47 愛していた、と。

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47 愛していた、と。

「どうも」  キファレス邸の正門前に止められたプロキオン家の馬車からゼラが降りる。夕日も落ち、一番星が輝く空に向かって聳え立つキファレス邸を見上げた。窓からはほんわかと橙色に灯る蝋燭の光が零れている。誰かがいることは確かだ。 「たった二日空けていただけなんだが……帰る家があるってのも悪くねぇな」  胸がじんわりと温かくなり、自然と笑みがこぼれた。  少し錆びた正門はキィと音を立てて開かれ、玄関まで真っすぐに伸びたアプローチの上を歩く。キファレス家に門番はいないが、ゲンテが常に耳を凝らしているため問題はない。侵入したとて、玄関まで手が届く前にその手は、命はなくなっている。そのようなキファレス邸へ侵入を試みる物好きもいないだろうが。  玄関扉に触れた時、反対側からも扉が開かれ、体がぐわんっと家の中に吸い込まれた。 「ゼラ様! おかえりなさいませ」  ゼラに気付いていたゲンテが一秒早く扉を開けた。ゼラが大好物のレモンチーズケーキの香りがキッチンから漂う。 「ゼラくん! おかえり!」  リトは駆け足で近づき「大丈夫?大丈夫?」とゼラを一周して身体を確認していた。 「あぁ、ただいま。ゲンテもリトも……無事そうだな」 「えぇ、私は。それよりゼラ様は! あれだけ大きな傷……」 「俺はもう平気だ。……ロベリアはどうした?」  キファレス邸からは不穏な空気を感じられない。しかしロベリアの姿が見えないのも違和感がある。この状況で顔を見せないほど薄情者ではないはずだ。 「……ロベリア様は……」  ゲンテの顔は暗くなり声が細くなっていく。リトは目に涙を浮かべていた。 「……もういらっしゃいません」 「はあ? ゲンテ、さすがに今その冗談はよせ。たとえロベリアに言われてもな。あいつが無事なことはプロキオン家の令嬢から聞いている」 「違うんだ! もうロベリア様は……」  ゲンテとリトから嘘は感じなかった。彼らが話し終える時には、ゼラはすでに階段を足早に昇っていた。 ──ふざけるな! 俺の知らないところでくたばるなんて絶対に許さねぇぞ!  ロベリアの部屋を勢いよく開ける。薔薇の香りが風に乗せられゼラを包むが、息を荒くしている彼には感じ取れなかっただろう。 「ロベリア!!」  静まり返った部屋に焦燥した声が響き渡る。 「どこだ、いるんだろロベリア!?」  テーブルには開かれたままの歴史書。窓は開かれ、花瓶には四本薔薇が活けられている。ロベリアがいないと言うゲンテの言葉とは裏腹に、姿が見えずともそこにロベリアがいる。  部屋の奥からロベリアに類似している足音が近づいてくるが、パンプスのヒールが床を鳴らす音ではなく、ゼラやゲンテが履く低ヒールの靴音に近かった。ゼラは不可解に思いながらも、その足音の主をじっと黙って待った。 「ちょっと? そんな大声出さなくても聞こえてるんですけど。というか、レディの部屋なんだからノックしなさいよ」  ひょっこりと不機嫌な顔で登場した、ゼラが一番会いたかった人。 「ロベリア……なんだよ、無事じゃねぇか」 「いないわよ、ロベリアなんて。彼女は死んだわ」 「はぁ? 何を言って……っておまえその恰好に、その頭はどうした!?」  パーティドレスでも平服でもネグリジェでもない。白色のパンツに編み込まれたブーツ、乳白色のワイシャツの上には群青色のベストを着ている。左腰にはグリップの細い剣が装備され、その腰までに届いていたロベリアの髪は、肩にも触れないほどに短くまばらに切られている。令嬢ではありえない風貌だった。 「あぁ……長い髪って戦いに邪魔だとこの前気づいたわ。だから私がナイフで切ったの。どう? なかなか似合ってるでしょ」 「そういうことを聞いているんじゃない。……ロベリア、何があった」 「だから、ロベリアは死んだの。そう言ってるでしょう?」 「じゃあ、おまえは誰なんだ」  心配して駆け付けたにも関わらず、ロベリアの風貌は一変し、さらにロベリアは死んだと虚言する。散々ロベリアのじゃじゃ馬な行動に付き合ってきたゼラだが、今回ばかりは堪える。ロベリアの生存に喜ぶことも忘れ、口の中で小さく舌打ちを放ち大きくため息をついた。 「ローズ。ローズ・ピスキウムよ」 「……は?」  その名前に反応するように、ゼラの背筋が少しだけ伸びた。 「といっても、記憶は戻ってないわよ。ただ、私はこれからローズとして生きるの。ロベリアは私が殺したわ」 「……いや、ロベリ……」  疎ましい目でロベリアもといローズに睨まれ、ゼラはその名前を封印した。ロベリアがローズであることは理解しているが、急に変わられてしまっては戸惑いも隠せない。  ローズはソファに座り、その目先にある椅子に座るようゼラを促した。ゼラは着席しローズの顔を見る。新緑色の瞳がランプを捉え宝石のように輝く。短くなったブロンドの髪も相まって、亡き国王ラークスを彷彿させた。 「……それでローズ様。急にどうしたのですか」 「……国を取り返したい、そう思っても口先ばかり。ゼラに、リトに、ゲンテに……みんなに守られて、私はただの足手まといだわ。自分一人救えないようじゃ国なんて」  ローズは俯き、力強く握られた拳は小刻みに震えていた。 「そんなことは。……あぁ、それで動きやすい服装に変えられて、ロベリアの名をお捨てになった、と」 「私がロベリアでいる限り何も進まない。自分に嘘をついて偽りの人生は送りたくないの! もう守られているだけじゃ嫌! 弱いままなんて……大切な人も救えないなんて……もうあんな想いしたくない!」  ゼラが目の前で斬られたあの瞬間は脳裏に深く焼き付いているのだろう。声を張り上げて顔を上げた。 「ローズ様…………」 「あぁ、ごめんなさい。でも私はもう平気だから」  平然を取り繕った笑顔を見せたローズの瞳は、月夜に波打つ海のように光を伴いながら揺れ動く。ゼラは押し寄せるその波をどう受け止めるべきか分からなかった。遠くから引き去るのを待つかそれとも共に溺れ死ぬか。 ──いや、待つのも死ぬのももう御免だ 「荒波だろうと何だろうと乗ってやろうじゃねぇの」  そう小さく呟いて、我慢の限界に達したローズの涙を人差し指でそっと拭う。ローズは肩をびくつかせた。 「触れただけでビビってるようじゃ、この先が不安ですね?」 「そ、それはゼラが急に触るからで!」 「先に言えばいいんですか?」 「そういう問題じゃな……」 「ならば、そちらに行きますね」  ゼラはローズの横に座った。ローズは端へと逃げるが、ゼラは拘束した。寄せるようにそっと優しく包み込む。手に触れた髪は短く、剣士として守れなかった憤りを感じた。 「……ゼラ」  いつもなら反抗するローズだが、震えるゼラの身体を感じ取ったのか優しく受け止めて、背中の傷口にそっと触れた。魔法にかけられたかのように、痛みが和らいでいく。 「……無事で、無事で良かった……俺、もう間に合わないんじゃないかと……」 「私も、ゼラが死んじゃうんじゃないかって……すごく怖かった」 「もう絶対……」 ──……そうか  「離したくない」と言葉に出せなかった。  もう婚約者のロベリアはいない。彼女がロベリアでいることを望まないのだから。  いつしかこの時が訪れると分かっていた、そうなるように進めてきた。溢れ出る想いにはまた蓋をすればいい。何十年もずっとそうだったのだ。だが、その隙も与えないほどに想いは募っていた。高鳴る心臓を鷲掴みしても指の隙間からどばどばと溢れだし、掴んだ手でさえも見失ってしまう。それほどにゼラの感情は嘆きを上げていた。 「ローズ様。俺、死んだやつに最期まで言えなかったことがあるんです」 「…………何よ」 「愛していた、と」  かつてのロベリアを想いながら、ローズを強く強く抱きしめた。ローズの顔は見えなかったが、自身の肩が小さく濡れたのを感じた。 「……きっとその人もこう返すでしょうね」  ローズの震え交じりの声は優しくゼラの耳元で囁かれる。彼に応えるように、ローズもまた強く抱きしめた。 「私も愛していた、と」  ゼラは複雑そうに微笑み、伏せた目から一粒の涙が零れた。風に靡いた四本の薔薇から放たれる香りは、花言葉の想いを乗せてそっと二人を包み込んだ。  
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