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45 毒花に贐を
「ゼラ……」
ベッド横のランプだけが灯された静かな部屋にゼラは横たわっていた。貧血状態のゼラの顔は少し青ざめているが、息も落ち着き、そっと目を閉じている。
「傷は深く、針も多く縫いました。先ほどお伝えしたように命に別状はありませんが、傷が開かないようしばらくは安静に」
「はい……ありがとうございます」
ロベリアは深々とお辞儀をした。
「本当無事で良かったわ。使用人に呼ばれたときは何事かと思ったもの」
「ごめんなさい、こんな夜中に」
「気にしないで。それより今度はロベリアの番よ。髪もメイクも酷いもの、お風呂に入ってゆっくりしたらどうかしら」
「ふふ、それは大変。……少しだけゼラの横にいていいかしら」
「えぇ、もちろん」とジャミと婚約者は部屋を後にした。パタン、とドアが締まると、外から聞こえる虫の音が部屋に響く。
「ゼラ……ごめんなさい」
ロベリアはゼラの眠るベッドの横に置かれた小さなチェアに腰掛けた。ゼラの右手を取り、自身の左手をゆっくり絡める。空いた右手はそっと添え、ゼラの大きな手を取りこぼさないように優しく覆う。
ゼラの手首に触れた右指からは脈動が感じられ、ゼラが生きていることを実感した。
「生きてて良かった……本当……死んじゃうんじゃないかと思ったわよバカ……」
ゼラの手の甲を自身の頬に当てる。ゼラの肘に向かって、つぅっと涙が流れていく。
「もうこんな思いさせないから」
絡めた指をぎゅっと強く握る。ゼラから握り返されることはなかった。
「ゼラには生きていてもらわなきゃ困るの。……って、変な意味じゃないわよ! ゲンテやリト、キファレス領のみんなのためよ!」
ロベリアをからかうような妖艶な笑みはゼラから返されない。表情を変えることなく目を閉じている。ロベリアはゼラの耳に近づき、そっと囁く。
「私決めたから。……今までありがとう、ゼラ」
ゼラの腕をそっと戻し、毛布をかけて立ち上がる。退室する前に一度だけ振り向いて、ゼラの顔をそっと眺めて扉を閉めた。リビングの暖炉の前で古書を読んでいたジャミに声をかける。
「ジャミ」
「ロベリア! ゼラ様とお熱い時間は過ごせたかしら?」
「もう、そんなんじゃないってば」
「ふふ。さ、お風呂の用意はもうできているわよ」
ジャミは立ち上がりバスルームへと案内する。しかしロベリアは後を付いていかなかった。
「ロベリア?」
「ジャミ、ゼラをお願い。私はもう行かなきゃ」
ロベリアは力強い眼差しでジャミを見つめた。
「どうして……と聞きたいところだけれど、聞かないでおいてあげる。分かったわ、プロキオン家が責任もってゼラ様をお守りするわね」
ジャミは仕方なさそうに微笑んだ。ロベリアとジャミにしか分からない、強い友情がそこにはあった。
「ありがとうジャミ」
――最高の友人だったわ
ロベリアは踵を返し、速足で外へと向かう。庭に植えられた大木の下で馬が休んでいる。
「お馬ちゃん、あともう少し頑張れるかしら。急いでお家に帰りましょう」
馬をそっとひと撫でする。毛は柔らかく艶やかな毛並みからはゲンテの愛情が伝わってくる。ロベリアは馬に乗り、鞭を振ると、再び馬は暴走した。
――もう今日で終わりにしましょう
暗鬱の影が消えた新緑色の瞳は、闇を切り裂くかのように鋭く光っていた。
◆◆
「やっと着いたわね。お馬ちゃん、ありがとう」
馬小屋に戻し、水と餌を与える。さすがに馬も疲れたのか、勢いよく食べていた。家の扉を開くと、しんと静まり返った物寂しい空間が待っていた。
「こんな冷たい空間なのに、家の香りはゼラを思い出させるから憎いわ」
ロベリアはぶつぶつと呟きながら部屋へと向かう。
「……この家に来てから、私は甘えてばかりね」
部屋のドアを開け、月の光を頼りにドレッサーの前に立つ。この家に来た日と同じような、ボロボロの自分が鏡に映る。
「最初は攫われてどうなるかと思ったけど、なんだかんだ楽しく過ごせていたわ」
テーブルの引き出しを開けると、アークリィ家から持ってきた堕天使のような羽ペンと古書よりも汚れたノートが入っていた。
「養女だったことも今じゃすっかり忘れていたわ……これだけ生活が変わったのなら当然よね」
ガラクタには手を付けず、その横にある十五センチほどのナイフを手にする。護身用としてこの部屋に備えられていた。冷酷なほどひんやりとしたそれは、薔薇と剣の紋章が彫られている。
「薔薇と剣、か。私ずっとゼラに守られていたのね」
キファレス家の紋章を初めて目にした時には何も思わなかったが、過去を知り得た今、どれほど大切にされていたか、痛いほど分かる。
「だから今日で終わりにするわ。もう守らなくていいの」
ロベリアは右手でナイフを力強く握りなおす。手に迷いはなく、ナイフは微動だにしない。
そのまま左首筋に近づけ、鏡に映る自分に贐を。
「さようなら、ロベリア」
――ロベリアは死んだ。
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