16 ローズガーデン

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16 ローズガーデン

「ラークス様! どこにいらっしゃるのですか!?」  ピスキウム宮殿では日常茶飯事の言葉だ。従者たちは、広いピスキウム宮殿を駆け回り、ラークスを探す。 「あっ、ゼラ様! ラークス国王を見ませんでしたか?」 「いや……。また外に出てるんじゃないか?」  ラークス国王は、よく外へと出かける。王座に座り、踏ん反り返っているような王とは違う。自分の足で、民を見て、国を見て、世界を見ている太陽のような人だ。  キファレス邸が燃えた時も、ちょうど近くの領地へと足を運んでいた。噂を聞きつけ、足早にキファレス邸へと向かい、間一髪ゼラを助けたというわけだ。 「まったく、陽気な国王様だ……」  やれやれと呟く従者の顔は、困っていながらも、険悪な雰囲気ではなかった。この国王は、民から、従者からも、もちろん王妃や娘からも愛されていた。 「もう、ほんと困るお父様ね!」  突如、ゼラの後ろに現れた、国王と同じ瞳の色をしている王女。 「ローズ様、それは……」  小さな手には余るほどの大きな籠を持ち、むしゃくしゃとクッキーを食べながら歩いていた。 「さっき、ゲンテとお菓子作りをしていたのよ! ゼラも食べる?」 「いや……結構です。そんな姿、マーガレット様にでも見られたら……」  遠くから、ズシン、ズシンと黒い影がやってくる。   「ローズゥウゥ〜? どうして座って食べることができないのかしら……?」  怒りに満ちた声と地響きを立てながら向かってくる、マーガレット王妃。  王妃ということを除いても、この国一番に美しいほどの彼女だが、今は神話に出てくるメデューサのように恐ろしい。 「お、お母様〜! ゼラ、ほら! 行くわよ!」 「はい!? ちょっと、俺まで怒られるじゃないですか」 「二人とも、待ちなさい!」  クッキーの籠を近くの従者に叩きつけたローズ。ゼラの手を取り、逃げる。  こんな光景も、日常茶飯事だった。 「……今度は、何をしていらっしゃるんですか」  庭に到着すると、ローズは木登りを始めた。ドレスから見えてしまう下着のことなど、何も気にせず勇しく登ってゆく。陽気で活発なところは、誰が見てもラークス譲りだ。 「この上から見れば、お父様も見つかるわ!」 「そんな見つかるわけないでしょう……」  ゼラは、ピスキウム家に来てから、王女の子守役にもなった。いや、王女が付き纏うため、必然的にそうなってしまったのだ。 「なかなか難しいわね。ここを持って、あっちに足をかけて……あっ!」  王女が落ちた。といっても、大人二人分ほどの高さまでしか登れなかったため、命の危険はない。ゼラは優しく受け止めた。 「だから危ないと言ったでしょう」 「へへ、でもゼラが守ってくれるんでしょう? 心配ないわ!」  自分だけに向けられる無邪気な笑顔に、ゼラは敵わない。少し顔を赤らめ、顔を逸らした。 「……ったく、困ったお方ですね……」  そっと王女を降ろすと、彼女は瞬く間に駆けていく。 「ゼラ、こっちへ来て!」  次から次へと振り回されるゼラだが、悪い気はしなかった。ローズといると心が晴れるのだ。少しずつ生きる喜びを感じてきている。これも、ローズのおかげであろう。ローズの後を追い、辿り着いた先は薔薇の庭園だった。 「この場所、まだ紹介していなかったわよね!」 「薔薇、ですか」  そこには色とりどりの薔薇が、一面に広がっている。 「そう。ローズガーデン、とお父様は言っていたわ! つまり私のお庭よ!」  ローズが生まれて造られたものなのか、庭園が先なのかはゼラには分からないが、彼女が幸せそうに笑うので、そういうことにしておいた。 「あ! そうだわ!」 「また何か?」 「ゼラ、ここで待っていて!」  ローズに背中を押され、ガーデンチェアに座らされた。何か企んでいるのだろうか、ローズの目は輝いていた。 「すぐ戻るから!」 「あっ、ローズ様!」  ローズは宮殿へ走って行った。ゼラは、はぁ……と小さくため息をつき、言われた通りに待つことにした。誰もいない薔薇の庭園。しんと静かな空間は、この世に一人だけ残されてしまったように感じてしまう。 「お母様……ごめんなさい……」  たまに一人になると、どうしても、あの日潰した花と、キファレス邸を灰にした炎を思い出してしまう。 ──しっかりしろ俺。もうキファレスの領主なんだぞ……  ゼラは宮殿へ来てからというもの、一人の時間はほとんどなかった。  朝は、国王と側近の皆で食事を取ったり、ローズの子守をしたり。  昼は、アスタという女教師がやってきて授業を受けたり、ローズの子守をしたり。  夜は、国王の雑談に付き合ったり、ローズの子守をしたり。    客室も多い宮殿ではあるが、王妃の計らいで、ゼラの部屋は執事のゲンテと同室だった。孤独にさせないためだろう。 ──俺、本当に生きてていいのか?  ゼラは眉間に皺を寄せ、険しい顔で俯く。もう願っても、何も、誰も戻ってこないのだ。 「まぁたゼラったら、怖い顔しているわ!」  戻ってきたローズは、ゼラの顔を覗き込んだ。 「……ローズ様。申し訳ございません」 「大丈夫よ、ゼラ! それより、いいものを持ってきたの!」  ローズは、両手でゼラの顔を掴み微笑んでみせた。 ──またその笑顔を向けるんですか……  新緑色の瞳に碧く深いゼラの瞳が捕まえられた。ゼラを真っ直ぐに見てくれた、あの時の国王と同じ綺麗な瞳に、ゼラは吸い込まれそうになる。目線だけ右へ逸らしたゼラの耳は、赤い薔薇のように染まった。 「ローズ様、お持ちいたしました」  銀色の長髪を一つに束ねた執事、ゲンテが白い布の敷かれたワゴンを運んできた。その上にはティーセットと料理が乗っている。料理といっても、銀のクロッシュで覆われているため、ゼラには中身が分からない。   「ありがとう、ゲンテ! さ、ゼラ。ここに注目よ!」  この中には、ローズが目を輝かせた何かがあるのだろう。彼女がクロッシュを指差したと同時に、ゲンテが蓋を開ける。 「……ケーキですか?」    そこには、薄く切られたレモンがたっぷりと乗ったホールケーキがあった。 「えぇ! レモンチーズケーキよ! 最高の出来だわ」 「ローズ様が、ゼラ様にと。一緒に作ったのですよ」  ゲンテは、一ミリもズレることなく均等に八つに切り分け、小皿へと盛る。  ローズは勝ち誇ったように腕を組み、深く肯いた。 「えぇ! きっととっても美味しいわ! これで、ゼラも笑顔になるわね!」 「俺に……?」  フォークで小さく切り、一口食べた。口の中にレモンの酸っぱさと、チーズのまろやかさが甘みとなって広がる。レモンの爽やかさがツンと鼻を通した。 「……美味しい、美味しいです」  そして、少し、しょっぱかった。  それはケーキの味ではなく、ゼラが流した涙の味。 「ゲンテ、どうしましょう!? ゼラが、ゼラが泣いてしまったわ!」  慌てるローズに、ゲンテは「大丈夫ですよ」と声をかけながら、ゼラの涙を拭く。 「……いや、違うんです、ローズ様。その……とっても……嬉しくて」 「そう! なら毎日作るわ!」  ローズは両手を腰にあて、凛々しい顔をしていた。  その心が嬉しくて。  俺に向ける、その笑顔が眩しくて。  家族を失った悲しみは消えないけれど、その傷は、貴女が癒してくれる。 「ローズ様、あなたって人は……」  ゼラは、屈託のない満面な笑みでお礼をした。      二年後、キファレス邸は再建しゼラは生まれた地へと帰った。そこには、かつてのキファレス邸と瓜二つの、新しいキファレス邸の姿があった。同じ造りにリクエストしたのは、ゼラだった。過去の辛い思いに目を背けず、背負って生きていくと決めたからだ。 「ただいま戻りました。お父様、お母様」  沈痛する表情を浮かべ、階段に飾られた両親の肖像画を見上げる。 「……笑った?」  肖像画がそっと笑ったように思えたのは、ゼラが少しだけ前に進めている証拠なのかもしれない。
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