黒い兎

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   私が黒い兎の絵を描いたのは、幼稚園の年中さんの頃だった。動物園に行った思い出を描きましょう。そう言われて、私は黒い兎を描いたのだ。  真っ白な画用紙の真ん中に、黒いクレヨンをこれでもかと塗り込んで出来上がったのが、その黒い兎の絵だった。なかなかに、時間と労力と黒いクレヨンを消費した。  その兎には目もなければ鼻もない。もちろん、口なんてものもありはしない——言うなれば、描かれているのは兎のシルエット、ということになる。  真っ白な画用紙と真っ黒な兎のコントラストは、改めて見ても凄まじいものだ。  空きスペースが存分にあるのだから、動物園っぽい木や、草や、花なんかを書き足していれば、これ程まで(おぞま)しい絵にはならなかっただろう。  一緒に行ったおともだちや先生や、なんなら自分を描いたって良かったのだ。けれど、私は黒い兎だけを描いた。  つまり、その他諸々を書き足さなかったことで、この絵の異常さが際立った、とも言える。  幼稚園の担任の先生は、それはそれは驚いたに違いない。カラフルな絵の中に、モノクロ写真さながらの兎のシルエットが紛れ込んでいたのだ。驚かない方が可笑しい。 「最近、おうちでの様子はどうですか?」  わざわざ家庭訪問に訪れた先生は、そんなようなことを笑顔を崩さず問いかけた。この時の先生の心労は如何程だっただろう。今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。  打って変わって、先生の気苦労など少しも気にしていない父は「特に変わったことはないですよ。なーちゃんは妹思いで、優しくて、親の手を煩わせるなんてこともないお利口さんです」と高らかに答えた。  先生は「そうですか」とだけ答え、私の絵に視線を落とした。その顔には「じゃあ、なんでこんな絵を描くわけ?可笑しいでしょ、絶対。なんかあるでしょ」という言葉が、ありありと張り付いていた。それは、まだ子どもだった私でも読み取れるほど、はっきりとした主張だった。  なんだか居た堪れない気持ちになった私は、お気に入りのスカートの裾を両手で握り、神様に祈った。こんな絵を描いてごめんなさい。もう描きません。この絵もいりません。  話の争点になっている黒い兎の絵が消えて無くなれば、先生はいつものように笑ってくれる。だから、消えてしまえばいい。確か、そんなことを考えていた気がする。 「なーちゃんは本当にお絵描きが上手だね。黒い兎さん、可愛く描けたね。今度はお父さんと一緒に会いに行こうね」  場の空気を少しも読まない父は先生などお構いなしで、私の絵を褒めちぎった。大きな手で頭を撫でられ、優しい笑顔を向けられた時——先生やおともだちや、他の誰かが変だと言って笑っても、お父さんが褒めてくれたからそれでいい。不思議とそう思えた。
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