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46 国王と魔術師の絆
カーテンからこぼれる光がゼラの顔を照りつけた。彼は眉間にシワを寄せながら目を開く。見慣れない天井と鼻をかすめた部屋の香りの違和感に勢いよく飛び起きた。
「ロベリアッ……!」
負傷した背中に激痛が走る。背中を摩ると滑らかな布地がさらりとゼラの手に触れた。どうやら全身シルクのネグリジェに包まれている。胸を開けると、包帯がきれいに巻かれ、いつの間にか体中にできていた数々の切り傷やあざにも治療は施されていた。服の在処は分からないが、剣と紋章はサイドテーブルに置かれ、どうやら安全な場所で助かったらしいことはゼラにも理解できた。
「ロベリアはどこだ!?」
紋章を首に掲げ、剣を持ちベッドを離れる。扉を開けると、薄紫色の瞳と目が合った。艶やかに光る漆黒のような黒髪は、魔女の末裔といわれるプロキオン家の特徴だ。
「ゼラ様!? お目覚めですか!?」
「あなたは……プロキオン伯爵の……」
「ジャミ・プロキオンですわ。ロベリアの友人ですの」
真っ白のワンピースの両端を持ち、ゼラに一礼した。
「ロベリアは!? ロベリアは無事か!?」
ゼラはジャミの両肩をもち、ロベリアの安否を急かした。
「えぇ、無事ですわ。とにかくゼラ様。お体に障ります、一度ベッドにお戻りくださいませ。今、医師を呼んで参りますから」
「あ、あぁ……」
張り詰めていたゼラの体はゆっくりと緩み、再びベッドの上に座った。
「ロベリアの友人が無事と言っているなら問題ないはずだ……ったく無茶しやがるぜ」
昨夜、ロベリアがゼラの剣を抜き、ソニアに立ち向かったことを思い出す。ゼラはくくっと小さく笑った。
「……リトは、きっと大丈夫だな。ほんと、どんどん成長しやがる」
ロベリアに助けられ、リトに助けられた。守ってきたとばかり思っていたが、守られているのは自分だったと気づく。
「狂犬だと言われ続けた俺が飼いならされていたなんてな」
ふっと笑いが込み上げた。自分の弱さを受け入れるだけの強さが今のゼラにはある。彼も成長しているのだ。
「ゼラ様、失礼いたします」
洗濯されたゼラの服を持ったジャミと医師であるジャミの婚約者が入室した。ジャミはゼラのそばに服を置いた後、遠くのソファで待機した。婚約者はゼラの傷口を見る。
「痛みは?」
「ある。だが問題なく動ける」
「眩暈や吐き気、その他お変わりは?」
「ないな」
「……あなた様は本当にお強い方ですね。これだけの傷、一週間はまともに動けませんよ」
右肩から左腰にかけて大きな背中の傷、各所に散らばる切り傷。手を動かすことも歩くことも困難だろう。
「昨夜から昼過ぎまで寝てたんだ、回復するだろ」
ゼラは服に着替えて、肩をぐるんぐるんと回した。ジャミの婚約者は慌ててゼラの動きを止めた。
──まぁ本当は結構痛いけどな。こうでも言わねぇと帰してくれねぇだろ
「おやめになってください。傷口が開きますから」
「帰ってはいいんだな?」
「えぇ。ただし安静がお約束です」
診察を終えたのを見計らい、ジャミはゼラの近くに置かれたふかふかの長椅子に座った。
「ゼラ様、お話がございますわ」
空気を読んだ婚約者は退室をし、ゼラはジャミと二人きりになった。
「なぁ、ロベリアがいないってことはあいつには怪我はないんだな」
「えぇ……とはいえ、足の捻挫や切り傷はありましたが、寝込むようなものではございません」
「そうか……」
女性に、それも王女ローズに些細でも傷を負わせてしまったことを悔やんだ。しかしあの状況だ、その程度で済んだことを喜ぶべきだろう。
「ところでゼラ様、失礼ですがあなたは何者なのでしょうか」
ジャミがゼラを見つめる。怒りも喜びもない、けれど無感情でもない。真実を知りたい真っすぐな目だった。
「婚約者、とだけじゃ、あなたは納得しないだろうな」
「えぇ。ゼラ様の首飾りから壮大な魔力が感じられますもの」
「魔力? 俺には何も感じないぞ」
かつて魔術の名家が集まっていたプロキオン領。今は魔術研究所として発展している。時代が進み、末裔たちが分家として散るにつれ魔力は弱くなる。分家の末裔たちは、霊がなんとなく見えるとか小さな炎が指から出せるだとか、今ではその程度だ。
しかし本家であるプロキオン一家は未だに力を持っている。攻撃、防御、治癒魔法など所持している魔術は生まれ時に決まっている。ジャミも例に漏れず術を所持しているが、第三者による悪用を防ぐために術式を他者へ教えることはできない。身の安全を守る掟でもある。
「何百年もの波乱の時代を越えた強い強い力……それも、そうね神や権力者に近いわ」
ゼラはすうっと息を吸い、何か決心したように息を短く吐いた。
「……ロベリアの友人だから話すが、これはかつてのピスキウム王ラークス様よりいただいた紋章のペンダントだ」
「ピスキウム国の!? なぜゼラ様がお持ちですの!? それは今の王様がお持ちになられているのでは……」
「これが本物だ。今の王が持っているのは、張りぼての紋章だろうよ。まぁ張りぼてなのは紋章だけじゃないだろうが」
王様も張りぼてだと言いたいのだろう。現に今の王はピスキウムを名乗る、自称の王だ。どこからやってきたか誰も分からないが、アルニタク国が親交を証明した手回しの結果、民衆は騙されている。
ジャミは困惑し、難しい顔をしている。ゼラ話を続けた。
「まぁ色々あってな。簡単にいうと、俺は一度領地を失い、家族も失った。そこで手を差し伸べてくれたのがラークス様。そして、ピスキウム王女、ローズ様の面倒見役を任されたことがあるんだ」
「でもゼラ様は領主様でしょう? 王と証明するものを易々と渡すなんて考えられませんわ」
「あぁ、それは俺も後日知って驚いた。なんたって、これを記念品として渡されたんだからな。ただ、渡されたのはピスキウム事件の前日だ」
ごくりとジャミが固唾を飲む。ピスキウム事件、歴史に残る悲惨な事件だ。もとい、隣国のレポリスによる襲撃、ピスキウム家臣による反逆、民衆の暴動……諸国ではあらゆる噂が飛び交っているが、真実は黒幕アルニタクによって封じられている。
「待って、前日にってことは不穏な事態を予想していたということでしょう? かつてのピスキウムの軍事体制は大きかったはず。迎撃のご準備ができたはずでは」
「さすがプロキオン家のご令嬢だ、頭が冴えているな」
魔術の研究では歴史が大きく関わる。ジャミは何百年前の歴史から近代史まで網羅している。
「正直、そこまでは分からない。ラークス様の予想より早い攻撃だったのか、相手の勢力が大きかったのか……アルニタクが暗殺者と手を組んだことも考えられるな」
「アルニタク!?」
「アルニタク国の人間に話すことじゃねぇな。まぁ俺も今じゃアルニタク国人だが」
ゼラは鼻でフンと笑った。アルニタク国人ではあるが、忠誠心は一切ない。
「……アルニタク……やっぱり……」
ジャミは俯き一点を見つめた。ゼラの話を考察し、何か考えているのだろう。
「なぁ、この紋章を魔導士以外にも本物だと分からせる方法はないのか?」
「そうですわね、紋章を手にとっていただけますか?」
ゼラはそっと紋章を手に乗せて、出来る限りジャミに近づけた。ジャミは紋章に右手を近づけ、ゼラにも読解のできない呪文のような言葉をぽつりと呟く。紋章はぽわっと白色の光を帯びた。
「へぇ……」
初めて見る魔術に興味深く見つめるゼラ。
「この紋章に込められている魔力は、何百年もの間、何十人もの魔術師がかけて蓄積された強いものです。これを最大限に出すことも可能ですが命の保証はありませんわね」
ふふふっと楽しそうに笑うジャミを、ゼラは唖然とした顔で見ていた。これだけの力を誇示することなく楽しんでいるなど、じゃじゃ馬ロベリアの友人であることに間違いないと確信した。
「なぜ紋章に魔力が宿っているんだ?」
「長い歴史を辿ると、国王と魔術師は深い絆で結ばれていました。国王の象徴でもある紋章は、魔力によって守られていたのです。儀式のように新月の日は必ず魔術をかけていた時代もあったとか」
「あぁ、だから本物と分かるのか」
「えぇ。もし張りぼての説が本当ならば、恐らく魔術は宿っていません。たとえ現代の魔術師がかけても、これほどの力は宿せませんわ。恐らく命が尽きてしまいますから」
ジャミは再びにっこりと笑った。時折、恐ろしいことを軽々と話すジャミに、ゼラは少しばかりの恐怖も覚えた。ぶるりと身震いをし、紋章をぎゅっと握った。
「つまり、ラークス様からいただいたものだと証明もできるってわけか」
「えぇ……失礼を申し上げますが、盗んだと言われてしまう可能性もございませんか? ゼラ様の背景を知らない方々からすると……」
「かもしれないな。だが、現在の王への不信感は募る。それで十分だ」
「……ゼラ様、何か企んでいらっしゃいますわね」
ゼラは立ち上がり、剣を腰につけた。
「さぁね。ただこれだけは誓っておこう。ロベリアは命を懸けてでも絶対に守る。……俺は面倒見役なんでね」
ジャミは薄紫色の目を大きく開け、去っていくゼラを呼び止めた。
「待って! もしかしてロベリアは──」
勘のいいジャミはロベリアの正体に気づいたのだろう。ゼラは口端を上げ、優しく微笑んだ。
「あなたの友人、だろ?」
たとえロベリアが令嬢でもなく、ゼラの婚約者でもなく、何者でなかったとしても、ジャミの友人であることには変わらない。
「……えぇ、そうですわね」
ジャミは満面の笑みで微笑んでみせた。
ゼラが門へ出ると、プロキオン家の使用人が馬車で待機をしていた。茜色に染まり始めた空を眺めながら、帰路につく。
「……最高の友人をもったな、ロベリア」
ロベリアが待っている、と疑いもなく信じている家へ。
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