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14 ゼラニウムの涙
「ちょっと、何するのよ!」
キファレス邸までの帰り道、かつて身に覚えのある光景があった。ゼラがロベリアを肩に担いでいるのだ。女性を樽のように抱える男、男性の背中を叩き騒ぎ立てる女は、どちらも貴族の名にふさわしくない。
「おまえ……重くなったか?」
「失礼ね!!」
見た目こそ太ってはいないものの、アークリィ家に住んでいた頃よりも、健康的な体になったことは確かだろう。ロベリアにとって、ゲンテの料理は名高いシェフが作るものよりも美味しく、スパイスが効いた大好物の肉料理が出された日には、ゼラが引いてしまうほどの食べっぷりだった。先程まで、見え隠れしていた月は完全に顔を出し、重なり合った影が道に伸びている。
「……なんでこんな遅くまで外にいた?」
「……関係ないわよ」
ロベリアは、昨夜ゼラに言われたセリフをそのまま返した。本当なら面と向かって謝罪とお礼をするべきだ、とロベリアも分かっているのだが、どうしても素直になれない。
「あのなぁ……」
「だって! ゼラだって話してくれないじゃない」
「…………」
ロベリアの言葉にゼラは閉口した。
空を見上げ、誰かを思い浮かべているようだったが、その姿が背後で見えないロベリアは立て続けに思いをぶつける。
「意味が……意味が分からないのよ。私を使って王女に何をしようとするの? 今さら私が守られるだけの理由があるとでも? キファレス領の後継が心配なら、他の令嬢でも探せばいいわ!」
はぁ、とため息をつき、道端に重ねて置かれていた丸太にゼラがそっとロベリアを降ろした。
「……手放すのね」
降ろせと騒ぎ立てておきながら、いざ降ろされてしまうと心細くなったのか、少し涙混じりの声だった。ゼラに弱みを見せまいと、拳にした両手を強く握った。
「手放さねーよ」
「……売るのね」
「売らねーよ」
ロベリアの眉間に皺が寄るも、それはあっという間に解かれた。ゼラがロベリアの手をそっと取り、手の甲に小さくキスをしたからだ。
「なっ……!」
頬を赤くしたロベリアを見上げるゼラの瞳は、欲情にも似た艶やかなものだった。瞳に捕らえられたロベリアは、目を離すことも手を離すこともできず、硬直したままだった。
「ほかでもない、おまえがいいんだよ、ロベリア……」
「……なら、隠していること全部話してくれるのね?」
「……あぁ」
ロベリアはゼラの左側にそっと座った。昔話を始めた彼の横顔はとてもきれいで、とても哀しい目をしていた。
「俺の生まれは、此処アルニタク王国ではない。隣のピスキウム王国だった。当時、キファレス領はピスキウム国の配下にあったんだ……」
──ゼラ・キファレス。
キファレス領の長男として生まれた。
領主たる父は厳しく、母は過保護なほど優しく、形は違えどゼラにたっぷりと愛情を注いでいた。何不自由ない温かな家庭だった。
「俺は十歳の時、母親に強く当たってしまったことがある。今なら母親の愛情が分かるが……当時は鬱陶しかった」
いわゆる反抗期だ。
大袈裟に心配する母、必要以上に干渉する母、小さな子供扱いする母。自立したい幼心には、厄介な存在でもある。
「その時俺は、母親の部屋に飾ってあった花、ゼラニウムの鉢を壊して花を踏みつけた」
「ゼラニウム……もしかしてゼラの名前って」
「あぁ、その花から貰ったと聞いている。だから余計に嫌だった。母親の部屋で守られている自分がいるような気がしてな」
ロベリアはゲンテが話していたことを思い出した。
奥様はお花が大好きだった、と。
大好きな花、それも愛息子の命名となった花だ。それを息子に壊される光景は、とても辛くて、寂しいものだっただろう。
「そこで俺は初めて母親の涙を見た。親の涙ってのは……今でも鮮明に覚えている。幾つ年を重ねても、消えることはない」
謝りたくても、もう伝えることはできない。
どうしようもなく溢れる想いを抑えるかのように、ゼラは自身の胸元を掴んだ。
「花をプレゼントして謝ろうと思ってな、花屋へ出かけたんだ。誰にも言わずに黙って行った、今日のおまえみたいに」
重い空気を和らげるかのように、ロベリアをからかう。
「もう……」
自らの過ちを悔いた幼少期のゼラは、近くの花屋へ出かけた。しかし、この国にはゼラニウムは売られていなかった。ピスキウム王国の東隣にある同盟国、レポリス王国ならばある、と知る。ピスキウム王国を中心とすると、レポリス王国は東、フォセカ王女のアルニタク王国は西にある。
「馬車を乗り継いで一番近い花屋に到着したが、やはり距離はあるからな。帰る頃には日が沈んでいた。でも遠くから見える家はいつもより明るかった……燃えていたんだ」
口前で絡められていた両手に力が入り、怒りと悲しみで体が震えているゼラ。
ロベリアには生まれた家の記憶がない。かつて養女として住んでいたアークリィ家が、焼失したとしても何も思わないだろう。今のキファレス邸が燃えてしまったら少しばかり胸が痛むが、たった数週間過ごしたにすぎず、両親もいない。ゼラのような苦しみは、ロベリアには分からない。かけるに相応しい言葉が見つからず、そこからはゼラの話を黙って聞くことにした。
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