厭世

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 ならばこれを自分以外の人間が知る必要は無いと、どれだけ周りが色鮮やかに青春を謳歌して当たり前のように異性との恋愛を楽しんで居ようとも、「自分にはそんな風に好きになれる他人は見つかっていない」などと嘘を吐いて周りの恋を応援する事に決めた。  例えその応援が、自分の好きな人であっても。  色恋話は年を重ねるにつれて自然と誰の口からも放たれる。  早くに処女や童貞でなくなる事をステータスと思う人間もいれば、処女は守っていてもそれは純情で汚れないと一部は清純をステータスとしたり、口々に色情についての討論を交わす周りを自分は司会者のようにただ聞いていた。  けれど当然それはトモダチである自分にも振られる話題で、その度に「どうだろうね」と濁し、イメージでの予想を言われるとそれがどんな言葉でも「そうかもね」と返した。  複数人が正反対の事を言っても答えは変わらず、女性には「男性のタイプ」を、男性には「女性のタイプ」を問うて興味と話題を強制的に切り替えた。  そうすれば自分への攻撃は止まる。  保身は大切だ。特に自らが火種を持っている場合、それをいかに燻らせないか爆発させないか、自らの抱えるその危険から自分を守るのは人間関係を保つのに大切だ。  周りの酸素は毒になってしまった。  ならば、同級生という生涯変わらない「知り合い」の居ない場所では息が出来るのだろうか。  世の中の酸素を毒だと思いながらも世の中に縋るしかない自分を恨み、嫌悪し、たったひとつの違いだけで生きていく難しさを知った事実からただ逃げ出したかった。  同じような性の悩みを抱えているのが自分だけではないと知ったのは、それから4年経った19歳の夏だった。  ネットを巡って、バイ、レズ、ゲイ、トランスジェンダー、という存在を知った。一部で広がるその情報を探れるだけ探り、開き直れる人もいれば周囲に隠し続けている人もいて、ちょっとした事で知られて周囲と絶縁した人など様々だった。  受け入れてくれる人間は、同じような悩みを抱えているか、異性愛者でも性癖というのを気にしない寛容な人だけ。大半は受け入れてはくれない。  それでも、自分だけではないという事実さえあればそれだけで一時的に呼吸が出来た。  それから大学の長期休暇を利用して訪れた、東京からいくらか離れた県の最も人口が少ない町。  そこの一番安い宿泊施設で一週間、過去の自分を知っている人物など誰ひとり存在しない場所で、体内に循環していた毒の酸素を丸ごと入れ換える気持ちでお世話になる計画を密かに温め続け、1年程の時間をかけてその日を迎えた。  都会よりも緑が多いそこは、鮨詰め状態に近い地元の息苦しさはなく自然が人より目立っていた。  宿泊施設の外観は質素な寮だったが、そこを営んでいる老夫婦は若い自分を遊びに来た孫のように持て成してくれて、棘の多いイメージしかなかった地元の老人たちとは違って綿のように柔らかかった。  一番安いからと選んだ場所だったのだが、個人的には良質な高い施設よりも老夫婦の営むこの場所の方が安心した。  部屋は六畳程の和室でシャワー室はないが共同風呂があり、食事は老夫婦が作ったもので広めの居間で食べるという、やはり宿泊施設と言うよりは寮に寄っている。  訪れたその日の客は自分ひとりだったため、老夫婦と共に食事をし、風呂から上がればアイスをくれて、都会はどんな感じなのかと興味津々な老夫婦との会話を純粋に楽しんだ。  人間が嫌いなわけではないし、当たり障りない会話だって出来る。  本当に自分を孫のように扱う老夫婦はとても温かく、『理想の祖父母』という言葉が当てはまる二人だと思えた。  
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