711人が本棚に入れています
本棚に追加
21 貴女へ
「お迎えって……えっ!?」
「貴女の本当の名前は、ローズ・ピスキウム。ローズ様、遅くなったご無礼をお許しください」
ローズがロベリアとして学園に姿を表わした二年前。すぐに手を打つことはできなかった。黒幕であるアルニタク国の王女、フォセカを取り巻いていたからだ。本来、取り巻きと呼ばれる立場は王女の味方である。しかし、敵でありながら近くにいるこの状況は、やはりローズの意思ではなく裏で動かされていると考えるのが妥当だった。さらにローズの様子がおかしい。ゼラは幾度か目が合ったが、ゼラの存在を「ゼラ」だと認識せず、イチ領主として見られていることを感じとった。かつてのローズの面影はなく無反応だった。
記憶を失っていることは、後に風の噂で知ることになる。この状況を見たゼラは下手に動いてしまえば、ローズの命もなければ国を取り戻すこともできなくなると判断し、妻として迎え入れが可能な時期まで待つと苦渋の決断をしたのだ。
ゼラが冗談を言っているようには映らなかった。話はなんとなく理解できたロベリアだが、当然受け入れられるわけでもない。
「……私がローズ?」
「そうです」
「私は隣国の王女?」
「はい、ローズ様」
「でもその話だと、私が女王として隣国に戻るという……?」
「左様でございます」
一転した事実に、全てが他人事のように思えてしまうロベリア。事実を受け入れられないのも確かだが、ゼラのその口調も受け入れられない。
「それよりその口調やめなさいよ、調子が狂うわ。いつも通りにしてちょうだい」
「ローズ様がそう命ずるのであれば」
ロベリアを茶化してはニヤニヤしていたゼラは、どこへ消えたのだろうか。
ここにいるのは、ゼラからいつものゼラを取ったようなゼラだ。つまりロベリアにとって、目の前にいるのはゼラではない。
「もう、そのローズ様もなしなし! ……こ、これは女王命令よ!」
ここぞとばかりに、違和感でしかない王女の立場を利用した。しばらくの沈黙の後、ゼラがため息をついて立ち上がり、気だるそうに肩を回す姿はいつものゼラだった。
「ったく……。まぁいい、お前女王ってツラじゃねぇもんな」
「ちょっと、それはそれで失礼じゃない?」
いつものような二人に戻る。ロベリアは少しだけ嬉しかった。
「とにかく、そういうことだ。国を取り返して、黒幕のアルニタク家をぶっ潰す」
フォセカはロベリアを苦しめるために、ゼラと婚約させた。しかし、これは自らの首を締める行為だった。当然、彼女は、ゼラが裏で反逆を企てているなど、知る由もない。
「アルニタク家が潰れるのは賛成だわ。でも……私が隣国の王女に戻るなんて無理よ! 記憶も権力も何もないわ! できるわけないじゃない!」
「……俺みたいな剣士の代わりはいくらでもいる。だがな、女王はローズ様しかいないんだ。おまえにしかできないことだ」
「……そう言われても……」
──このまま、フォセカの玩具でいたくもないけれど……でも……
ロベリアは葛藤する。
一つの国を背負うなど、たくさんの命を守るなど、つい先日まで取り巻き役で仕えていた自分にできるわけがない。
──それにゼラみたいに、過去を受け入れられるほど強い人間ではないわ……
「……無理なものは無理よ」
「……今すぐ決意するのは難しいだろう。まぁ女王にならないなら、キファレス領に嫁げばいい話だ」
「それも無理よ!」
ロベリアは反射的に返してしまったが、
──……そっか。女王になれば、領主相手に婚約する必要もないのね……
女王になるということは、ゼラよりも遥か上の、最高地位に着くということだ。ロベリアの胸がきゅっと小さく痛んだ。
「ふん、それならさっさと王女になることだな……まぁ、今日のところは十分だ。帰るぞ」
「えぇ、ゲンテも心配しているわね……」
遠くの方で、馬が勢いよく駆けている音がした。あんなにも馬車を暴走させることができる人間は、ただ一人。
「ゼラ様ーーー! ロベリア様ーーー!」
ゲンテだ。
「あら、噂をすれば……」
「相変わらず、ゲンテの暴走具合はすごいな」
「ゲンテー! ここよー!」
ロベリアは大きく声を上げ、ゲンテを呼び寄せた。
「はっ……! そのお声は……! ロベリア様ぁぁぁああぁ!」
あっという間にゲンテが到着した。相変わらず「速い馬」だ。馬から降り、ロベリアの元へ駆け寄る。
「ロベリア様、ご無事でしたか!!」
「えぇ……なんとか。ゼラが来てくれたわ」
「安心しました……あぁ、私という従者がいながら、ロベリア様の外出に気づかないなんて」
「ゲンテは悪くないわ! ……私が、悪いの」
「いえ、そんな……。ろ、ロベリア様! 血が! 血が出ていらっしゃいませんか!? あぁ、急いで医者を呼びましょう! さぁ!」
ロベリアの腰が赤く染まっているのを発見したゲンテは、慌てふためいていた。ロベリアはどう言おうかと目を泳がせていたが、ここまで心配をかけているのだ。正直に話すしかないだろう。
「落ち着け、ゲンテ。こいつのは赤ワインだ。」
ロベリアが説明する前に、ゼラが口を挟んだ。
「赤ワインですと……? どうしてまた?」
「大方検討はついているがな……じっくり聞かせてもらおうか?」
「えぇと、これは、その……」
「あぁ? おまえは歩いて帰るか?」
「うっ……。は、話すわよ!」
にやっと笑うゼラは、いつものからかう目をしていた。ロベリアは馬車に乗り、ほっと一息ついた。
──そういえば、あの悪党どうなったのかしら?
ゼラに視界を塞がれたロベリアは、悪党がどうなったか知らない。
ただ、ゼラを目の前にして、軽傷では済まなかっただろうなと、呑気に考えていた。
外では、ゼラとゲンテが、ロベリアには聞こえない声で小さく会話をしていた。
『西の方に死体が散らばっている。事を大きくしたら厄介だ。明け方までに埋めておいてくれ』
『かしこまりました。後ほど手配しておきます』
ゲンテが馬車を走らせ、ロベリアはゼラに懺悔した。
「へぇ……荷台に飛び乗った、か」
ゼラの冷たい視線がロベリアに刺さる。
「え、えぇ……。そ、それより、どうして私がこの道にいるって分かったの?」
「おまえの部屋に入ったら、ジャミ様の手紙を見つけた。プロキオンまでは一本道だからな、歩いているならここだと思った」
「ちょっと! なんで勝手に手紙なんて読むのよ!」
「机に出してある方が悪い。そもそもおまえ、言える立場じゃねぇだろ?」
「……はい」
確かにそうだ。
迷惑をかけまいとゲンテに告げずに出たものの、結局大迷惑をかけている。
手紙が机の上になければ、今頃ロベリアは悪党どもに攫われ、さらに大事になっていただろう。
「……これから外出する時は必ず言え。いいな」
「……はい」
しょんぼりしていくロベリア。
いつも威勢のいい彼女も、こんなに落ち込むことがあるんだと、ゼラは少しだけ意外な顔をしていた。
「……あと、悪かったな」
「……えっ? 今なんて……?」
「…………」
ゼラが大きくため息をついた。
「なんでもねーよ」
ふいっと小窓の外を見るゼラの顔は、少し赤くなっていた。
◆◆
「とってもお腹が空いたけれど、まずはお風呂ね」
キファレス邸に着き、ロベリアはネグリジェと下着を取りに部屋へ向かった。ドアを開けると、テーブルの上に黒い影が見えた。蝋燭に火を点け近くと、黒くてまぁるい瞳と目が合った。
「あら? ぬいぐるみ?」
それは絵本に出てきたような、赤いリボンをつけたクマのぬいぐるみ。リボンに付けられた、ネームプレートには「G for R」の文字。
GeraからRoseへ送られた、数年越しのプレゼント。
「……もう、これじゃ許すしかないじゃない」
仕方ないわね、と呟くロベリアの顔は、幼かった頃にゼラへ向けた、あの笑顔になっていた。ロベリアは物語の先を知らないけれど、きっと女の子は戻ってきたと信じている。
──男の子は、毎日毎日、剣の練習をしました。
「女の子を助けるんだ!」
男の子はどんどん強くなります。
「僕、こんなにも強くなったんだ! 見てごらん!」
そう言って、森の動物たちと決闘をします。
動物たちは、男の子に殺されてしまいます。
すると、どこからか声が聞こえてきました。
「少年、私は言ったはずだ。
間違った使い方をするなど」
「どうしてだ! 僕は強くなった!
これで女の子も助けに行けるんだ!」
「愚かなものだ。命を奪う剣など」
「強くなれと言ったのはそっちじゃないか!」
男の子には分かりません。
だって強いことは、勝つということだから。
「おまえの守りたいものはなんだ。
守ることと強くなることは違う」
「どういうこと?」
「守りたいもののために剣を振れ。
己の欲に剣を振るうな」
「……僕、女の子を守りたい!」
「ならば、今すぐ助けに行け。
守りたい者のために」
男の子は囚われている女の子のところへ走りました。
雨に打たれ、嵐にも負けず
襲いかかる獣に打ち勝ち
やっと、この手で──
「迎えにきたよ、僕の大事なお姫様」
最初のコメントを投稿しよう!