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38 守りたい
「着いた、離れて」
ロベリアは、城を取り囲むように造られた浅瀬の水路に連れられ、ソニアに思いっきり背中を押された。不安定な足場と慣れないヒールに体勢を崩し、尻を地面に打ち付けた。
「ッ……！」
喋られないロベリアはソニアを睨むことしかできない。ドレスは水を吸収し、体が重くなる。
「最期だからね。自由にさせてあげようか」
ソニアはロベリアの腕を掴んでいた左手を払いながら、見下して告げる。
「スイセン、外してやれ」
「はっ」
どこで待ち構えていたのか、暗闇から浮き出たかのようにタキシードを着た従者が出てくる。
――女性！？
手足がしなやかに伸びた華奢な体つきは、髪が短くとも、メイクをしておらずとも女性と分かる。少しくすんだブラウンの髪、ソニアやリトと同じ赤い瞳だが、女性となると艶やかさも加わる。
――レポリスの人たちは美男美女なのかしら……ってそんな余裕はないわね
スイセンは小型のナイフを取り出し、スカーフを切る。
「っぷは……！」
ロベリアは声を上げることもできるが、スイセンがナイフを構えている。ここはむやみに攻撃的なことをしない方が良いと判断した。
――きっとゼラが来てくれるわ。それまで時間稼ぎね
「ソニア、騙したわね！」
「騙された方が悪いんだよ、ローズちゃん」
「望みは何？ 今さら記憶喪失の私に何の用があるのよ」
「何って……ピスキウム家の抹消、かな」
ソニアの赤い瞳は血に飢えたドラキュラのようにロベリアを睥睨した。
「どうしてそこまでピスキウム家を追い込むの！？ もうお父様はいないわ、全ては終わったことのはずよ！」
「終わった？ 何を腑抜けたことを言っているんだ、この能無し王女様は」
ソニアの声は怒りで震え上がり、長年の苦しみをロベリアにぶつける。
「同盟があったにも関わらず、君たちが僕らに援軍を出さなかったせいでギェナー国に負けたんだ！ 土地も財産も奪われ……そして妹までも！！！！」
「妹……？」
「……冥土の土産に教えてやる。妹、リリスはギェナー国の元へ嫁がされた」
いわゆる政略結婚だ。よくある話ではあるのだが、訳がありそうだ。ロベリアは黙って話を待った。
「リリスはまだ幼かったが、好きな人がいた。爵位もないような男だったが、そいつといる時のリリスはとても楽しそうだった。俺はリリスを幸せにしてくれるなら男なら、誰でも構わなかった」
ソニアは首に掛けていたペンダントを取り出し、そっと掌で開いた。リリスの写真が入っているのだろう。
「この国は俺や兄さんがいれば問題ない。リリスには自由に生きてほしかった。王家を外れても、俺たちの大事な妹だ。だが……」
ソニアはペンダントをきつく握りしめた。
「戦争に負けた俺たちは……金と引き換えに妹をギェナー国へ売った。仕方がなかったんだ、そうするしかなかったんだ！！！ ピスキウムが援軍さえ出していれば、レポリスは……リリスは幸せだったんだ！！！」
確かに援軍を出していれば、レポリス国は勝っていただろう。リリスもギェナー国に飛ばされることもなかったはずだ。だが、この男の言葉は、妹を手放してしまった罪悪感から逃げたいがために、ピスキウム家に擦り付けているだけだ。
「ピスキウムのせいにしないでちょうだい！ それに戦争に負けたのはレポリスが弱いからじゃない！」
「軍事力は劣るものがあったのは認める。だから同盟を組んでいたんだ！ なのに！」
「だったら、先に同盟を破綻するようなことをしたのはそっちじゃない！ キファレス家を苦しめたじゃない……」
――ゼラ、ゼラ、
彼のかつての苦しみと、今横にいない不安と。ゼラへの感情がぐるぐると回る。
「俺たちのワインを横取りするから悪いんだろう！」
「殺すことないじゃない！ 結局あなたの国は金なのよ……妹だってそうよ……」
ロベリアはソニアが背を向けていた現実を叩きつける。
「うるさいうるさい！！！ キファレスの数人死んだところで何だというんだ！ こっちは国がかかっているんだ！！」
「あんたね……命に大きさも数もないのよ！」
「ピスキウムがいなければ……憎い、ピスキウムが憎い……おまえたちなんか」
金色に輝くペンダントは投げ捨てられ、水路に浮かび流れていく。
「スイセン、殺れ」
「…………」
しかしスイセンは黙ったまま動かない。
「スイセン、聞こえなかったのか」
「……本当にいいのですか。それでソニア様のお心は晴れるのですか」
スイセンはソニアの瞳を真っすぐ見つめていた。
――この人……
スイセンの瞳は、ゼラと通じるものがあった。真っすぐに相手と向き合っている。きっとそれは、守りたいだとか愛おしいだかとか。そういうことを言っている。
「うるさい！ 俺に指図するな。殺せと言っている！ 早く殺れ！！」
スイレンが剣を抜き、ロベリアの前に立ちはだかる。ロベリアは体を動かしたいが、水に濡れたドレスが重い。それに足を挫いてしまっている。
――瞬時に体だけを動かして、時間を稼ぐしか……
「ローズ様、恨むのであればこの私と運命に」
振りかざされた剣は、月明かりに照らされ、勢いよく振ってくる。
――無理だわ！！
「ロベリアァァア！！」
待っていた声、倒れる身体、冷たい水、目に映るは赤く染まった月。
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