44 駆け抜けた先の光

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44 駆け抜けた先の光

 一方、ゲンテと別れ、馬を操縦するロベリアは雑木林の中を勢いよく駆けていた。 「ひぃいい!」  慣れない操縦に喘ぎながらも、先へと進む。夜風がロベリアの肌を掠めるも冷たさは感じないほどに全身が熱くなっている。 「このまま進めばキファレス領地には到着する。でもこの速さじゃゼラが危ない」  ゲンテなら三倍速でも余裕だろう。しかしロベリアには今の速さ――一般の馬車と比べたら違反として捕まりそうなほどのスピードは出ているのだが、これが限界だ。馬車の転落は何より避けたい。とにかく、イチ早くゼラの処置が必要だ。 「でも王都で処置するのは避けたいわね。どこに手が回っているかも分からない。でも時間が……!!」  ロベリアは考えを巡らせた。 「多額条件にどこかの家へ……いや、今後の立ち振る舞いが難しくなるわね。きっとゼラが一番嫌うことね……ならもっと近道を……あぁもう、何かないのかしら……何か、誰か、誰か……」 ――ロベリア、私は何があってもあなたの味方でいるわ、それだけは覚えておいて 「……ジャミ!」    王都とキファレスの間にはプロキオン領がある。今ロベリアが走っている雑木林は王都の西端。この雑木林を抜けるとプロキオン領とキファレス領の辺境に出るが、ジャミの家はもう少し東に位置する。 「今ならジャミの家の方が早いはずよ! それにきっとジャミもいるはず」  ジャミは今日のパーティに来ておらず、プロキオン領からはジャミの兄が参列していた。 「お馬ちゃん! プロキオンよ! ジャミの家に行ってちょうだい!!」    ロベリアは慌てて鞭を叩く。その一振りが正しかったのか、馬が言葉を理解したのか分からないが、くるっと東に向きプロキオン領に向かって加速した。 それから数十分後、この賢い馬はプロキオン家の前で急停止した。 「本当賢いお馬ちゃんだわ……ありがとう!」  遠くから駆けてくる馬に警戒していた門番は、キリッとした表情で馬主を睨め付け、剣を構えていた。 「危ないではないか! それにこんな夜に……ってロ、ロベリア様!?」  先日の一件から、ロベリアの顔はすでに覚えられていた。 「お願い助けて! ゼラが、ゼラが血を流しているの!」  ロベリアの形相でただの擦り傷ではない、大事だと汲み取れたのだろう。門番の一人がジジャミへ伝えに走り、もう一人の門番は馬車ごと家の扉の前まで誘導した。  門番が扉を開く前に、カーディガンを羽織ったジャミと、ロベリアの知らぬ男性が勢いよく飛び出した。 「ロベリア!? ゼラ様がどうしたの!?」  ジャミは慌てて駆け寄り、ロベリアの肩を揺すった。男性はゼラのいる馬車の中へ入っていく。 「助けて、ゼラが血を、たくさんの血を……!!」 「落ち着いて、ロベリア。大丈夫、大丈夫だから」  自身のカーディガンをロベリアに羽織らせ、背中を優しくさする。 「今日はちょうど私の婚約者が来ているわ。彼に任せましょう」 「……! お医者様だったかしら」 「えぇ。だから安心なさい」 「ありがとう、ありがとうジャミ……!」  ロベリアはぎゅっと力強くジャミに抱きついた。馬に揺られた体は熱く、手綱を持っていた手先は凍るように冷たいロベリア。彼女がどれほど必死にここまで辿り着いたのか、全身で伝わる。 「……頑張ったわね、ロベリア」  馬車から婚約者の男性が出てくると、「担架を持ってきてくれ!」と使用人に声をかけた。ロベリアは一瞬にして全身の血の気が引くのを感じた。 「ゼラは! ゼラはっ……!」 「傷も深く出血も多いですが、急所は逃れています。命に別状はありませんよ」 「……! 良かったわ……」  体の力が抜け、地面へ座り込む。 「ゼラが……もうゼラに会えなくなるんじゃないかって……良かった……良かったっ……」  ドレスをぎゅっと握りしめた両手には涙がぽたぽたと零れ落ちる。 「とりあえずは安静に。ロベリア様も」 「ロベリア、お部屋に行きましょうか」 「えぇ……」  一命を取り留めたとはいえ、担架で運ばれるゼラを見るのは辛いものがある。安堵と不安とぐちゃぐちゃになった感情を抱えたまま、運ばれるゼラの後ろをそっと歩いた。 「ロベリア様、治療のためにお聞かせ願いたい。あの傷は何が原因なんですか」 「ゼラが……剣で怪我をして」  王女の計らいで斬られた、と言えるわけもなく、真実のような嘘のような曖昧な回答をした。婚約者は察したのか、医者が患者に見せるような優しい笑顔を向けていた。 「全てをお話されなくて大丈夫ですよ。剣での傷だと分かれば問題ありませんから」 「ありがとうございます……」  ロベリアは小さく頭を下げた。 「さて、私はゼラ様の治療にかかります。終わりましたらお呼びしますから。ジャミ、彼女の側にいてあげなさい」 「えぇ、ありがとう。さぁロベリア、私の部屋に行きましょう」  白を基調にした家具やカーテンで統一された部屋は、可愛らしいジャミに相応しい空間だった。ほのかにバニラのような甘い香りが漂っている。  水路で濡れ汚れたドレスを脱ぎ、ジャミが用意した肌さわりの良いシルクの服を着る。その上からふかふかのブランケットを纏い、暖炉で身体を温める。 「ここに座って。お茶を持ってきてもらったの、淹れるわね」  ジャミの命にて使用人は退室しており、この空間には二人だけだ。ジャミはロベリアの前にカップを置き、温かいハーブティを淹れた。冷えたロベリアの手がゆっくりと温められる。 「ロベリア、話してちょうだい。ゼラ様があんな怪我を負うなんておかしいわ」 「…………」  ジャミに話して良いのだろうか。カップに映る自身を見つめて問いかける。 「その装いからしてパーティに行っていたのよね。でもどうしてパーティで血を流すの? 大事なことがあれば、今頃お兄様も帰ってきているはずよ」 「お兄様は大丈夫よ…………怪我をしたのはゼラだけよ」 「フォセカ様はどうしたの? 逃げるならば私の家よりも王国の方が医者もいれば設備もしっかりしているわ」 「そうね。でもできなかった。……それは死を意味するわ」  つまりこれは王国に、フォセカに狙われていると言っているようなものだ。ジャミは目を見開き、ひゅっと息を呑んだ。前々からフォセカとロベリアの関係を睨んでいただけに、察するのは早かった。 「……どうして」 「…………」  小さく口を開き、息を吸う、そして止めること数回。自問は繰り返される。 ――ここまで助けてもらって言わないわけにもいかない ――でもこれ以上知ってしまったらきっとジャミが狙われてしまう ――どうして頭が回らなかったのかしら ――キファレス家まで帰るべきだったのよ ――でも……そうしていたらゼラが危なかった ――じゃあどうすれば良かったの? ――私のせいで二人は ――私がいるから ――私が 「ロベリア!」 「わっ」  ジャミに額を人差し指でつつかれ、体が後ろへぐらつく。    「もぅ、急に黙らないでよ」 「あぁ……ごめんなさい」  ロベリアは申し訳なさそうに眉を下げ、紅茶で一息ついた。 「……ロベリアが言いたくなかったらそれでいいわ。詮索もしない」  ジャミは咎めることもなく、いつものように優しい口調でロベリアを包みこむ。少し潤んだ薄紫色の瞳は、ロベリアの心を見透かしているようだった。ジャミはロベリアの手を握り、落ち着いた声色でゆっくり話す。 「ありがとう、ロベリア」 「えっ!? それはこっちのセリフだわ!」 「私を頼ってくれて。私にできることがあったら何でもするわ。味方だって話したこと、忘れてないでしょうね?」 「もちろんよ、ジャミ。……ありがとう」  ロベリアの頬を伝う涙をジャミが薄ピンク色のハンカチで拭う。 「ほら、泣いてないで」  ジャミがそう言うと、計らったかのようにドアが二回ノックされた。「ジャミ、終わったよ」と婚約者の声がけで、二人は部屋を後にした。
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