50 共犯者

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50 共犯者

「……ガソウ、馬を二頭借りたいんだが。ちょっと久々に回りたくてな」 「あぁ、構わねぇが今貸せるのは一頭しかねぇんだ。でかい馬だから二人乗りはできる」 「……あぁ構わない」 「ってことはゼラと二人で乗るの?」 「アルス、走るか?」 「嫌だ」 「なら諦めろ。ついでに馬の練習もしておこう。この前は散々だったからな。傷口以上に酔いの方が大変だった」  負傷したゼラをプロキオン家まで連れて行った夜のことだ。虚ろながらゼラはかすかに記憶があったらしい。 「うっ……」 「夕刻までには返す」 「おう、気をつけてな」  黒色の毛並みが整った茶色の馬にゼラが乗り、ローズは差し伸べられた手を支えにゼラの手前に座った。ゼラの体温が服越し伝わり、生きているのを感じる。  ゼラは馬に鞭を打ち走らせた。ゲンテが操縦するほどの速さではないが、先行く馬を次々に抜いていく。ローラス領地を抜けると荒れ果てた地が広がっていた。家は屋根や壁に穴が開き、雨風を完全に凌げないほど廃れたものばかりだ。別世界に訪れたかのような光景に、ローズは小さく口を開けたままゆっくりと辺りを見渡した。 「ローレオ領と全然違うわね……」 「この地は聖職者が多く住まう街でした」 「今はどこにいるの」 「国王の元と噂されています。恐らく聖なるモノを支配し非道徳的な欲望を満たしている……といったところでしょう。逃れられた聖職者はキファレス領地の小教区で匿っています」 「そうなの!? 知らなかったわよ」 「えぇ、事が大きくなると面倒ですから、ゲンテにしか伝えておりません」 「にしても国王最悪ね……じゃあこの領地は今は?」 「さぁ。あの国王のことですから、何も活用していないのでしょう」 「……そう」  そこから二つの領地を越える。どこも領民が苦しみ、ローズが着ているごく普通の服装でさえ夜会服のように目立ってしまうほど彼らは見窄らしい姿をしていた。  ゲンテに渡されたクッキーを食べながら木陰で休憩をしていると、子供たちが物珍しそうに近づきクッキーの匂いを嗅ぎ始めた。ローズはクッキーを袋のまま渡すと、子供たちは「ありがとう」と笑顔を向けて去って行った。クッキーは争奪されることなく、皆で平等に分け与えていた姿にローズは感銘を受けた。 「服も汚れているし、体つきも痩せているけれど、それでも心は曲がっていないわね」 「えぇ。かつてのピスキウムは平和そのもの。国王が領主を苦しめることも、領主が領民を苦しめることもありませんでした」 「そう……お父様は自分の足で国内各地を見て渡って、辛いことも悲しいことも知っていたからこそ寄り添えたのでしょうね」 「そうでしょうね。さぁ、日が出ているうちに向かいましょう」  胸元に落ちたクッキーのかすを手で払い、立ち上がる。真上にあった太陽は日没に向かって傾き始めていた。馬に乗りしばらく歩みを進めると、先程の領地と同じ国とは思えないほど活気に溢れた王都が現れた。誰もが清潔で綺麗な衣服を身に纏い、新鮮な食糧が豊富に並べられ、雨風にびくともしない頑丈な教会では聖女たちが祈りを捧げている。 「随分と違うわね」 「王都ですから。見窄らしくては他の国に馬鹿にされます」 「それはそうかもしれないけど、でも他の領地を放っておいてまでするようなことじゃないわ」 「それが今の王のやり方なんです。自分の周りさえ良ければ、金さえ入ればいいんです」 「最悪ね……」 「この道をまっすぐ進むとピスキウム宮殿があります」  道の先を見ると、金色に輝く宮殿の屋根がひょっこりと顔を出していた。屋根だけでもこの国最高位が住まう場所だと理解できる。 「そういえばこの辺りは王族たちが住んでいるのよね? ゼラのことを知っている人もいるんじゃない?」 「知っていると言っても、ピスキウム家に一時保護された領主、ぐらいの認識でしょう。国王や王女の側で共に生活をしているなど各国に知られたら、俺が危険に晒されてしまいます。ラークス様のご配慮で側近の中でもごく一部の者、あとはガソウのように信頼のおけるごく一部の領主にしか真実を伝えていません」  幼い領主を保護すべき状況だったとはいえ、国王や王女の側にいる必要はない。家を失うことで国王と近づけるのなら、喜んで手放す者も現れる。また、ゼラの父がキファレス家の安泰のために画策した行為であったと屁理屈を言う者も現れるだろう。 「ローズ様と宮殿で遊ぶことはあっても、一緒に宮殿の外へ出ることはありませんでしたから」 「……なら、こうして今一緒に外の世界を見れていることは、とても素敵なことね」  幼きローズもゼラと一緒に宮殿の外を歩きたかったはずだと、失われた記憶から無意識的に何かを思い出したかのようにぼそっと呟いた。 「……そうですね」 「ねぇゼラ。約束してほしいことがあるの。私が女王になってもこうやって外の世界を見ていきたい。女王だからって宮殿の中で閉じこもっているのは嫌だわ」 「ここで俺が止めてもあなたは黙って外に出るでしょう。ラークス様の娘なんですから」 「ははは、そうね。でも私は一人では行かないわよ。ゼラを連れて行くわ」 「そういう問題では……ローズ様に何かあってからでは遅いんですよ」 「ゼラでも守れない相手なら、きっと他の誰でも守れない。どのみち死ぬ運命よ」 「なんて残酷なことを仰るんですか」 「いい? 今日から共犯者だからね」 「……はいはい」 「ふふっ」  ローズは振り返り、ゼラを見上げる。彼は眉を寄せて呆れ顔を空に見せたが、その頬は赤く、口元は小さく微笑んでいた。それから数十分、馬を走らせた。屋根だけ見えていた宮殿が姿を表わし、視界いっぱいに広がる。 「ここまでですね。あまり近づいては怪しまれますから」  王都の人間や観光客に紛れ遠くから宮殿を見つめる。  厳重な柵の前には門番が六人、柵の隙間からは宮殿に続く長居一本道が見え、中央には直径六メートルほどの大きな噴水、左右は庭が広がっている。 「……見た目は変わりありませんね。強いて言うなら、庭の手入れが粗いってところでしょうか。リトが見たら怒るな……」 「……」 「ローズ様?」 「……ゼラ、これが懐かしいというやつなのかしら」 「え? もしかして記憶が!?」 「いいえ、何も思い出せないわ。でも、なんだか心がじんわりと温かくなって、どうしようもなく苦しくて……」  無表情に宮殿を眺めるローズの目から、涙がつうっと零れ落ちる。 「……取り戻さなきゃって、助けなきゃって心が叫んでる。この宮殿を、この国を、皆を。こんなにも近いのに、何もできないなんて」  ゼラが背後から手を伸ばしローズの頬を優しく摘まみ、左右に引っ張った。ゼラの指にはローズの涙が落ちた。 「うぃっ」 「何もできないんじゃない。これからするんでしょう?」  ゼラの手を拒むことなく頬を伸ばされたまま首を後ろに倒すと、ゼラの口元は波上に揺らぎ笑いを堪えているようだった。 「ふぁなしなふぁいよ(離しなさいよ)」 「……ほんっと可愛い人ですね」 「ブフォッ」  ゼラの甘い言葉に不意を突かれたローズは喫驚して喉を詰まらし、ゼラの顔面に向けて唾を飛沫した。 「唾飛ばさないでくださいよ」  咳き込むローズの頬から手を離し、ゼラは袖で顔を拭った。 「ゼ、ゼラが急に変なこと言うからでしょ!」 「まったく……唾を吹き出す王女がどこにいるんですか」 「王女だって生きてるもの!」 「はははっ」  ローズが零した一粒の涙もいつの間にか吹き飛ばされていた。 「さて、ガソウの元に帰りましょう。少し駆け足になりますから、しっかりと握っていてくださいね」  王都だろうとお構いなしに馬を勢いよく走らせる。馬の足音に気づいた人々はその方向を確認するが、目を向けたときにはそこに残像があるだけだった。 「ちょちょちょっと速すぎるんですけど!?」 「だから言ったじゃないですか。もう夕刻も過ぎて月が見え始めているんです、急がないと家にも帰れませんよ」 「それにしても速すぎなのよ!!」  これもゲンテ譲りの操縦なのか、ローズが周りの景色を認識できないほどに爆走していた。 「吐く、吐くわ……」 「上向いて吐いてください」 「前もそう言われたような…………っぷ」 「全く、唾といい吐き気といいあなたって人……」  ゼラは言葉を最後まで発せずに口を閉じ、馬の脚を緩めて木陰に身を潜めた。 「どうしたの」 「静かに……」  遠くから馬車が森林を駆け抜ける音がゼラにはかすかに聞こえた。 「矢を射れるほどの射程範囲にはいませんね……ただ、妙だ」 「妙って?」  馬車の音すらも聞こえないローズは何一つ理解できず首をかしげる。 「こんな時刻に王都へ向かう馬車、それに森林の中です」 「急いでるんじゃない?」 「えぇ、急いでいるのは確かでしょうが……夜を迎える今、わざわざ足場の悪い森林の中を通りますか?」 「ゼラだってそうじゃない」 「俺は慣れているからいいんです。逆を言えば、慣れている者でないと通れない」 「なら王の兵士たちじゃない?」 「いや、王族の兵士にしては数が少ない。こんな森林を少人数で行動するなんて危なすぎます」 「つまり、ゼラみたいな凶悪犯ってこと?」 「否定したいところですが……恐らくそうでしょう。方向はローレオ領の方です。急ぎましょう」  馬車に遭遇しないルートをかすかに聞こえる音で判断し、猛スピードで馬を走らせた。ローレオ領に入り、ガソウの家に向かう。家の明かりは来ているものの何やら騒がしかった。
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