42 生き辛くとも

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42 生き辛くとも

 時は遡り、リトがソニアと対峙している頃、ゲンテが操縦する馬車はアルニタク国の雑木林の中を暴走していた。 「……ゼラ、くたばるんじゃないわよ」  朦朧としていた意識は失われ、青ざめた顔でロベリアの膝の上で目を閉じている。応急処置として、ゲンテが布で止血をしたが傷口が大きく完全には止められてはいない。ロベリアのドレスには血が滲んでいた。  ロベリアはゼラの髪をそっと撫で、ひと時も目を離さなかった。 ――私のせいだわ…… ――私が危機感を持っていれば、ゼラはこんなことにならなかった 『愛する人の手はしっかりと握っていてくださいませ』  ロベリアの脳裏にいつかのアスタの言葉が浮かぶ。 ――あの時、フォセカに何を言われようと、私はゼラから離れるべきではなかったんだわ  ゼラからも忠告されていた。『俺から離れるんじゃねぇぞ』『あいつ(ソニア)だけにはに近づくな』と。 ――私は手放してしまった ――もし今ゼラがいなくなったら ――私はまた居場所がなくなる? またフォセカの玩具(おもちゃ)? 殺されてしまう? 「そんなことはどうでもいいの、私はどうなってもいいの」  ロベリアの涙がゼラの頬に落ちる。ゼラはぴくりともせず、目を瞑ったままだ。 ――ただ、ゼラが生きてさえいてくれれば それだけでいいのに、それだけのことなのに。 生きるということが何故こんなにも苦しく辛いのだろうか。 「……私を……」 ――それだけでいいから 「私をこんな思いにさせたゼラに一発喰わらせないと気が済まないわ……!」 ――だから 「生きて。こんな死に方は許さない。死んだらただじゃ置かないわよ、ゼラ」  ロベリアはゼラの顔に落ちた涙をそっと拭い、自身の涙もぐっと堪えた。大きく深呼吸をして乱れる心を整えるも、馬が前足を上げたのか、ロベリアが乗る車内が少しだけ傾く。  ロベリアは慌ててゼラを抱える。血と汗の臭いが彼女の心をまた狂わせる。 「……こんなになるまで私を助けなくたって……」  馬車は止まったまま、動く気配もない。前方にある小窓を目にすると、いつもは少しだけ見えていたゲンテの後頭部が見えなかった。  不穏な空気を感じたロベリアは、そっとゼラから離れ、窓から顔を出す。そこには執事服を着た青年――ケイジュが立っていた。ロベリアもゲンテもケイジュの存在は知らない。 「ロベリア様、隠れて!」  ケイジュから投げられたナイフがロベリアの数ミリ横を光の如く過る。それよりもゼロコンマ数秒の差で、ゲンテがケイジュへと放ったナイフが彼の肩をかすめたため、軌道がずれたケイジュのナイフはロベリアに刺さることはなかったのだ。 「……! 宮殿を抜けてもまだ狙われているの!?」  ロベリアは馬車の中へ体をしまう。 「ロベリア様、馬をお任せできますかな」 「馬を!? 私操縦なんてしたことなんてないわよ」 「かつてお転婆なローズ様は、私の膝の上に乗り、馬車を操縦したことがございますよ」 「そうはいっても……」  身体が覚えているとも限らない。それに幼少期に行った馬術など一人前のものではない。その上、今日は重傷を負ったゼラが乗っている。下手な行動はできないが、このままケイジュを避けるのも難しいだろう。 「――私は青年と話をつけてきます」  いつも冷静沈着なゲンテの声色が、かつて聞いたことのないほど重々しいものに変わった。ゲンテも覚悟を決めているのだ、とロベリアも覚悟を決めた。 「……分かったわ」 「そう不安がらずに。この馬はとても賢い。きっと導いてくれます。さぁ、私が彼を止めている間に、早く!」  ロベリアは後部座席から降り、操縦席へ座った。ケイジュはロベリアを狙い、俊敏に動いているがゲンテが防いでいる。 「ゲンテ! ちゃんと戻ってきなさいよ!」 「必ずや」  ロベリアは鞭を手に取る。 「さぁ、お馬ちゃん! 進んでちょうだい!」  バチンと鞭を打つと、馬は鳴き声と共に前足を上げ、勢いよく飛び出した。 「ちょっと! 速すぎるわよぉおーー!」  ロベリアのままならない操縦の元、キファレス領へと駆けていった。
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