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24 ロベリアとローズ
「ロベリア様、お待たせいたしました!」
アスタが紅茶とデザートを持って、ロベリアの部屋にやってきた。
「あら? ゲンテはどうしたの?」
いつもならば、ゲンテが運んできてくれるのだが、今日はアスタがキッチンへ取りに行き、自ら運んできたのだ。
「今日は男子禁制! 女の子だけの密会をいたしましょう」
男子と呼べるほどゲンテは若くない。アスタも同様に、女の子と呼ぶには相応しくないのだが。
「ゲンテ様お手製のアップルパイと、最高級のハーブティですって! とっても美味しそうですわね!」
「わぁ……!」
絶妙につけられた焦げ目に林檎とカスタードの甘い香り。ダンスで緊張していた心をほぐしてくれるハーブの癒し。
ロベリアの目は輝き、今にもヨダレが垂れそうだったが、アスタの手前上、はしたないことはできない。必死にこらえた。
「アスタ、早くいただきましょう!」
「えぇ!」
ロベリアがナイフで一口サイズに切ると、中から林檎とカスタードがとろりと出てきた。ぱくんと一口食べると、口から体まで、とろけてしまいそうなほど美味しかった。
「最高だわ……! さすがゲンテね! 後でお礼を言わなきゃ!」
ロベリアは絶え間なく口に運んだ。そこに上品さはなく、おやつを与えられた子供のようだった。
――……あっ! アスタが見てるんだったわ!
あまりの美味しさにテーブルマナーなど忘れていた。横目でアスタを見ると、彼女もアップルパイに夢中だった。
「……今日は鞭を飛ばさないのね」
「あら? 飛ばしてほしいのですか?」
「い、いえ!」
ふふっ、とアスタは微笑み、ナプキンで口を拭いた。
「講義中でしたら、アップルパイを持ってきたところから鞭を飛ばしていますわ。姿勢がよろしくないですもの」
「うっ……」
自分の部屋にいることで気が抜けてしまっていた。休憩中で良かった、とロベリアは胸をなでおろした。
「今日は令嬢トークですわ。講師としてではなく、ロベリア様とお話したいんですの」
「……講師としてではなく?」
「はい。ロベリア様、何か悩んでいらっしゃるでしょう?」
「えっ……」
確かに、昨夜の一件には頭を悩ましている。無理もないだろう。命を狙われ、ゼラの過去を知り、そして自分が隣国の王女だったと知らされたのだから。普通の令嬢ならば、今日だって寝込んでいるはずだが、元取り巻き令嬢のロベリアには鍛えられた心がある。
「どうしてそう思うの?」
「乙女の勘ですわ!」
アスタは腰に手をあて、勝ち誇った顔をした。
「……なんて、ロベリア様を見ていれば分かりますもの」
数週間、スパルタ講師をしてきただけある。ロベリアの気持ちを一番早く汲み取ることができるかもしれない。
「アスタ……」
「ロベリア様自身に何かありましたか? それと、ゼラ様と。」
――アスタはかつての私と会ったことがあるけれど、目の前の私がその王女だなんて知らないのよね……
ゼラがロベリアの家、ピスキウム宮殿にいたころ、ゼラの教育係としてアスタが臨時講師という形で従事していた。当然、幼い頃のロベリアも知っているはずだが、アスタは一向にそれらしいことを言ってこない。
既に、ゼラが「似ているが別人だ」と伝えてあるのかもしれないが、ロベリアは真実を知らない。
「……私にしかできないことがある、とゼラに言われたわ」
何かあればゼラがアスタに言うだろう。ロベリアは王女ということを隠し、話を進めることにした。
「ロベリア様にしかできないこと……?」
「えぇ……。でも、それを背負うほどの力はないわ」
背負えるほどの知識も財力もない。記憶すらないのだ。そんな人間が上に立ったところで、国を支えることができるのだろうか。むしろ今よりも悪化し、また戦争を起こしてしまう恐れも大いにある。
「けれど、私がそれを背負わなかったら……多くの人を苦しめてしまうかもしれない」
隣のピスキウム国へ戻り、王女の座に付かなければ、ピスキウム国の治安は悪化し多くの人を苦しめる。戦争がなくとも、人々は苦しむのだ。王女と知ってしまった今、見過ごすわけにもいかない。
けれど――
「……怖い、の。どちらを選んでも後悔してしまうわ」
――女王の座に立ち、国を滅ぼしてしまうかもしれないことも
――そこから逃げ、キファレス家に嫁ぎ、自分だけ安泰を手に入れることも
アスタは紅茶を一口飲み、そっとカップを置いた。
「きっとどの道を選んでも後悔しますわ」
「……後悔をするからどの道でも良いってこと?」
幸せはないということだろうか。
「いいえ、違いますわ! 後悔を前提に物事を考えている人は、どの道を選んでも同じです」
アスタは力の入ったロベリアの手をそっと両手で包んだ。
「どの道を選んでも自分次第です。選ばれなかった方が輝かしく見えてしまうことがあるかもしれません。でも選んだ道も輝いているのです。自らの手で、もっともっと輝かせることができるのですよ」
アスタとロベリアの目が重なる。海に映った朝焼けのように、キラキラとオレンジ色の瞳がロベリアに向けられていた。
「自分次第……」
「えぇ。ロベリア様にはその力がおありです」
「でも私には記憶も財力も知識だって……」
「そんなものは要りませんわ。ロベリア様には美しい心があります」
「心……?」
取り巻きで鍛えられた逞しい心だろうか。それは美しいと言えるのか。ロベリアは困惑した。
「きっと強欲な人間ならば、他人の苦しみだなんて考えませんもの。それを考えているだけで立派なことですわ」
「……私はそれから逃げようとも考えたわ」
「当り前ですわ。他人の苦しみを背負うだなんて、誰だって逃げたくなります。怖いですもの。それでも立ち向かって葛藤していらっしゃるのでしょう?」
――両親の愛を知ってしまったから。
――ゼラの想いを知ってしまったから。
「えぇ……。私が愛されて大事にされてきたことを知ってしまったから……そしてきっと私も愛していたから」
――ローズが大切にしておきたかった記憶だと思ったから。
「大丈夫、ゼラ様もゲンテ様も私も……皆がついています。それに、もうロベリア様の中で答えは出ていますわ」
――だから。
――私はローズが愛した国を助けたい
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