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邂逅
ここで眠ったら近くに湖があるのに干からびそうだな、と自分の考えにまた少し笑う。
両手を広げて、立てた足を揺らす。
風は涼しさを持ってきて、撫でられる度にその柔らかさを感じ取る。木々のお陰で直射日光は避けられて居心地の良い空気に満たされ、何度も深呼吸を繰り返し体内の毒を吐き出した。
利便性に慣れた都会育ちの自分では、ここで暮らすのは慣れるまで苦労するかもしれない。そう思いながらも、ずっとここに居られたら良いのにとまた考える。
向こうの世界は毒が充満している。ここに毒がないわけではない。もしかしたら向こうよりも偏見は強いかもしれない。それでも、今の自分にはこの空気が綺麗に思えた。
額に腕を乗せて視界から空が消える。
体を包む暑さと涼しさに、意識が途切れていく気がした。
暫く仰向けのままぼんやりと過ごし、そろそろ戻ろうと起き上がると真横に茶色い猫が寝ていた。野良猫だろうその子はしかし毛並みが綺麗で、目を開けた猫と目が合うと小さく鳴いて起き上がり静かに座る。
逃げるかな、と思いながらも手を差し出して喉元に触れると手にそこを擦り付けられて、愛らしさに頬が緩む。
そこでまた暫く猫を撫でていると、満足したのか何もくれないことに痺れを切らしたのか、ふと去ってしまった。猫を撫でたのは久しぶりで少しだけ寂しく思いながら歩く後ろ姿を見送り、帰ろうと立ち上がる。
来た道を戻り商店街を抜け、暑さに汗を滲ませて宿所が見えてきてほっとする。
日差しは時間が過ぎる度に強くなって、宿所を出た時よりも暑い。冷たい麦茶が恋しくなる。
宿所を囲う塀を過ぎて出入り口へと向かう途中、見慣れない軽トラックが視界に入り唐突な緊張に襲われた。
他の農家の方が来ているんだろうかと軽トラックを避けて宿所に入ると、日差しが遮られただけで涼しく感じる。
帰ってきたら声を掛けてね、と老夫婦に言われていたのもあり、御夫人の控えめな笑い声が聞こえる居間へ向かいそっと覗き込むように体を傾ければ、こっちを向いていた御主人に「おう、おかえり」と笑顔で迎えられた。
「おかえりなさい、麦茶飲む?」
「いただきます」
「散歩はどうだったよ」
手招きされて恐る恐る居間に入ると、背を向けてテーブルで頬杖をついていた人物が振り返って目があってしまった。
4、50代くらいだと思っていたのに、そこには自分とたいして変わらない年齢の男性で、彼は頭にタオルを巻いたツナギ姿で日焼けした堀の深い顔をしていた。
「……こんにちは」
「…どうも」
驚いた顔を隠すことなく、彼はじっとこっちを見てきて居たたまれなくなる。
御夫人にグラスをもらい求めていた冷えた麦茶に口をつけ、「良いとこあったか」と聞いてきた御主人に頷いた。
「商店街を抜けた林の奥に、湖がありました」
「ああ、昔よくそこで寝てたなぁ」
「俺も少し寝てしまいました」
商店街のかき氷屋の話をすれば、あそこの店主はよくおまけをくれる気前がイイ旦那だよと御主人は笑みを見せ、「あんぱん貰ったろ」と言われて驚いた。
「何でわかったんです?」
「自分が餡好きだからって、あんぱんばっか配ってっから」
「色々な種類のあんぱんがあるのよ、次に行ったら見てごらん」
なるほど小豆餡が好きというよりは、餡が好きなのか。そういえば他の客が食べていたかき氷にも色とりどりの餡が乗っていたような気がする。
「今の時期ならうちの南瓜買ってよ、かぼちゃ餡なんかもあるらしい。わしはうぐいす餡が好きだなあ」
「美味しそう、次に行くときが楽しみです」
かき氷屋店主の餡好きな話をしている間、ずっと知らない彼に背を向けていたが酷く視線が気になった。
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