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最初はうまく入らなかったが、何度かコツを調べると刃は南瓜を貫通し半分に割れた。
「本当に硬いですね」
「蒸かせば柔らかいけど大きくてね、」
それからまた切り方を教わりながら、料理に使う形に切っていく。
半分を切り終えると、もう大丈夫、と御夫人から声がかかり、いつの間にか体は熱を持っていた。
「力がある人がいると助かるわね」
「こっちの手伝いでもいい腕しとったよ」
「…そんな事ないです」
「謙遜だなぁ、褒められたら素直に受け取っときよ。慣れてねーみたいだけど、心配すんな、お前さんは良い子だよ」
聞き慣れない言葉だった。
包丁の峰の痕がついた左手を見ながら、言われた言葉に返せずに何故か泣きそうになって、笑うしかなかった。
良い子と言えるのはきっと、彼らにとって助かる事ばかりしたからだと偏屈になる。
過去を知り、性の悩みを知ればきっと自分の周囲のように良い子だなんて思えなくなるし、気持ち悪い子と冷たい目を向け蔑むだろうという過剰な自嘲が頭の中で蜷局を作る。
何か酷い事を他人にしたわけでも犯罪者でもなく、大人曰く子供らしくなくて不気味で、そして同性を好きになってしまう人間だ。
親族は自分の不気味さを嫌っているだけで、同性愛の事は知らない。
トモダチは自分の性癖を知らないだけで不気味だとは言われない。落ち着いているとか大人びているとかで印象は悪くない。ただ、この同性愛という火種を見つけられたらきっと親族と同じような目を向けるだろう。
そのたったひとつの皹が、自分にとっては爆弾だ。着火材も点火スイッチも自分が持っている。
守らなければならないのは自分だった。
身近には誰も、守ってくれる人はいない。
それを望んでいるのかどうか考えた時、守ってくれる人が現れてもその人を失ってしまったらどうなるのか怖くて、やっぱり誰とも深く親しくはなれなかった。
自分が良い子と言われるのは、相手に有益である割合が大半を占めているからだ。
他人が知る自分が更新されていく度に、色々な事が増えていって、割合がそのままだなんて有り得ないのに。
御夫人が教えてくれる南瓜の煮物や茄子の素揚げの作り方を聞き一緒に作りながらも、頭の中にはいつまでも霧が埋め尽くした。あまりに毒々しい色をした、今まで自分の中にあった霧が、また現れた。
せめて今だけは晴れていてほしい。見通しの良い広々とした平地のようであってほしいと願い、霧を払うように現実に集中した。
───出来上がった朝食は、南瓜の煮物と茄子の素揚げ、オクラの和え物、茄子の味噌汁、そして白米と玄米が混ざった御飯。
味付けは殆ど薄く、素材の味というのがよく分かる料理ばかりで、初めて食べた茄子の素揚げは想像よりも油っこさはなくさっぱりしていた。
初めてに等しい玄米は甘く、硬さは差ほど気にならなかった。
朝食を終えて、宿所の周りを散歩しようと老夫婦に声を掛けてから外へ出ると日差しは強くなり眩しさに目を細める。けれど都会の夏よりも湿気が少なく、木陰を歩けばいくらか涼しく感じた。
宿所の周りは森が多かったが、それなりに他の建物もちらほらある。少し距離はあるが商店街も存在していて、思っていたよりも人がいる。
蝉の声を聞き流しながら歩き続け、川や小さな神社、古い工場や瓦屋根で木造の住宅等を通り過ぎて着いた商店街は、そのほとんどが昭和の雰囲気を持って人々を迎え入れている。
賑わいはあった。若い人もいた。
都会では見られない時間と人の動きの緩慢さに、ゆっくりと息を吐いた。
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