員だったわ。彼女は……本当の私に気づいてくれた大切な大切な友人」
学園でロベリアの味方は誰一人いない。しかしこれは表向きであり、実は唯一友人として存在したのがこのジャミ・プロキオンだ。当然、ジャミとロベリアが仲が良い姿は他人には見せられない。見つかればフォセカに嫌がらせをされるのは必然だからだ。
学園ではフォセカを除く令嬢はみな委員会に属しており、ロベリアは図書委員だった。そこでペアとなったのがジャミだ。月末に図書室を締め切って行う書籍整理の時にだけ会える、秘密の友人関係だった。
ゼラの部屋へ向かう前に自室へ寄り、手紙がボロボロにならないように封蝋をそっと開けた。
──親愛なるロベリアへ
お元気ですか?
学園を退学したと聞いてとても驚いたわ。この時期にどうして?
そしてキファレス様と婚約だなんて……。
いろいろ聞きたいことがあるんだけど、手紙では控えておくわね。
学園がお休みの週末は、基本的に家にいるわ。
この手紙がいつ届くか……無事届いているかも分からないけれど
ぜひ遊びにいらして。待ってるわ!
──ジャミより
「ジャミ……」
急に学園から追放されたロベリアは、ジャミに別れの声をかけることができずにいた。後日手紙を出せば良かったのだが、目まぐるしい毎日に忙殺され余裕がなかった。
それにゼラの企みも分からないままだ。下手に行動してしまってはジャミの命の危険も考えられる。どのみち手紙を出す選択肢はしていなかったかもしれない。
「さっそく明日行ってみようかしら……。でもまずはゼラから話を聞いてからね」
ジャミに勇気をもらったロベリアは、恐らく笑顔になったであろうゼラの部屋へと勇しく向かう。笑顔の源は自分だと知らずに。
『それから──ゼラにあげるの! だっていつも怖い顔をしているんだもの、食べたらきっと笑顔になるわ!』
それは小さな王女様と少年だった剣士の甘酸っぱい恋の夢──。
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