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19 兄弟
「どけ」
ゼラは近くを走る荷馬車へ飛び乗り、背後から運転手に剣を突きつける。
「ひっ……あんた誰だ!」
「うるせぇ……さっさとどきやがれ」
ゼラは運転手を突き飛ばし、男は地面へと倒れる。馬へ乗り、剣で荷台との連結部分を切り落とした。馬に鞭を打ち、戦場へと向かわせる。湧き上がり溢れる殺意が、ゼラの心を支配していた。
──殺して、殺して、殺して、死ぬ。
ただこれだけが、今のゼラが生きる全てだった。気づいた時には骸の山が転がっていたが、感情も何もない。そこにあるのは虚無だけだ。
ゼラにとって、同盟国だろうと相手国だろうと、何も関係ない。この戦場にいるものは全て敵だ。目につく人間を構わず、何日も斬り殺した。
この戦場で生き延びた人間が、のちにゼラの話をする。
これが後にアルニタク王国で噂される「冷酷非道の殺人狂」の元凶だ。
ゼラの煩悶する心をかき消すかのように、斬ることを止めない。
斬って、斬って、斬り殺す。けれどいくら繰り返しても、何も変わらない。大事な人々を失った重さは、骸では計れないのか。
──……殺す、死ね、消えろ、消えろ、消えろ!!!!!
無我夢中で無造作に剣を振りかざしている時、西の方向で「たす、け、て……」と、か細い声が聞こえた。ただ、この時のゼラにとって、救いを求める声は獲物の声である。飢えた獣と化した男、ゼラの足はすぐさま声がする方へ向かっていた。
「……怖い、怖い、怖いよお母さん、どこ、どこにいるの……たすけ、て……」
そこには一人の少年が震え、泣いて、蹲っていた。
──……フン、国の奴らの恨むんだな
獣が牙を出すかのように、ゼラは剣を大きく振りかざした。躊躇もなく殺す、はずだったが、ピタリと止まる。少年の横には、真っ赤なゼラニウムが咲いていたのだ。大好きな母親が大切にしていた花、壊してしまった花、渡したかったけれど渡せなかった、思い出の花。
──ゼラ、あなたが生きているだけで、私たちは幸せなのよ
いつかの昼下がり、母親の膝の上に乗ったゼラと。
彼の頭を撫でながら、優しく唱えてくれた母親。
何気ない一言だったけれど、今思い出すのは何故なのだろうか。
母親がまだ生きろと、そう告げているような気がして。
ゼラはそっと剣を下し、小さく蹲った少年を、優しく抱きしめた。あの時、ラークスがゼラにしてくれたように、優しく、優しく。
「……た、すけ、て……たすけ、て……たすけて」
少年は、怖くて顔も上げられないようだった。
蹲ったまま、助けを乞う。
「……大丈夫。おまえは一人じゃない」
ゼラは、その瞬間、どこかに無くしていた人としての心を、ようやく一欠片だけ拾い上げることができたのだった。
戦争も終わりが見えていた。恐らく、レポリスの敗北に終わるであろう。
だが、勝敗などゼラには関係ない。衰弱した体に少年を背負って、戦地を後にした。
◆◆
「ゼラ様!!!」
キファレス邸の扉を開けると、血相を変えたゲンテが、ゼラへと歩み寄る。
──あぁ……もう大丈夫だ……
ゲンテの声が聞こえた安堵からか、ゼラの視界が暗くなった。ゲンテは倒れるゼラを抱きかかえ、安静にさせた。本人は狂気のあまり気づいていなかったようだが、至る所から血は流れ、肋骨は折れ、虫のような息でかなりの重症だった。ここまで少年を背負って帰ってこれたのが不思議なぐらいだった。
その後、医者とゲンテの看病により一命を取り止め、三日後の夜に目が覚めた。体を起こすも、節々が痛む。
「いって……」
近くに座っていたゲンテが、その声に反応し勢いよく立ち上がった。
「……ゼラ様! 良かった……良かった……!」
「……ゲンテ。……俺は……、俺は」
──殺した。罪のない多くの人間を、この手で。
ゼラが殺めた人にも、愛する誰かがいただろう。
ゼラが殺めた人を、愛していた誰かもいただろう。
多くの愛をこの手で潰した。
──俺も奴らと同じじゃねぇか
ゲンテがゼラをそっと抱きしめ、涙する。
「聞きません、何も。……ゼラ様が生きていてくれるだけで、それだけでいいのです。だからどうか、どうか死ぬなどと……生きて、生きてください」
二度、生かされた命。
背負っていく代償は大きい。
それでも、ゼラは決意する。
「……生き抜いてやるよ、何があっても」
ゲンテの背中にそっと手を置いた。ゼラの冷え切った手に、温もりが宿った。
「はい。約束ですよ」
「……あぁ」
もうあの頃のゼラ・キファレスはいない。
今は十字架を背負えるだけの力が彼にはある。
「……なぁ、俺が連れてきた少年はどこだ?」
「客室に。ただ……塞ぎ込んでいらっしゃいます。常に医師を傍へつかせておりますが、食事も水程度だそうで……」
「そうか……。俺が行こう」
ゼラの肋骨は包帯で固定されているものの、一人で歩けないほどではない。ゆっくりと客室へ向かう。ドアをノックすると、医師が出てきた。彼には外へ出てもらい、ゼラは少年と二人っきりになった。ベッドの隅で小さく蹲る、銀髪の少年。
「よぉ、少年」
「…………その声……!」
聞き覚えのあるゼラの声に、少年は顔を上げて反応した。やつれた顔に、緋色の目がゼラを見つめた。
「覚えていたか」
ゼラは、そっと少年の横へ腰掛けた。
「……どこ、お母さんは、お父さんは、どこにいるの!? ねぇ、知ってるでしょ? ねぇ、返して……返してよ……!!」
少年は、ゼラの肩を両手で掴み、大きく揺すった。
──恐らく、この少年の両親はもう……
この少年が蹲っていた周辺に、大人の姿はなかった。
──それに、俺が殺めてしまった可能性だってある
戦争とはそういうものだ。相手の顔や名前など、誰も覚えていない。敵か味方か。ただそれだけだ。
「……おまえの両親のことは、俺は知らない」
「何で! 何で知らないんだ!!!! やだよ、死んじゃったなんて……やだ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ」
情緒が不安定な少年は、ゼラの肩を掴み、必死に訴える。
「……いいか、俺は知らないんだ。死んでるかも、生きているかも」
「……生きている……?」
「あぁ、そうだ。まだ分からないんだ。おまえが勝手に殺してどうする?」
「生きているの……!?」
「……かもしれない、な」
ゼラは少年の頭をそっと撫で、負傷している腕でふわっと優しく抱きしめた。
──ラークス様、俺、今なら……今なら分かります。
──あなたがどうして、嘘をついたのか。
──そしてあなたも、俺と戦ってくれていたんですね
──だって、誰かを想う嘘は、こんなにもこんなにも苦しいものだから
ラークスが与えてくれた目に見えぬ愛。
それは、ずっとゼラを支えくれていた。
「……じゃあ、僕は、僕はどうすればいいの……?」
「……生きるんだ。大丈夫、俺がついている」
少年はゼラのシャツをギュッと掴み、震えていた。
両親が生きているかもしれないと、少しの希望を抱いた少年は、生きる道を選んだようだ。
「……お前、名前はなんていうんだ?」
「リト……。リト・ロンクルスっていうんだ」
この少年は、のちに、キファレス邸の庭師になる。
リトは、ゼラの腕の中で眠った。ゼラもまた、彼の寝顔を見ながら、夜を越えた。
朝方、様子を見にきたゲンテは微笑ましく二人を見つめた。
「まるで、兄弟のようですな」
同じ夢を見ているかのように、二人は笑顔で眠っていた。
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